こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

千歌が越えた一線と、言葉について/『ラブライブ!サンシャイン!!』3話までの感想を語る


Aqours ラブライブ!サンシャイン!! OPテーマソング 「青空Jumping Heart」CM (60秒ver.)

 

 アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の放送が始まってから三週間が経った。16日の放送で、3話目までを放送したことになる。

 

 驚いたのは、予想以上にμ'sの存在が大きく描かれることだった。これまでの『ラブライブ!サンシャイン!!』におけるμ'sの扱いからして、μ'sはμ's、AqoursAqoursと割りきった姿勢になるものと思っていたのだけれども、むしろμ'sへの言及は回を重ねるごとに色濃くなっているようにみえる。
 シリーズものの作品は、ファンから過去作への敬意を求められるものだが、『サンシャイン』におけるμ'sへの言及はそういったマナーの範疇を超えている。
 これは、作中の登場人物たち自身が、μ'sへの並々ならぬ感情を抱えているからに他ならない。Aqoursの発起人・高海千歌はμ'sのライブ映像を観てスクールアイドルを志す。彼女を叱咤する(そして暗に助ける)黒澤ダイヤも、μ'sの熱心なファンであることが示される。
 ダイヤは、波乱含みながらもファーストライブを成功させた千歌に言う。「これは今までのスクールアイドルの努力と、町の人たちの善意があっての成功ですわ。勘違いしないように」、と。これはそのまま、現実でのAqoursが置かれた状況への言葉としてもとらえられる。『ラブライブ!サンシャイン!!』がヒットし、Aqoursのイベントに客がつめかけたとしても、それはμ'sと『ラブライブ!』から継続して応援しているファンあってのことなのだ。
 これに対して、千歌はこう応える。
「わかってます。でも、でもただ見てるだけじゃ始まらないって。うまく言えないけど、今しかない瞬間だから。だから、輝きたい!」
 この言葉によって、Aqoursも『ラブライブ!サンシャイン!!』も、ある一線を越える。自分たちが置かれた状況を指し示して、全てわかっていることを示したうえで、そうした周囲のことを差し置いて、自分たちの「輝きたい」という願いを一番大事なものとして掲げる。
 恐らく、3話までぼくの予想以上にμ'sについての言及が多かったのも、この跳躍をより明確にさせるためだ。この発言を起点として(そしてもちろん3話全体で描かれたファーストライブを起点として)、Aqoursの物語がいよいよ本格的に走りだすのだと思われる。

 

 千歌の言葉をもう少し詳しくみてみる。
 物語の転換を告げる大事な台詞のなかに、「うまく言えないけど」という言い訳めいた部分が含まれていることに、僅かな違和感を覚える。そここそが重要なんじゃないのか、と思う。そここそを言ってくれよ、と思う。
 思うのだが、一方あの高坂穂乃果もまたしばしば、言葉では達せられない何かについて、しばしば言葉の無力さを吐露していたのだった*1
 こういう「言葉では掬い取れないものがある」ということを、割合無防備に提示してしまうところは、しばしば『ラブライブ!』(の特にアニメ二期以降)を批判する人の論拠の一つになってきた。
 だが、言葉を使わないことは、真に責められるべきことなのだろうか? 論理や根拠が明白に示されることはおしなべて善なのか。むしろ、言葉や論理を超えたところにあるものこそ、スクールアイドルや『ラブライブ!』が示す善きものなのだ――、と言い張りたくなる気持ちはあるのだが、言わないでおく。『サンシャイン!!』が劇中でそうした瞬間を示した後で(これ!これだよ!と指差しながら)言い張るつもりだ。


 また、こうも思う。ここで千歌は「うまく言えないけど」と言うものの、続ける言葉で見事に心情を伝えきっているじゃないか、と。「輝きたい!」という一言をストレートに解するなら、μ'sのように歌って踊って活躍したい、注目されたい、楽しい気持ちになりたい、ということになるだろう。実にまっすぐな欲望の宣言である。
 「うまく言えないけど」というのは、「体裁よく言えないけど」という意味でもあるのだろう。μ'sがどんなにすばらしかろうと、ファンが献身的に支えてくれようと、そんなものは究極的にはぜんぶ脇において千歌は「輝きたい」と言う。

 個人的には、結局のところそれでいいのだ、と思う。自分がなりたいと思えばなれる、それこそがスクールアイドルなのだと思っている。
 けれども、劇中でも、現実世界でも、Aqoursがスクールアイドルとして認められるまでには、まだいくつかの試練があるのだろう。
 何が――誰が、Aqoursの、そして千歌のまえに立ちはだかるのだろうか。
 μ'sにおける各人の役割が二人に分担されていることが多いAqoursにおいて、『ラブライブ!』一期終盤におけることりの位置には、果南と曜が配置されているのではないか、といまは予想している。そしてさらに妄想を膨らませて、3話でファーストライブを満員の体育館で終わらせたAqoursは、最終話で誰もいない体育館でライブを行い、その状況でこそ掴み取れる輝き、自分たちのためだけの輝きを得るのではないか――などとも思っている。まったくの思いつきですが。


 少なくとも、千歌がひとりで言った「輝き」という言葉を、9人それぞれに「輝きたい」という言葉を裏付ける自分の心を見つけ、抱きとめるところまでAqoursが進むことができれば、彼女たちの「輝き」はμ'sに匹敵する強いものになれるのではないかと思う。いまは期待するしかない。

 

 最後に、エンディング曲『ユメ語るよりユメ歌おう』についてひとこと。

夢を語る言葉より
夢を語る歌にしよう
それならば今を伝えられる気がするから
夢を語る言葉から
夢を語る歌が生まれるんだね
広がるこの想いは
大好きなメロディの繋がりだよね

 ここでもやはり「言葉より」「歌」、と、言葉(論理)を超えるものが提示されるのだが、しかし「言葉から」「歌が生まれるんだね」という転換もあって、ぼくは少しほっとした。
 どんなにμ'sやAqoursに魅せられていても、歌をうたう力はなく、ただ考えたことを言葉に書き留めることしかできない人間にとって、こんな一節は、ある種の救いであったりもするのだった。

*1:たとえば『Heart to Heart』の「難しいことなどわからない/だったら笑顔で語ろうかな」などが端的でわかりやすい。ここでは言葉よりも表情のほうが雄弁であるという価値観が示されている。なお、同曲はゲーム『スクールアイドルフェスティバル』の劇中で穂乃果が作詞した楽曲として描かれる。