こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

『ラブライブ!サンシャイン!!』放送直前に思うこと


【番宣PV】TVアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」番宣PV

 

 いま、2016年7月2日の21時49分にこの文章を書き始めている。

 ついにあと三十分でアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の放送が始まる。

 幸運なことに、ぼくは今年の1月に行われたAqours初のイベントに参加できた。
 その時、Aqoursの9人には幾度も輝く瞬間が訪れていたのだけれど、群を抜いて印象に残ったのは、演者たちがあるシチュエーションを設定され、各キャラクターのセリフを自分で考えて演じる、というコーナーにおける伊波杏樹の演技だった。彼女の演技が終わったとき、会場にはどよめきが起きた。それほどに彼女の演技は、言葉は、μ'sにあこがれてスクールアイドルを目指す沼津の少女、高海千歌の真髄を捉えていたのだ。
 あの瞬間、ぼくは伊波杏樹という人がこのまま高海千歌を演じる限り、『ラブライブ!サンシャイン!!』は大丈夫だ、と思った。

 イベント後半で行われたライブシーンのころになると、その直感は安心に変わっていた。Aqoursはμ'sと同様に素晴らしい歌とダンスを披露し、輝いていた。スクールアイドルという虚構を背負って、現実の世界でみごとに輝いていた。

 

 アニメ化の発表以降、セカンドシングル、各種イベント、そしてユニット別シングルとAqoursの活動はテンポよく様々な展開をみせていった。メディア露出も増え、また特に楽曲のクオリティが高いことから、世間の評価も徐々に上がっていったように感じる。
 ぼくはといえば、当初注目していた国木田花丸(高槻かなこ)に加え、松浦果南(諏訪ななか)、津島善子(小林愛香)と好きな人が三人に増えて困惑している。こんなに好きになるつもりはなかったんですけど。
 要するに、Aqoursはアイドルとしてすでに成功している。少なくともぼくのなかでは。

 

 そもそも、異常な成功をおさめたμ'sに続くチームとして招集され、たった一年でアニメ化を迎えるという無茶な境遇に置かれているのだから、Aqoursに一定の人気が集まるのは当然のことなのだ。アイドルとは、その実力そのものの値ではなく、さまざまなギャップの表れ(逆境に負けず頑張る、とか、実力を越えて魅力を打ち出す、とか)こそ愛されるのだから。判官贔屓と言ったっていい。
 なお、そういう無茶な戦場に放り出される異能者集団としてぼくは勝手にAqoursは『スーサイド・スクワッド』であり伊波杏樹マーゴット・ロビーであるという直感を得ているのですけどまあそれは本当にたわごとなので省略します。

 

 『ラブライブ!サンシャイン!!』がアニメで問われるのは、Aqoursの「スクールアイドルの物語」としての価値だと思う。
 Aqoursの人たちは、ステージ上にスクールアイドルとしてのAqoursを一時的に召喚することはできるけれども、真にスクールアイドルとして生きることはできない。だから、その物語は、アニメでしか語りえない*1

 スクールアイドルの物語として、μ'sの『ラブライブ!』を振り返るとき、たとえば一期一話、『ススメ→トゥモロウ』の直前でμ'sの9人の「いったいどうすれば?」という言葉を経て穂乃果が歌い出す瞬間であるとか、映画の『Sunny Day Song』においてスクールアイドルたちが歌う情景であるとか、スクールアイドルの物語でしか表現しえない感動のポイントが幾度も思い出される。
 かような感動を、『ラブライブ!サンシャイン!!』では、何度味わえるだろうか。
 できることなら何度も味わいたい。けれど、贅沢は言わない。たった一度でもいいのだ。ぼくはその瞬間を心待ちにしている。

 あと二十分で、物語の幕が開く。

*1:公野櫻子による物語はすでに公野櫻子が書いているという時点で合格している。