こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

「みんな」とは誰か/『ラブライブ!』をめぐる人たちのことについて

 すごくめんどうくさい話をします。


 「みんなで叶える物語」。
 この言葉は、2010年、雑誌『電撃G's Magazine』に掲載された『ラブライブ!』の最初の記事の見出しとして用いられました。
 以来この言葉は、作品の中はもちろん、作品の外で、作品のテーマや、娯楽の商品としての特性が語られるときにも何度も何度も繰り返し口にされてきました。
 しかし、「みんな」とはいったい誰であったのでしょうか?


 μ'sの最初のシングルCD『僕らのLIVE 君とのLIFE』が当初数百枚しか売れなかった、というエピソードは有名です。その当時、「みんな」はそれしかいなかった。
 でもわたしは時々、その状況をうらやましく思います。その程度の少数であれば、「みんな」として一つになれたかもしれない、と。
 まだμ'sというグループ名すら存在しない段階で、あの9人の輝きを信じることのできた人々。まだメディア展開も少なく、雑誌誌上で公開されたキャラクター設定の要素も限られています。そのような状態なら、まだ『ラブライブ!』という作品は複雑な表情を見せていなかったでしょうし、受け取る側の受容の幅も狭くて済んだのではないか。
 本当のところはわかりません。でも、もしかしたら、ただ「『ラブライブ!』という作品が好き」というシンプルな共通項で繋がった「みんな」が存在しえたんじゃないか。憧れと寂しさとともに、わたしはそういうことを空想します。


 『ラブライブ!』のアニメが放映されたのは、雑誌掲載から二年以上の時間を経た2013年のことでした。
 恐らくは、ここで最初のおおきな「みんな」の分裂が起きた。雑誌誌上で公野櫻子の筆によって描かれてきたμ'sと、アニメで京極尚彦が描いたμ'sとの二つのμ'sが生じることになったからです。
 両方のμ'sを受け入れる人、公野版しか受け入れられない人、京極版しか知らない人…。
 そして同年、ゲーム『スクールアイドルフェスティバル』(スクフェス)の配信が始まります。『ラブライブ!』の本格的なメディアミックスの展開です。アニメから入った人、ゲームから入った人、色々な入り口から『ラブライブ!』に触れる人が生じていった*1

 それでも2013年はまだ『ラブライブ!』というコンテンツ全体が、成長途中の段階にあったように思います。アニメ放映中に秋葉原でゲリラライブを開催するなど、アグレッシブにファンを獲得していく、話題を作っていこうとする雰囲気があった。ライブも一年に二度行われています。作り手たちが逆境を乗り越えようと奮闘し、熱心なファンが口コミでその魅力を伝えていく、そういう「みんな」の一体感があったのではないか。


 そして2014年。さいたまスーパーアリーナで4回目のライブが開催されます。稀にみる悪天候のなかライブが開催され、それでもつめかけるラブライバーたちの様子が大きな話題になった。
 あの、関東が雪に覆われた週末、わたしは映画館に『アイドルマスター』を観に行っていました。同じ劇場で、μ'sのライブのライブビューイングが行われていた。すっからかんになったグッズ売り場を見て、「うわ、すげえなライバーはww」というような、呆れと尊敬と嘲笑のまざった感想を口にした記憶があります。嘲笑されるべきは、当時何度も『ラブライブ!』という作品に触れうる機会を持ちながらも見逃し続けていたわたし自身だったのですが。


 話がそれました。
 外側から見ると、あの4回目のライブの成功は『ラブライブ!』という作品の一つの達成だったのですが、同時に、「みんな」の分裂はいっそう進んでいたようです。人気が沸騰し多くのファンがチケットを入手できない一方で、チケットの付録限定の楽曲が製作され、会場で披露された。会場にいる「みんな」と、そうでない「みんな」の間に、作品のほうが線を引いてしまった。


 そしてアニメ二期の放映が始まります。アニメ一期は好きだけど二期は嫌い、とする人は一定数存在します。ここでまた「みんな」が分裂していく一方で、沸騰する人気を聞いて、二期から『ラブライブ!』に触れる人も非常に多かった。わたしはその一人です。アニメ放映と同時期にスクフェスの人気も爆発しました。明けて2015年の映画公開前後には、街中でゲームを遊ぶ人をしょっちゅう見かけたものでした。わかりやすいおたくではなく、高坂穂乃果たちと同世代の女性が非常に多かった。
 2015年の映画公開と大ヒット、そして年末の紅白出場から2016年のファイナルライブにかけての時期は、「みんな」の総数が最も大きかったのではないでしょうか。紅白に向けてNHKで特集番組やアニメが放映され、作品に触れる機会も手段も国民的になった。


 そんななかで始まったのが『ラブライブ!サンシャイン!!』です。
 最初の雑誌記事の見出しこそ「助けてラブライブ!」であり、「みんな」を大きくうたうものではなかったけれど、当然のように『サンシャイン!!』にも「みんな」の概念は引き継がれました。映画『ラブライブ! The School Idol Movie』においてμ'sが全国のスクールアイドルと一緒にイベントを行ったことをなぞるように、『サンシャイン』とAqoursはμ'sの精神を引き継ごうとする。
 それに賛同するものもいれば、μ'sのファイナルライブを期に、『ラブライブ!』から離れていく人もいた。


 μ'sファンの「みんな」は、『サンシャイン』を応援すべきなのか否か。その問題が最も「みんな」の間に複数の、深い分断を生じさせたのは、『サンシャイン』アニメ一期の放映時期であったように思います。週を重ねるごとに、劇中でμ'sが言及されるごとに、あるいはされないで物語が展開されるごとに、「みんな」は動揺した。
 同時に、『サンシャイン』においても『ラブライブ!』と同様に、公野版とアニメ版との差異を受けて作品から離れてしまう人も生じました。
 メディアミックス作品は、他メディアに展開するごとに新たなファンを獲得しますが、同時に取りこぼされるファンもいるのです。


 『サンシャイン』のメディアミックス展開において最も重要なメディアはおそらく、沼津という、作品の舞台そのものです。
 アニメも雑誌も目にしたことがなくても、沼津の街に展開されるイベントや宣伝物、ファンの振る舞いを通じて『サンシャイン』に触れる人は多数いるはずです。それはもはや一つのメディアといっていい。
 そして、生きた街と人が媒介になったとき、作品が受容される振れ幅は爆発的に広がる。様々な価値観の人が、思いもよらない方法で、作品と切り結ぶ。表現する。沼津に関するネット上の言説には常に批判と賛同が入り乱れて混沌としています。沼津における物事や人をめぐって、「みんな」は毎日のように右往左往している。


 アニメの放映終了から数ヶ月後、Aqoursは初のライブを開催しました。あのライブの演出方針の一つには、アニメで描かれたAqoursの物語をなぞり、増強する目的があったように思います。
 生身のAqoursたちが自身の物語を解釈し演じ直すことで、受け手に「これがこの物語のあり方ですよ」という一つの模範解答を与えた。これによって、放映時に特に物議を醸した13話を中心に、アニメへの再評価が高まりました。アニメで分断された「みんな」は、再び一つに戻った――と言ってもいいかもしれない。


 さてさて、そして今日は2017年8月5日です。
 Aqoursセカンドライブ――しかも今度はライブツアー――が始まる。
 なぜこのタイミングでいまさら「みんな」のことを考え直したくなったのか。いやいつだってわたしは「みんな」について考えたかったのです。だってもしそれが現実では成立しえない幻だとしたって、物語のなかの高坂穂乃果は「みんな」の物語を叶えたし、秋葉原で『Sunny Day Song』を歌い踊ったスクールアイドルは「われわれはひとつ」*2という気持ちを共有できた。
 そういう物語を愛している「みんな」がなぜ一つになれないのか。無茶な考え方だとはわかっているけれど、そう思ってしまわざるを得ないのです。でも現実として「みんな」はバラバラです。じゃあいつバラバラになったのか。そもそも一つの「みんな」なんて存在したことがあったのか。これから存在することはありえるのか。Aqoursのライブで、「みんな」は一つの「みんな」になれるのか?わたしは、あるいはわたしの隣の席のあなたは、あるいはSNSのタイムライン上のあなたは、一つの「みんな」になれるだろうか?


 当然答えはありません。
 答えがないからわたしは『ラブライブ!』という作品に惹かれるのだし、現実には不可能なことを叶えた高坂穂乃果なり、叶えようとする高海千歌に惹かれる。
 でも答えが出ないからといって、その問いが無駄なものだという道理はないでしょう。


 わたしはこれからも「みんな」のことを考え続けると思います。めんどうくさいけど。

 

 

2017/08/10追記:

 @694628 さんが本記事に対する長い感想をツイッター・ブログにて寄せてくれました。特にブログでの、「みんな」をより広くとらえようとする考え方には、わたしの記事にない視点と思考があります。ツイッターでの感想に対しては、反発する旨のリプライをしていますが、ブログでまとめられている694628さんの考え方は、わたしの悩んでいることへの一つの解答を示してくれているとも思います。何より、「みんな」についてうだうだ言っているわたしへの(賛同できない部分があるとしたうえで)共感を少しでも示していただけたことがとても嬉しかったのです。

 ぜひあわせてお読みください。

694628 on Twitter: "てぎ様(@tegit) 作
「みんな」とは誰か/『ラブライブ!』をめぐる人たちのことについて - こづかい三万円の日々 感想 https://t.co/EUlNzdhfjy"

 

「みんな」とは誰か/『ラブライブ!』をめぐる人たちのことについて 感想 再考 - 🐦

*1:もちろんそれまでも他のメディアや他作品、あるいは声優の個人活動などを通して「みんな」の行き来はあったでしょうが、最初の大きなインパクトはこのタイミングだったと思います。

*2:統堂英玲奈、大好き。

『六月生まれのスクールアイドル』

 六月に生まれた二人のスクールアイドルのことを思って書きました。


『六月生まれのスクールアイドル』

■六月九日

 理事長室の扉を開いたとき、鞠莉は机に座って窓の外を眺めていた。
 手元には何かの資料らしき紙の束があった。右の手でその開いたページを押さえて、鞠莉は遠くを見ている。
「いやな季節ね」
 こちらを見ないで鞠莉は言った。
「空と海の境がわからないの」
 まだ梅雨は始まっていない。空は果なく続く灰色の雲に覆われていた。今夜は降るかもしれない。
「来週の、この」
 私は手元のオフホワイトの封筒を振って、
「ご招待は残念ながら受けられませんわ」
 鞠莉は黙っていた。
 指が少しだけ動いて、資料の紙がかさりとこすれた。
 ぐるん、と椅子を派手に回して鞠莉はこちらに向き直る。
「ちょっと見てよー、ダイヤ」
 急激にオーバーになる身振り。高くなる声。
「これさー、今日会社の人が持ってきたの。まったくオオギョウな」
 資料をくるりと手元で回し、私のほうから字が読めるようにする。
 『浦の星女学院 再生案』という見出しが目に入った。
「まず間違いなくお母様の差し金。会社の人達が慌てて作ったのがバレバレよ。悪くないけど、肩に力が入りすぎ」
 ほら見て、と鞠莉は資料を差し出す。私はざっと目を通す。
 前半は、昨年度までの浦の星女学院の概要をまとめている。周辺地域の十五歳人口は下がる一方。教職員は高齢化し、施設は老朽化、後援会の所属人数も減っていく。通学のための交通機関も存続が危うい。
 私たちが三年になるまで学校が続いたことが、不思議に思えてくるくらいの状況。
 後半では、そんな浦の星のどこに資本を使い、入学希望者を増やすかが語られる。資料の作成者たちが選んだのは、全寮制で世界標準のハイレベルな教育を得られるハイパーエリート校に生まれ変わらせる、という方策だ。ITや語学など、特定の教育分野に集中してお金と人をつぎ込むことで、地方にあっても全国から優秀な生徒を集めることに成功したいくつもの事例が紹介されている。
「でも、わたしがしたいのはそういうことじゃないんだよね~」
 鞠莉は両の手のひらをあげて、お手上げ、というポーズを作ってみせる。
「国中から生徒が集まるようなエリートの学校になったら、名家の気弱な次女だとか、隣町の中学校にいづらくなった不思議ちゃんが出会えるような学校じゃなくなっちゃうじゃない」
 名前をあげずとも、つい最近、この学校で素敵な出会いを果たした後輩たちの話をしていることがわかる。
 私は頭のなかで鞠莉の言葉に付け足す。あるいは、地元の零細ダイバーズショップの娘と、世界的なホテルグループのお嬢様が、一緒に通えるような学校でもなくなる。
「世界、日本、東海地方、そんな大きなスケールは考えない。沼津で、みんなが行きたいなって思える学校にする。そのためのスクールアイドル。この戦略は、間違っていないとわたしはおもう。
 こっちにだって成功事例はあるんだから」
 こんなの余計なのよ、言いながら資料を閉じて、ばさん、と乱暴に引き出しに放り込む。
「十三日のことだってさ」
 学校の話――ビジネスの話――の延長のように鞠莉は言う。
「私ももっと慎ましくお祝いしてもらいたかったのよ? なのにお父様ったら、最近建てた品川の新しいホテルを会場に決めちゃって。
 海外VIP向けのゴージャスなペントハウスなんですって。そりゃ仕事関連の人のウケはいいでしょうけど、品川じゃあ内浦のみんなも来れないよね」
 私は自分の用事に話が戻ったのを幸いに、言葉を引き取る。
「ええ、ごめんなさい。私も行けそうにありません」
「わかってるわかってる。気にしないで~」
 くるりと椅子を再び回す。窓を見て、
「曜ちゃんの誕生日、楽しそうだったわね~。四月のさ。ダイヤも見たでしょ? Aqoursのブログ」
 渡辺曜の誕生日は四月十七日だった。
 まだその時点では、浦の星女学院に新たに作られたスクールアイドルグループ・Aqoursは、二年生の三人だけだった。残りの二人、高海千歌桜内梨子は、放課後、千歌の家でお祝いをしてあげたそうだ。手作りのケーキ、慎ましいけれど心のこもったプレゼント。笑顔の三人を写した写真が何枚か、ブログにアップされていた。
「ほほえましかったですね」
「部屋の飾りつけ、曜ちゃんが海好きだからって大漁旗を使うのは正直ないよね~」
「でも、渡辺さん、とても嬉しそうでしたわ」
「けっきょく三人でお泊りしちゃったんでしょ? まったく、まるで――」
 まるで。
 鞠莉はそのまま、黙ってしまう。私も何も言わない。何と言いかけたか、訊かずともよくわかったからだ。
 まるで私たちみたい。
 ――二年前、私たちも同じことをした。
 鞠莉の誕生日、六月十三日に、何日も前から私と果南は用意周到に準備を進めた。果南が自分でケーキを作ると言い出して、松月のお姉さんにレシピを教えてもらったにも関わらず、クリームは甘すぎたしスポンジケーキは焦げていた(オーブンの温度調整を間違えたのは私だ)。
 それでも鞠莉は喜んでくれた。涙をこぼしそうにしながら。
 あの夜、彼女は言った。私はいつまでも二人と一緒にいたい。二人と一緒にスクールアイドルをがんばって、浦の星女学院がいつまでも続くようにする。何年も何年も先の後輩たちが、私たちみたいな素敵な学校生活を送れるように。
「そういえばさ、ダイヤ」
 遠い昔の記憶にとらわれて、何も言えないでいた私に、鞠莉は理事長席の向こうから訊ねた。
「μ'sってバースデイイベントのたぐいはしていたのかしら」
「――確か、矢澤にこの誕生日から行うようになったはずです。彼女は七月の生まれでしたから、μ'sが九人揃って初めて行った校内ライブと近いタイミングで、ちょうどよかったのでしょう」
 それじゃあ――と鞠莉は机の上の手帳をめくった。
「一年の津島善子ちゃんが来月の生まれね。ナイスタイミング!スケジュールに組み込んでおくよう、千歌に言っておかなくちゃ」
「μ'sをお手本にしているのですね」
「まあね。成功する人達にはそれなりの理由がある。もちろんμ'sとわたしたちは別人だけど、いいところは真似して損はないはずだよ」
「それはそうかもしれませんけど。でも、スクールアイドルとして人の心をつかむには、誰かの真似ばかりでは――」
「さっきのレポートの後半、見たでしょう? たくさんの成功事例。人を説得するには、先に成功した見本が必要なの。お金や決断できる権利を持っている人に、『こんなにうまくいっているんですからあなたも安心して』、そう言って説得するのよ。そういう意味でも、μ'sは「使える」」
 さきほど資料を投げ込んだ引き出しから、別のファイルを取り出してみせる。高坂穂乃果を始めとしたμ'sのプロフィール、大まかな活動の履歴。
「ダイヤほどじゃないけど、わたしなりに真面目に色々調べてもいるのよ。μ'sはどんな人たちで、どんなふうに活動していたのか。そこを考えていけば、μ'sみたいに人気を獲得できるはず。前は、ダイヤと果南に言われたとおりやっていればよかったけど、今は違うから」
 μ'sをビジネスの道具みたいに扱わないで、そう言いかけた私は、鞠莉の皮肉めいた言葉に口をつむぐしかない。
「あら、今日は誰かの誕生日だったみたい。ええと……ヒガシ……」
「とうじょうのぞみ」
「ふむふむ、この人も三年ね。七月、アヤセエリにつづいて最後に加入、と」
 顔をあげて、私に屈託のない笑顔を向ける。
「ほらね。二年、一年、最後に三年生。Aqoursもμ'sと同じ」
 ――そうだ、この人はあくまで、自分もAqoursに戻るつもりなんだ。
 たぶん、果南も私も戻ると思っている。さきほど、彼女がAqoursのことを「わたしたち」と呼んでいたことを思い出す。
「お手本の希さんも、誕生日はまだ一人だったのね。なら、わたしもだいじょうぶ」
 でしょ?
 鞠莉は私の顔を、見上げるように覗き込む。目と目が合う。
 笑顔だけれど、彼女が私に何を求めているのか、私にはわからなかった。
 私は必死に、何か、言葉を口にするための勇気を自分の中に探す。
「……なんてね!」
 おどけて言って、鞠莉は目をそらした。
「大丈夫よダイヤ、Aqoursはきっとμ'sみたいになれる」
 つぶやいて、くるりと椅子を向こうへ回す。
「十三日のこと、わざわざどうも」
 会話は終わり。そういう響きの言葉だった。
「どういたしまして」
 私は頭を軽く下げた。そのまま身をかえして、部屋を出る。
 扉を閉めるときまで、鞠莉はそのままの姿勢でいた。視線は窓の外のまま。
 窓は淡島の方向に向いていた。


■六月十三日

<二〇一三年七月 μ's 第三回学内ライブ/撮影者:同級生有志>

(中規模の教室。黒板にチョークで、ライブタイトルやイラストがカラフルに描かれている。その手前、教壇や机を移動して開けた空間がステージのかわりだ。楽曲のアウトロが終わり、決めポーズをとったμ'sの九人がほっとした表情でもとの姿勢に戻る。盛んな拍手と歓声が客席から投げかけられる。特に、絢瀬絵里を対象とした歓声が目立つ)
高坂穂乃果、ステージ中央に進み出てくる)
穂乃果「絵里ちゃん人気、すごいね……」
(穂乃果の後ろで、ありがとね、と小さく言って絢瀬絵里が手を振る。再び歓声)
穂乃果「ではここで、本日二つ目のスペシャルコーナーです!先ほどは、七月生まれの矢澤にこちゃんのお誕生日をみんなでお祝いしたわけですけれども!」
矢澤にこ「やーん、みんなありがとー!!にこ、まだ感動で泣いちゃいそうで~す」(矢澤にこ、笑顔を振りまきながら穂乃果の横に並ぶ)
(会場笑う)
にこ「笑うところじゃないにこー」
穂乃果「ま、まあまあ……でも、私たちがこうして九人になる前に、誕生日が終わってしまったメンバーがいるんです!」
にこ「そんな、にこ、誕生日をお祝いされないかわいそうな子がいるなんて耐えられないよ~!」
穂乃果「というわけで!再びのサプライズ!!六月九日生まれの東條希ちゃん、おめでとうございまーす!!」
(カメラ、東條希に寄る。驚いた表情の希)
希「ふぇっ、う、うち?」
にこ「一ヶ月遅れちゃったけど、みんなでお祝いしてあげる!」
希「え、ええんよ、うちはそんな、だって先月のことやし、うちはμ'sに入ったばかりなんやし」
穂乃果「いいからいいから!」
にこ「そうそう、素直に祝われなさーい」
(でも、と渋る希に、脇から西木野真姫が声をかける)
真姫「早くしなさいよ。あなたが祝われなきゃ、四月生まれの私も祝われないでしょ」
にこ「ちょっとあんた、なんでこの後の段取り知ってるのよ」
真姫「だってさっき、穂乃果さんが、私たちのプレゼントを用意してるの見ちゃったから」
にこ「な、なんですって~」
穂乃果「ご、ごめんね……」
(客席笑う)
穂乃果「このサプライズアイディアはにこちゃん発案なんだ。自分も祝われる側なのに、真姫ちゃんと希ちゃんの誕生日を私に教えて、二人も祝われなきゃいやだ、って」
希「にこっち……」
絵里「意外と優しいのね」
にこ「そ、そういう舞台裏はいいから!ほら穂乃果、進めなさいよ!」
穂乃果「は、はい!えーと、改めて、六月九日生まれの希ちゃん、そして四月十九日生まれの西木野真姫ちゃんをお祝いしたいと思います!」
にこ「ほら、ふたりとも、こっちこっち」
西木野真姫、ありがとうございます、と言って前に進み出る)
穂乃果「希ちゃんもほらほら、前に来て」
(絵里、希の背中を押す)
希「もー、えりちまで」
(希、真姫の横に立つ。かしこまった表情、少しだけ背中が小さくなっている。
 穂乃果が二人に向かって話し始める)
穂乃果「真姫ちゃんも希ちゃんも、誕生日からだいぶ経っちゃったけど……でも私、ちゃんと伝えたかったんです。こうやって、同じ学校に来て、スクールアイドルになってくれて、歌を、ダンスを一緒にやっている仲間に。大好きな仲間に、おめでとうって言いたかったんだ!!
 だってわたし、真姫ちゃんも希ちゃんも、大好きだもん!」
(わあっ、と一際大きく客席がわく。
 拍手と歓声のなか、舞台袖に隠してあったプレゼントボックスを、園田海未南ことりが持ってくる。真姫と希にボックスを渡す二人。ピンクと紫に飾り付けられた箱を抱えた真姫と希に、客席から更に大きな拍手が送られる)
真姫「あ、あの、ありがとうございます」
希「穂乃果ちゃん、にこっち、みんな、ありがとう……」
海未「希さんに喜んでもらえてうれしいです。みんな、あなたのことが大好きなんですから」
ことり「真姫ちゃんのことも、にこちゃんのこともね。好きな人の誕生日をお祝いしたいって思うのは、当然だよ!」
真姫「ふぁっ、ちょっとあんた、何泣いてるのよ」
(希、目元をぬぐう)
凛「あっ、真姫ちゃんも目が赤くなってきたにゃー」
真姫「泣いてないし!」
花陽「もらい泣きしちゃうよお……」
凛「か、かよちんも!?」
穂乃果「それでは会場のみなさんもご一緒に!」
(ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー、とμ'sが歌い出す。客席が続く。希と真姫、目と顔を少し赤くしながら、歌に加わる)
「「「ハッピー・バースデイ・ディア・希ちゃんと真姫ちゃん! ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー!!!」」」
穂乃果「にこちゃん、希ちゃん、真姫ちゃん、」
(全員が息をあわせる。全員が笑顔でいる)
「「「誕生日、おめでとう!!!」」」

 

♪♪♪

 

 私は動画サイトの一時停止ボタンを押す。
 あと十五分で日付が変わる。六月十四日になる。
 照明を落として、机上のランプだけが灯る自分の部屋で、タブレットPCの中のμ'sの笑顔を私は見つめている。数年前の彼女たちの、誕生日おめでとうという声の残響が、頭のなかで繰り返されている。
 今日、六月十三日、品川で小原鞠莉のバースデイパーティが行われているころ、私は父と勉強会に参加していた。父の知己の大学教授を囲んで、父と同じ党派の市会議員数名を筆頭に、沼津や近隣の自治体や地元企業から、百名ほどが集まった。参加者はせいぜい若くても大学生で、私は最年少だったろう。
 勉強会に誘ってくれたのは父だ。先生の専門は経済学だけれど、地方の教育についても造詣が深いんだ。ダイヤの学校のことを考えるヒントもあるかもしれない。そう聞いた私は喜び勇んで同行を申し出たのだけれど、大学教授の講演と意見交換の二時間ほど、私は話についていくだけで必死だった。話の早さと言葉の密度は、私がそれまで接したことのないものだった。できうるかぎりの事柄をノートに書き取ったけれど、様々な知識や経験を前提とし、冗談と建前と本気が入り混じった意見交換の時間はほぼお手上げだった。そこに軽々とついていき、むしろ場の空気を支配している父の姿を見て、私は自分の家を現代まで持続させてきた人達の優秀さを思い知った。
 会のあと、熱を帯びた頭を持て余している私を見て父は、打ち上げには参加せず家に帰りなさい、と笑った。残念ながら主賓のはずの先生も東京へとんぼ返りだそうだ。外の人がいないと、打ち上げは少々乱れるからね、そう言って父は、会場の一角に群れた大人たちのほうへ去っていった。
 会場のコミュニティセンターの外でタクシーを待っていると、背後から声をかけられた。講演をした大学教授だった。会の前に自己紹介を済ませていたが、私は改めて自分の立場と、今日の講演の感想を告げた。
「まだ高校生なのにずいぶんしっかりしていますね。黒澤さんといい小原さんといい、沼津の名家の娘さんは度胸がすわっている」
 突然予想もしていなかった名前に驚いている私に、
「もともと、黒澤さんとは小原さんのご紹介で知り合ったんですよ。最初に沼津に来た時は、淡島のホテルにお世話になったし」
 あの夜は楽しかったなあ、三人でバーで遅くまで飲んでね、と教授は朗らかに笑った。
「つい先日も、観光関係のフォーラムで小原さんと娘さんにばったりお会いしましたよ。高級旅客鉄道の事例紹介を聞きに来た、と仰っていたな。娘さん、最近留学から戻られたんでしょう?」
「ええ、アメリカに一年半。あちらにお住まいのお母さまと暮らしていたそうです」
「日米間で、優秀な娘さんの取り合いだね。そういえば小原さん、珍しく娘さんにわがままを言われたなんてぼやいていたけど」
「わがまま、ですか」
「ええ。彼女の誕生日パーティの会場に、真新しいホテルのペントハウスを確保させられた、なんてね。そうそう、今日だったはずですよ。私も誘っていただいたんですが、こちらの約束が先にあったから、お断りしたのだった」
 大学教授は、私がそのパーティの場ではなく沼津にいることに気づいて、怪訝そうな顔をした。彼を迎えに来たタクシーがちょうど現れて、気まずくなりかけた空気は消えた。彼を乗せたタクシーが去り、私は夜の暗闇のなかに一人残された。
 灯りの少ない沼津の夜の風景にふさわしく、私の心は暗かった。
 品川でパーティをしたのは、親の意向ではなかった。鞠莉が自ら、内浦から遠く離れたところを会場にしたのだ。
 品川なら、内浦の人々が一人も来なくても――大人はともかく、同級生ならなおさら――言い訳がたつ。わがままな娘のふりをしてまで、鞠莉は彼女の誕生日を素直に祝えない私と果南から距離を置いた。離れてさえいれば、祝福されなくても自分は傷つかないし、私たちが気に病むこともないから。
 そういうことだ。
 先週鞠莉と話したとき、その可能性に思い至らなかった自分が不甲斐なかった。そして何より、勉強会に熱中した自分が、今日が鞠莉の誕生日であることを忘れていたことに、私は強く幻滅した。
 いま、自分の部屋の暗闇のなかで、私はもう一度時計を見る。あと10分で今日が終わる。
 タブレットのなかのμ'sのみんなが、「おめでとう」と声を張り上げたままの姿勢と表情で静止している。
 私も口にしてみる。
「おめでとう」
 その声が思っていたより大きく部屋に響く。もう一度繰り返す。
「おめでとう、鞠莉さん」
 名前を口にして、胸の奥に、きゅ、とつぼまる苦しさが芽生えた。
 ――途端に後悔が襲ってきた。
 なぜこの言葉を直接言わなかったのだろう。
 いや、言えないような状況に、なぜわたしたちはいるのだろう。
 やりきれなくて、私はタブレットの画面を指で弾いた。また動画が再生される。流れるμ'sの賑やかな声。
 おめでとうとありがとうが行き交うステージを、カメラはズームアップする。祝われている三人が順に大写しになる。満足そうなにこちゃん。照れながらも、脇の凛ちゃんと花陽ちゃんにありがとね、と小さく伝える真姫ちゃん。
 希ちゃんは黙って、胸元にかかえた大きなプレゼントボックスを、見つめていた。
 目が潤んでいた。眉間に少しだけ力が入って、困っているような、自分で自分を持て余すような笑顔だった。カメラが移動する直前、彼女は両の腕で、もう一度、ぎゅっとプレゼントボックスを抱きしめた。
 私はタブレットを置いて、スマートフォンを取り上げる。
 メッセージアプリを開く。
 画面をスクロールする。一昨年の夏からずっと、一度も言葉のやり取りがなかったメッセージグループを開く。果南と鞠莉と私の、二年間ずっと空白だった場所。
 希ちゃんの顔を見て私は思い知った。私は言うべきだ。何かを。言葉を。おめでとうという言葉は、その言葉で伝わった気持ちは、誰かを幸せにできる。希ちゃんの表情が絶対の証拠だ。
 あんな顔を見たあとで、言わないでいるなんてできない。
「鞠莉さん、誕生日おめでとう」
 テキストを打ち込む。送信する。二十三時五十五分。
 お願い、鞠莉、スマートフォンを見て。
 お願い、果南。
 二十三時五十八分。
 私のメッセージの横に、「既読」のマークがついた。
 続けて、「既読2」のマーク。
 二人が見てくれた。
 間に合ったんだ。
 放心している私の前で、画面が更新される。果南のメッセージ。「おめでとう」。
 鞠莉が入力中であることを示すアイコンが表示された。明滅するそれはしばらくのあいだ変わらない。鞠莉はきっと、どう返すか悩んでいる。二年ぶりに交わす言葉だ。私も何か言いたい。でも言えないでいる。
 ようやく鞠莉がメッセージを返してきたのは、日付が変わる前のさいごの数十秒のことだった。
「ありがとう」
 一言だけ。
 それだけだった。
 私と鞠莉と果南が、交わした言葉はそれだけだった。スマートフォンの画面のほとんどはまだ空白のまま。
 あと数秒で今日が終わる。スマートフォンの画面の端で、時計が、ゆっくりと残された時間をカウントしていく。
 けれども、これだけで十分だ、と私は思った。
 今日、とりあえず今日、この日は。
 今日はただそれだけで、私たちは十分幸せだった。

 

(おしまい)

黒澤ダイヤが『シング・ストリート』を観た、という話

 好きなフィクションの登場人物が、自分の好きな映画を観てくれたらぜったい楽しいに決まっている……!というたいへん身勝手な思いつきをきっかけに、10日くらいで書きました。
 同人誌即売会「僕らのラブライブ!」が行われると聞いて、あー、自分も二次創作書きたいなあ、という気持ちを発散させるためでもあります。なんとか僕ラブ当日に間に合ったー!(と即売会直前に言ってみたかったのだった)

 それでは、予告編のあとで本編をお楽しみください。


SING STREET - Official US Trailer - The Weinstein Company


黒澤ダイヤが『シング・ストリート』を観た、という話』

 

 

 教室の扉を開けると、窓際の席で、イヤホンをつけた鞠莉が海のほうを眺めているのが見えた。朝の白い陽が彼女の肌をいっそう輝かせている。近づくと、どうやらイヤホンの音楽にあわせてハミングしているらしいことがわかる。たぶん、わたしが昨晩見た映画のエンディング曲。少し嫌な予感が、しないではない。
 後ろから近づく格好になったから、彼女は私が自席に着くまで気が付かなかった。降ろした鞄を開けて、さて何と言おう、と溜め息をつくと、後ろから、
「おっはよー!!」
 教室の中央にある私の席まで、一瞬でたどり着いたみたい。
「おはようございます」
「で、どうだったどうだった~?」
 わかりきっているけど一応聞く。
「なにがですか」
「も~、決まってるじゃない!」
 鞠莉は腰に両手を当てて、大げさなふくれっ面をしてみせる。「これのこと、ですよね」
 鞄から、ブルーレイの入った茶封筒を取り出して鞠莉に渡す。「ありがとうございました。なかなか楽しい映画でしたわ」
 差し出されたブルーレイを鞠莉は受け取らず、「うんうん、それで?」
「楽しかった……です」
「うん、それでそれで?」
 目を輝かせて、まるで給餌を待っている犬みたい。
「音楽も物語も……まあ、楽しかった」
「それは何度も聞いたよー!!もっとこう、色々あるでしょー!!」
「色々?」
「歌とか、せりふとか、登場人物のこととか!」
「歌は......途中の"Up"という曲が素敵でした。主人公と友達が二人で歌い始めて、やがてバンドのみんなが揃っているという...あれ、どうやって撮影したのかしら」
「さつえい? んー、よくわかんないけど。でも楽しいよねあそこ!あとはあとは」
「夢を追いかけていく主人公たちの姿に感動しました」
「うんうん、感動するよね~。あのラストの船が見えたときのさ~」
「あれはちょっと不自然ですね」
「でも感動するじゃん!」
「そもそも、いくらアイルランドとイギリスが近いとはいえ、あんなことをするなんて主人公たちは無謀すぎます。お兄さんも止めるべきでした」
「ええー、ダイヤ、本気~?」
「本気です。本当に弟のことを思うなら、ロンドンに渡るためのお金を働いて用意してあげるくらいのことはしなくては。ライブが成功したあとの勢いのまま、軽率な判断を……」
「もういい。そういうときのダイヤ、つまんない」
「つ、つまらないって…わたしは鞠莉さんが映画の感想を求めるから、一所懸命」
「んー、わたしが求めてた反応と違った。ま、そうね、そこそこ楽しかったんならよかったわ~」
 鞠莉は皮肉っぽい言葉を置いて、ひらひらと手を振りながら踵をかえして自席に戻っていく。
「あ、ブルーレイ、お返ししないと――」
「果南が借りるって言ってたから。渡しといてー」
 気の抜けた声で言うと、イヤホンを耳につけ、腕を枕に、机に突っ伏してふて寝を決め込む。すっかり拗ねてしまった。
 うまく言えなかったかもしれないけれど、私、この映画、嫌いじゃないのに。なんと言えば機嫌を直してくれるか、そもそも、なぜそんなに機嫌が悪くなってしまったのか、悩んでいるうちにクラスメイトたちが登校してきて、私は鞠莉に話しかけるタイミングをすっかり失ってしまった。

♪♪♪

「まー、そりゃ鞠莉としては、もっと感動してほしかったんだろうね」
 果南が教室に顔を出したのは、昼休み、私が弁当をそろそろ食べ終わろうかというころだった。鞠莉は四限が終わるなり教室を出ていった。朝のこと、そんなに怒っているのだろうかと一瞬不安になったけれど、数日前彼女が、学院後援会の人たちとランチミーティングする予定だと話していたことを思い出した。
 果南は私からブルーレイを預かるなり、図書室に行くけどどう、と言う。昼は家で食べてきたのだろう。それにしても、座って一息ついてもよさそうなのに、私が頷くと、じゃあ行こ、と早速大股で歩き出す。家の手伝いで早朝から忙しくしていたはずなのに、さすが体力の化け物。
 その体力の化け物が大股で進んでいくのについていきながら、私は朝の顛末を話した。
「でも私、悪い映画だと言ったわけではないのですよ。なのに鞠莉さんったら随分むくれてしまって」
「まあまあ、許してやって。それだけ思い入れがあったんだよ。前々から、二人でダイヤに観せたいねって言ってた映画だから。私も映画館で一度観たんだよね」
 意外な話の展開に、私は思わず立ち止まる。
「私に……?なぜですか」
「だってあの映画、兄弟の話じゃん。バンドを始めた主人公と、昔音楽をやっていたけど、もう辞めちゃったお兄さん。ね?」
 果南は同意を求めて小首をかしげる
「はあ……」
 確かに『シング・ストリート』にはそんな兄弟が登場する。夢を追いかける弟と、それをけしかけ、時には非難する兄。
「えっ、わかんないかなあ」
「兄弟……きょうだい……姉妹?!え、まさかあなたたち、私とルビィのことを」
「そうだよ~」
「いや、でも、あちらは兄弟で私たちは姉妹ですし」
「性別は問題ないでしょ」
「それにルビィも私も、あの映画のなかの二人とはまるで違って」
「そうかなぁ~」
 ニヤニヤと笑って果南は私の顔を覗き込む。
「私はあのお兄さんみたいにやさぐれていませんし、ルビィにリスキーな生き方を選ぶよう、けしかけたりしません」
「でもスクールアイドルのいろはを教えこんだり、色々言いながらも妹の夢を応援したりはするよね」
「で、でも……!」
「物語と現実を重ね合わせちゃうっていうのはそういうものなの。多少の表面的な違いはあってもさ、ダイヤとあのお兄さんは魂は一緒だよ」
「そんな無茶な」
「ともかく、私と鞠莉はそんなふうに感じててさ。ダイヤの感想が聞きたいね、って話てたの。きっとすっごく感動するよ、って」
 果南は屈託なく笑う。私はちょっと呆れてしまう。
 確かに『シング・ストリート』はいい映画だ。80年代のアイルランドを舞台にした、爽やかな音楽と青春の映画。鞠莉にも話した通り、音楽を通じて辛い現状を変えようとする主人公たちと、私たちAqoursの現実が重なって、私は勇気づけられた。
 でも、私たち姉妹と、あの兄弟を重ねるというのは強引だ。さらに、そんな見方を本人にも期待するなんて、なんというか――デリカシーに欠ける、と言えばいいのか。
 そうこうしているうちに、私たちは図書室に着いてしまっていた。扉を開けた果南の肩越しに、カウンターのなかで本を読んでいる国木田花丸の姿が目に入る。さすがに一年生の前で言い争いをするのは気が引けて、私は果南にぶつけようとした不満をしまい込む。
「こんにちは、花丸ちゃん。――わっ、参考資料ってそれ?」
 カウンターの上に積み上げられた本を見て果南がのけぞる。銀色がかった紺色の分厚い本が四冊と、文庫本が何冊か。分厚いほうは誰かの文学全集だろうか。それから、バラバラのサイズの写真集が何冊も。
「えへへ……つい夢中になっちゃって。あっ、ダイヤさんも、こんにちは」
「二人で「参考資料」とやらを集めて……何かの相談ですか」
 ちょっとだけ困った顔を見せて、果南が説明する。
「昨日、曜ちゃんから連絡が来てさ。新曲のPVがあと少しでできない、って」
「え……でも、この前のミーティングのとき、みんなで観たじゃありませんか」
「あれは仮編集版だよ。曜ちゃんもあのときは自信があったみたいなんだけど、いざ完成、というときになって、結末がしっくり来なくなっちゃったらしいんだ」
「それで、今度の曲――『HAPPY PARTY TRAIN』は、果南さんがセンターで、その次に目立つのは善子ちゃんと私だから、三人の意見が聞きたいって曜さんが」
「曜ちゃん、昼休みは部室で衣装の仕事をしなきゃいけないから、放課後に四人で会って打ち合わせる約束なんだけど、その前に私たちだけでもちょっと話しておこうか、って約束してたの」
「津島さんは」
「『地獄に堕ちた映画監督の魂を召喚してよきアイディアを』とかなんとか言いながら占いを始めたので放っておきました」
「地獄に行ったんなら、才能がないんじゃ」
「悪魔に魂を売って傑作をものにした、ということじゃないでしょうか」
「なるほど」
「そんなことはどうでもいいでしょう……曜さんはどこが気に入らないのかしら」
「この部分だそうです」
 準備良く、花丸が手元のファイルから紙を取り出して広げる。簡単なイラストと説明のメモ書きが並んだ、絵コンテというものだ。先々週の撮影のとき、渡辺曜がみなに配ってくれた、PVの設計図といえるもの。
 今回のPVは、大まかなストーリーが設定されている。沼津の街を、果南が電車に乗って旅立つ。合間に、Aqoursのみんなの日常が描かれる。果南は一人旅を続けるけれど、やがて故郷に戻ってくる。合間に、学校の屋上で撮影したダンスパートが挿入される。
 旅と言っても、遠方まででかける余裕はないから、撮影には三島駅伊豆長岡駅を使った。それでも、以前からビデオ撮影やネット配信に親しんでいた渡辺曜津島善子の技術のおかげで、雰囲気のあるなかなかのものに仕上がりつつある、と思っていた。
 花丸が差し出した絵コンテは、PVの終盤の部分のものだ。果南が伊豆長岡駅のホームに降り立ち、改札を出る。そこには彼女を迎えるAqoursのみんなが待っている。笑顔になった果南。曲の大サビを屋上のダンスで描いて、フィナーレとなる。
「これのどこが駄目なんでしょう」
「大サビのわたしのソロ、うまく踊れてなかったのかな」果南はカウンターに軽く腰かけて溜め息をつき、花丸の顔と絵コンテを覗き込む。
「そんなことないです!あのパート、撮影後に見せてもらいましたけど、すごく素敵でした」
「花丸ちゃんがそう言ってくれるなら……大丈夫、かな」
「あ、あの、おらだけじゃなくてもちろん、曜さんも、千歌さんもそう言ってたずら」
 花丸の顔が少し赤い。少し弱気になったときの果南の、低い声と下がった眉とかすかに濡れた目は、時々こういう反応を呼ぶ。
 不用意に距離を縮めて下級生の心を乱している旧友の腰を軽く叩いて、カウンターから降りるよう促す。
「具体的に、曜さんは何か言っていないんですか」
「私も気になるので、さっきラインしてみました。返事がこれです――
『素材はとてもいいんだよ~』
『でも、流れ?っていうか、すわり?っていうか』
『なんかしっくりこないんだよね~』
『もう一声!もう一声なんだよ』
 ――以上です」
「なんじゃそりゃあ」
「漠然としてますわね」
「こうなると、色々自由に考えてみたほうがいいのかなって。それで」
「これだけたくさんの資料を集めた、と」
 果南が山の一冊を手にとって開く。
「『日本の私鉄のあゆみ』……。西武線って聞いたことあるなあ」
 それは東京の私鉄ではないのか。複雑怪奇な路線図の映像が脳裏に閃いて、子供の頃迷子になった記憶に、背中を冷や汗が伝う。
「今回の曲のテーマの一つは電車ですから、その歴史を辿ってみては、と」
「こっちは『世界鉄道全史』……?」
「花丸さんの探究心旺盛なところ、私は好きですが、いくらなんでも辿り過ぎでしょう」
「こっちのは写真集だね」
「『世界の旅客列車』、『豪華列車でいく日本のまだ見ぬ風景』、『廃線写真集』……まあ、確かに綺麗ですが」
「うわ、見てよダイヤ。この豊後森ってところ、雰囲気あっていいねえ」
「ライトアップが綺麗ですね」
「星空も……!あー、こんなところで天体観測、できたらいいなあ。ここでクライマックスのダンスシーンを撮影するってのはどう?」
「いまさらそんな遠くまで出かける余裕はありません」
大分県ですからね。九州です」
「ええっ、そうなの。そりゃさすがに厳しいか」
「鉄道や旅行をテーマにした写真集はとても美しいですけれど、PVに取り入れるにはハードルが高いですね」
「ダイヤさんの仰るとおりです……。でも、そのあたりのきれいな写真を見ていたら、こんなものも思い出して」
 花丸は先程まで読んでいたと思しき本を手にとって、私たちに表紙を示す。
「『銀河鉄道の夜』」
宮沢賢治かあ。小学校のとき、国語の授業で習ったな」
「私も、子供のころに読んだきりだったので、先程読み返してみました」
「友達と二人で銀河鉄道の旅に出るんだよね。ええと、確か、主人公の名前がカムパネルラで」
「主人公はジョバンニでは。一緒に旅をする友人のほうがカムパネルラです」
「外国の人の名前は覚えづらいんだよ……くつくつ笑うのは?」
「それはクラムボン
「『やまなし』ですね。賢治の言葉はよく耳に残ります」
「カムパネルラ、っていう名前もきれいな響きだよね。でもそのカムパネルラは……」
「そう、銀河鉄道の旅は、ジョバンニが野原でうたた寝して見ていた夢でした」
「街にもどるとカムパネルラは川に溺れて死んでいた」
「ダイヤが言うとすごく残虐な話に聞こえる」
「文句は宮沢賢治に言ってください」
「はは……でも、賢治も最初はカムパネルラの死を描いていなかったんですよ」
「どういうこと」
「『銀河鉄道の夜』は未完なんです。賢治は何年もかけて『銀河鉄道の夜』の手直しをしていたんですが、結局、完成させる前に亡くなってしまいました。残された原稿は、色々な時期に書いた部分を組み合わせた不完全なものなんです」
「でも、こうやって本になってるよね」
「賢治の死後、他の人が原稿を編集して発表したんです。そして最初に公になったのが、カムパネルラが死なない『銀河鉄道の夜』」
 これがそうですね、と花丸は分厚い『宮沢賢治全集』のうちの一冊を開く。
「ここには、川で溺れたカムパネルラのエピソードはありません。もちろん、鉄道の中の会話で、彼が死んでいるだろうことは暗に示されているのですが」
ブルカニロ博士?こんな人、出てきたっけ」
「そう。こちらの『銀河鉄道の夜』では、銀河鉄道のシーンは、主人公のジョバンニにブルカニロ博士が見せていた幻影だったという設定なんです。博士はジョバンニに、銀河鉄道のなかで抱いた他者へ尽くす心を忘れず、大志を抱いて生きるように諭します」
「なんだかこのジョバンニ、使命感に燃えてるね」
「この『銀河鉄道の夜』は多くの人に親しまれてきましたが、のちに、それぞれの原稿が書かれた順番を詳しく検証した研究にもとづいた、こちらの『銀河鉄道の夜』が出版されました」
 こちらも宮沢賢治全集。開くと、「『銀河鉄道の夜』第四次稿」とある。
「研究の結果、宮沢賢治は大きく分けて四回、原稿に手を入れたことがわかったんです。ブルカニロ博士が登場するものが三番目の原稿で「第三次稿」、そしてこれが「第四次稿」と呼ばれている、私たちがよく知っている内容のものです」
「本当だ。カムパネルラ、死んでる」
「果南さんの物言いのほうが残酷だと思います」
「いや、だってさ、カムパネルラのお父さんがすごく冷静に言うじゃん。『もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。』。正直、冷酷だよね……」
「こちらのジョバンニも、理想を目指そうと決意して現実に帰ってきますが、その後でカムパネルラの死に直面するんです。それも、ジョバンニが理想とする自己犠牲の精神を全うしたすえの死です」
「やるせないね」
「いまだに、前の版のほうがいい、というファンも多いみたいです」
「でも――やっぱり、こっちのほうが『銀河鉄道の夜』、だな」
 果南の言葉に花丸が顔を輝かせる。
「やっぱり果南さんもそう思うずら?!」
「うん。ブルカニロ博士はさ、なんていうか、答えを全部言っちゃってる感じ、っていうか。それじゃあ、ジョバンニとカムパネルラの今までの旅は何だったの、って思うよ」
「そうずら!ジョバンニにとって一番大事なのは、カムパネルラと一緒に旅をして、最後にカムパネルラを失うことだったはずずら。カムパネルラはジョバンニにそっくりずら。同じ理想を目指して、ともに生きていた友人を失ってしまう――それはとてもつらいことだけれど、それでこそジョバンニはきっとこれから強く生きていけるはずずら!」
 熱のこもった花丸は永遠に話していられそうだ。私は割り込んで言う。
「それで、このお話をどうPVに活かすのです」
「果南さんにとってのカムパネルラを登場させるのずら……!」
「私にとってのカムパネルラ?」
「そうずら。共に旅に出て、一緒に新たな景色を目撃し、成長し、笑いあい……」
「おおー、電車に乗るのが私だけじゃなくなるんだね。この場合、やっぱり千歌かな。いや、友達ってことなら鞠莉かダイヤ」
「そう!果南さんは大切なAqoursの誰かとともに旅に出るずら。そして最後に、カムパネルラは死んでしまうずら」
「ええっ、死ぬの」
「旅の途中、居眠りしてしまった果南さんが目を覚ますと、車両のなかには誰もいないずら。慌てて電車を降りる果南さん。駅のホームにAqoursのみんなが待っています。あれ、でも、一人足りない。悲しい顔をしたみんなが言います、彼女は狩野川で溺れてしまって……」
「いやいやいや」
「カムパネルラこと高海千歌は、いじめっ子のザネリこと津島善子を助けるために川に飛び込んだまま帰らぬ人となったのずら……PVのラストシーンは、『45分たちましたから』という志満さんと、泣きながら牛乳瓶を持って走ってゆく果南さんのロングショットずら~」
「誰がザネリよ!」
 図書室のドアから、津島善子がひょっこり顔をのぞかせた。
「打ち合わせはどんな具合かと思って来てみたら、案の定ずら丸の文学妄想大会じゃない」
「映画監督は降霊できたの?」
「よくよく考えたらまだ生きてる人しか知らなかったわ。昔の映画の本を借りてまた放課後やってみる」
「往生際が悪いよ善子ちゃん」
「だからヨハネよ! だいたい往生際が悪いのはずら丸だって同じじゃない。今さら登場人物を増やすアイディアなんて。電車のなかのシーン、撮り直しじゃない」
「それに、誰かが死んじゃうっていうのはどうなのかな……。スクールアイドルのPVは、あくまで楽しい雰囲気にしておきたいかな」
「で、でも、古今東西の優れた物語の多くは悲劇ずら! 『オイディプス王』、『ロミオとジュリエット』、『ボヴァリー夫人』に『こころ』……」
「そ、それはそうなのかもしれないけど。でも、ほら、タイトルも『HAPPY PARTY TRAIN』だし」
「人が死ぬような内容だと、学校や地域の評判も悪くなるかもしれないわよ」
「た、確かにそうずらね……前言撤回ずら」
 意気消沈した彼女に追い打ちをかけるように、授業開始五分前の予鈴が鳴った。
「――花丸さん、この本、借りてもよいですか」
 もちろんです、と花丸は少し慌てて言う。私は懐から生徒手帳を取り出して花丸に渡す。手慣れた様子で花丸は裏表紙のバーコードと、私が示した一冊の本のバーコードをパソコンに読み込ませて、手続きを済ませてくれた。
「さあ、五限が始まりますよ。打ち合わせは終わりにしましょう」
「ええーっ、PVのアイディアは。それに五限は確か自習でしょ。ちょっとくらい遅れたって」
「自習とはいえ授業は授業。定刻までに着席していなくてはいけません。だいたい、一年生のお二人は自習ではないでしょう」
 かたぶつめ、と毒づく果南は放っておき、カウンター周りの片づけをしている花丸と彼女を手伝う善子に「それではまた放課後」と声をかけて、私は図書室を出た。

♪♪♪

 五限が始まって間もなく、私は自習用に持ってきていた参考書を読むのを諦めた。机のなかに入れた本が気になって仕方なかったからだ。
 文庫本の最初の数ページに、モノクロの写真が掲載されている。作者である宮沢賢治自身の写真や、彼の故郷の岩手県の風景に混ざって、賢治の妹である宮沢トシの写真があった。大昔の写真にありがちな、硬い表情とぼんやりした陰影のせいで、彼女の感情は読み取れない。
 賢治とトシの顔を交互に見比べる。兄と妹。
 先程図書室でこの文庫本をぱらぱらとめくっていたとき、巻末の解説のなかの一文が目に残った。
「第三次稿と第四次稿には様々なちがいがある。ブルカニロ博士をはじめとするいくつかの人物が増減し、場面が差し替えられた。しかし、宮沢賢治本人にとって最も変化したのは、カムパネルラだったのではないかとわたしは考える。第四次稿において彼に関する描写は大きく変わらないが、賢治はそこに、急逝した妹の姿を重ねて見ている。結果として、賢治にとって『銀河鉄道の夜』という物語がもつ意味じたいが、大きく変わっているのだ。理想を讃える物語から、亡き妹を思う物語へと」
 そう、宮沢賢治にも妹がいたのだった。どうにも今日は、きょうだいの物語に縁がある。
 私は『銀河鉄道の夜』第四次稿を、最初から読み直す。ジョバンニとカムパネルラの姿を思い浮かべる私の頭に、賢治とトシの姿がフラッシュバックする。それから、『シング・ストリート』の兄弟たち。
 そして、私の妹。
 銀河鉄道の旅を終え、現実に戻ったジョバンニは、カムパネルラの死を知る。哀しみを抱えて家へと走るジョバンニの姿に、私は励ましの声をかけてあげたくなる。文庫本のページと私の頭の間のどこかにある空想の宇宙のなかで、ふいに、ルビィの髪の赤い影がわずかに瞬いたように思えた。
 ジョバンニとカムパネルラは兄弟ではない。けれども解説の文章が訴える通り、この二人の間には、兄弟のような繋がり、似たところがあるように感じた。
 鞠莉と映画のことでもめたせいだろう、自分はきょうだいの物語を意識しすぎている。表面的には、兄弟の物語ではないのに。これから兄弟姉妹を扱う映画や小説を目にするたび、こんなふうに苦しくなったら厄介だ。
 そういえば、と私は思う。
 『シング・ストリート』も、もしかしたら『銀河鉄道の夜』も、兄弟関係を扱った物語だけれど、果南や鞠莉のようにきょうだいがいない人間によっても愛されている。宮沢賢治とトシのエピソードも同じだ。
 ということは、問題は、兄弟であるかどうか、肉親であるかどうかということではないのだ。
 だから賢治はカムパネルラをジョバンニの兄弟という設定にはしなかった。ブルカニロ博士のエピソードをまるごと削除できたのだ、やろうと思えば二人を兄弟にすることなどわけもないだろう。
 ジョバンニとカムパネルラは兄弟ではないが、ほとんどきょうだいだった。
 自分にとても似通った、けれど決定的に違う他者。そのことさえ満たしていれば、きょうだいの物語は成立するのだ。
 わたしはPVにどのように手を加えればよいか、わかったように思った。文庫本を閉じて、教室の左右を見る。前の席のクラスメイトに、英語の構文を教えてあげている鞠莉。机に突っ伏して寝ている果南。
 時折、私には二人の横顔がそっくりに見える。本人たちはきっと否定するから、そう言ったことはない。でも、彼女たちだって、きっと立派な「きょうだい」だ。

 ♪♪♪

 六限と学活のあと、帰り支度をしていると、教室のドアをけたたましく開けて渡辺曜が入ってきた。
「ダイヤさん!あのアイディア、いいです!絵コンテにしてみました!」
 私の席まで一気に駆け寄って、クリアファイルに入った絵コンテの束を差し出す。
 周りの三年生たちがあっけにとられているのにも構わず、コンテを見せながらまくしたてる。好きなおもちゃを見つけた子供みたい。こういうところは高海千歌とそっくり。
「変更は二番のサビからです。電車のなかで、果南さんの向かいの席にもう一人の果南さんが現れます」
 私は絵コンテを受け取って読む。
 そう、物語に描かれるきょうだいたちは、みな主人公の写し絵なのだ。自分そっくりのもうひとりの自分。そして主人公たちは、自分そっくりの、しかし決して同じではない相手のことを見て、悩み、成長していく。
 PVでは、それを果南一人で描いてしまってはどうか。
 私は五限と六限のあいだの休み時間でそんなことをメールに書き、渡辺曜に送った。彼女はそれを受け止めて、六限の間に絵コンテを作ってきてくれたらしい。授業はどうしたのと言いたいけれど、自分の考えが間違っていなかったように感じられて、私は少し上気する。
 何コマか、一度描かれて斜線を引かれたものがある。曜の最初のイメージは、子供のころの果南やAqoursの面々が、果南の周りにいる、というものだったようだ。
「さすがに昔のみんなの撮影はできませんから。子供の頃の写真を挟み込むっていうのも考えたんですが、そんなことをしていたらどんどん完成が遠のきそうだし」
「でも、素敵ね」
 ありがとうございます、と曜が笑う。
「電車の中のもう一人の果南ちゃんは、ストックの映像を反転させて使えばうまくいきます」
 絵コンテの次のコマで、二人の向かい合った果南は、夕焼けの屋上に移動している。私服姿の果南と、ダンス衣装の果南だ。手を触れ合わせると、二人は光に包まれる。
「この屋上のシーンは追加撮影が必要です。できれば今日にでも」
「いいねー、やろうやろう」
 いつの間にか私の真横に来て絵コンテを覗き込んでいたらしい果南が賛同する。彼女も乗り気らしい。
「大サビと、曲のあと、駅でみんなに迎えられる果南さんは今のままです。ただ、このシーンが……」
「去ってゆくもう一人のわたし、か」
「この前の撮影のとき、私は果南さんと同じ電車に乗っちゃったから、ホームからみた果南さんの映像がないんです」
「それなら、たぶん、鞠莉さんが録っているはずですわ」
 みなの目が一斉に鞠莉に集中する。
「え?わたし?」
 突然自分が話題の中心になって、少し離れたところにいた鞠莉は目を丸くする。
「ロケのとき、わたしと鞠莉さんは電車に乗った撮影チームと分かれて、三島駅に残ったのですわ。沼津駅の方面に用事があったから」
「あ、そういえば」
 そのとき、彼女は予約していた『シング・ストリート』のブルーレイを取りに行ったのだ。これも映画のことを考えていて思い出したこと。
「鞠莉さん、果南さんをスマートフォンで撮影していたのではないかしら」
 よく覚えてるねえダイヤ、と言いながら鞠莉は手元のスマートフォンを操作する。オゥ、ほんとだ、と自分で自分に驚いて、動画の流れる画面を皆にみせる。
 ゆっくり動き始める電車のなかの果南。撮影されていることに気づいてこちらを向く。にっこりと笑って、手を振る。
 とてもいい笑顔だ。
 またネ~、と、撮影しているときの鞠莉の能天気な声が教室に響いた。
「おおー、OKOK!これと、屋上の追加撮影分をうまく組み合わせれば、イケる!イケるよダイヤさん!」
 曜がガッツポーズで喜ぶ。
 と、教室のドアがさっきよりももっとけたたましく開かれる。声を聞かなくても誰かわかる。「失礼します!曜ちゃん、置いてくなんてひどいよー」
 高海千歌だ。その後ろから、失礼します、と言って桜内梨子が続く。「ごめんね曜ちゃん、ダイヤさんに早く見てほしくて――」合流した二年生と果南が、新しい絵コンテを囲んでにぎやかに騒ぎはじめる。大騒ぎしているだけのようで、着々と屋上での追加撮影の算段が決まっていく。これでPVは一安心。
 私は鞠莉に話しかける。
「朝はごめんなさい」
「あ、映画のこと?あ、いや、ワタシも大人げないっていうか……」
「たぶん、あまりに身近な物語って、近すぎるせいでよく見えないことがあるの。大きい山の近くからだと、頂上が見えなくなる、というような。だから、兄弟の物語って、たぶんちょっと苦手」
 鞠莉の眉が八の字になる。いや、だから、そんな顔をさせたいんじゃなくって。
「でもあの映画は好き。嫌いじゃない。それはほんとう」
「ダイヤ……!」
 下がっていた眉があがる。
「それで、サウンドトラックはいつ貸していただけるのですか」
「そうこなくっちゃ―!ダイヤー!!」
 鞠莉が私を全力で抱きしめる。全く大げさな人。でも、サウンドトラックが楽しみだから、私も笑う。
 鞠莉に抱きしめられたままの格好で、教室のドアのほうが視界に入る。一年生たちもそこにやってきている。さすがに上級の教室であることに気後れして、足を踏み入れていない。興味津々といった顔の善子と花丸の後ろから、ルビィが恐る恐るこちらを覗き込むのが見えた。
 私は、ルビィと目を合わせて、軽く手を振った。自分でも、こんな風に振る舞うのは珍しいな、と思いながら。
 ルビィがほっとした笑顔で、手を振り返す。私と同じペースで、その小さな手が揺れるのを見て、私はもっと笑顔になる。

(おわり)

 


Adam Levine - Go Now (from Sing Street)

 

聴こえるのはだれの声?『ラブライブ!サンシャイン!!』オリジナルサウンドトラック レビュー

 

 

 アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の劇伴を、シリーズ前作の『ラブライブ!』のものと比べたとき、誰でもわかる大きな違いが一つあります。
 それは、スクールアイドル以外の「声」が含まれていることです。


 まずはサウンドトラックCDのディスク1・8曲目(1-8と略。以下同様)『ニネンブゥリデスカ』を聴いてみてください。アニメ放送当時、大いに話題を呼んだコミカルな曲です。女性らしき声のコーラス*1だけでシンプルに構成されていますが、アニメ第1話でこの曲をバックに派手に自家用ヘリで登場し、曲名にも用いられた「ニネンブゥリデスカ」と含みのある謎のせりふを残す小原鞠莉のわけのわからなさを引き立て、結果としては恐らく本作のサントラ中でもっとも人々の記憶に残った一曲となったといえるでしょう。
 この声が全面的に使われるのは、1-20『Carrot & Stick』です*2。第2話、生徒会室でダイヤがμ'sについて熱く語るさまと、学校前バス停でルビィと千歌がユーモラスにじゃれつくさまを交互に描くシーンで使われています。1-8とはがらりと変わり、様々な楽器が賑やかに鳴る楽曲です。音頭のような脳天気な雰囲気に、バンジョーとバイオリンが加える若干の愁いと民族音楽風の響きがとても魅力的です。
 1-24『ウチウラータイム』では、コーラスではありませんが、口笛が主旋律を奏でています。これも人の口による楽器ですから、「声」に準じたものと言ってもいいかもしれません。曲名からわかる通り、これは沖縄の音楽の雰囲気を取り入れるためでしょう。ウクレレとエレクトリックギターの音色とあいまって、穏やかでのんびりした内浦の空気感を魅力的に伝えてくれます。
 続く1-25『スクールアイドルに恋してる』では、再びコーラスが用いられます。高海千歌が抱くμ'sへの憧れを高らかに歌い上げる一曲です。それまではキャラクターや物語の舞台の個性を表していた「声」がまずは低く響いて、その後、高揚感のあるメインテーマの変奏が奏でられていきます。まるでその展開は、内浦で暮らす千歌たちの人生に、スクールアイドルという輝かしい存在が現れた物語の経緯を示しているかのようです。


 『ラブライブ!』、特にアニメ一期の劇伴は打ち込みが多く、二期、映画と後の作品になるに従って生楽器が増えていきます。恐らく、作品のヒットに伴い、音楽づくりに費やせる予算と労力が増えたということなのでしょう。『サンシャイン!!』において、人の声*3を始めとする『ラブライブ!』になかった楽器が多数使われていることも、そんな製作事情が大前提としてあるに違いありません。
 それをわかったうえで、わたしは考えます。この「声」はだれの声なのか、と。


 映画やアニメの劇伴において、ある楽器が物語の登場人物を象徴して用いられる、ということはよくあることです。というか、『ラブライブ!サンシャイン!!』の場合、その技法が極めてわかりやすく効果的に使われています。言うまでもないでしょうが、ピアノ=桜内梨子、ということです。
 1-2『桜色の風』を始めとして、梨子の関係する楽曲ではピアノが中心になっていますし、梨子を除くAqours8人の歌う『想いよひとつになれ』においては、まさしくピアノの音が梨子の「声」として扱われています。
 同様に、劇伴におけるコーラスの「声」もまた、作品世界のなかの人々の「声」として扱われているのではないでしょうか?
 それは誰かといえば、Aqours以外の沼津・内浦の人々です。


 サウンドトラックに収められている楽曲のなかで「声」が用いられているトラックは、前述のものに加え、『LET'S GET DOWN』『新理事長がやって来るOh! Oh! Oh!』『妄想作戦会議』『It's a sunny day!』『陽だまりのリハーサルスタジオ』『ウキウキ夏合宿』があります。いずれも、ステージに立っていない、日常のAqoursを描くシーンで用いられた楽曲です。Aqoursの日常に存在する音としてこの声は用いられている。
 一方、内浦や沼津を舞台としていても、各メンバーの物語が劇的に展開する場面、たとえば千歌と梨子が初めて出会ったり、鞠莉と果南が和解したり、といったAqoursたち本人しか介在しない場面においては、この声は響きません。
 こうしたことからすると、この「声」がAqours以外の人々を表すものだというのも、そう無理な考えではないのではないでしょうか。
 しかし、『ラブライブ!』という作品において、主人公たち以外の「声」が響くということには極めて重い意味が生じます。


 『ラブライブ!』、特にアニメ版の物語は、μ'sの9人になかば非現実的なほどに的を絞って組み立てられています。『ラブライブ!』の京極尚彦監督は、μ'sの9人全員がいないと成立しない物語を作ろうとしたと語っていますが*4、それは同時に、9人さえいれば成立する物語だ、ということでもあります。二期第9話における音ノ木坂学院の生徒や、映画における全国のスクールアイドルなど、物語のなかで重要な役割を担う他者はいるものの、いずれも一期でμ'sというグループの物語が確立したあとのことですし、それでもそうした演出に対するファンからの反発もあったように記憶しています。
 また、ライブにおいても、μ'sのメンバーが「1」、「2」...と点呼していくくだりで、一部の観客がファンも十人目のメンバーであるという意味で「10」と声をあげる行為も、多くの観客から批判されていたようです。
 μ's九人に的を絞った作劇によって成り立ち、人気を得た『ラブライブ!』という作品においては、かように、主人公たち以外の「声」が響くことは、それまでの作劇の方針から外れることでもあるし、ファンの親しんだ世界観を崩すことでもあるわけです。


 しかし、『サンシャイン!!』のアニメ13話で、その不文律は大きく崩されました。
 わたしは、13話は、物語中の浦の星女学院の生徒たちや地元に住む人々、ひいては画面のこちら側にいるファンたちをAqoursの「十人目」のメンバーともいうべき存在として迎え入れることを一つの目的としていると考えています*5
 そこから逆に考えると、音楽においてAqours以外の声が響いていたことは、その13話の描くテーマを物語の当初から準備するためだったのではないか、とさえ思えてくるのです。

 

 前述の通り、あくまで劇伴のなかの声は、Aqoursの日常のなかでしか響いていません。
 アニメ13話で描かれ、また多くの視聴者が問題としたのは、Aqours以外の人々がステージの前へと招かれることでした。劇伴が行っていたAqours以外の「声」の扱いから、さらに一線を超えた演出です。
 13話以降の物語を描くであろうアニメ二期において、果たしてAqours以外の人々はどう扱われるのでしょうか。そのことは、劇伴にも影響を及ぼすでしょう。アニメ二期の劇伴で、どこで「声」は響くのか。案外そのことは、作品全体のテーマを大きく左右することになるのかもしれません。

 


TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』オリジナルサウンドトラック「Sailing to the Sunshine」CM

*1:ハミング、あるいはスキャットと呼ぶべきなのでしょうか?

*2:サウンドトラックの順番では1話で流れる『LET'S GET DOWN』のほうが先なのですが、コーラス部分はほぼ使われていません。

*3:なお、サウンドトラックCDのクレジットには、コーラスについてのクレジットがありません。とすると、この声はシンセサイザーで作られた人工的なものなのでしょうか? 素人の耳には人の声のように聴こえるのですが...。

*4:ラブライブ!TVアニメオフィシャルBOOK』

*5:「わたしたち」から「君」へ/『ラブライブ!サンシャイン!!』13話のこと」 http://tegi.hatenablog.com/entry/2016/10/05/012803