こづかい三万円の日々

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浦の星女学院の三人の矢澤にこ/『ラブライブ!サンシャイン!!』6話までのこと

 『ラブライブ!サンシャイン!!』第6話を観た。

 

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 5話を観終わった段階で、どうも鞠莉は作為的にμ'sに近い環境にAqoursを置くことによって、第二のμ'sを内浦に生み出そうとしているのではないか、ってそれ『メタルギアソリッド2』じゃん!S3計画かよ!*1などと思っていたわけですが、いよいよそういう彼女の思惑が明らかになってきました。『ラブライブ!』シリーズ上もっとも腹に色々抱え込んでいるふうの鞠莉さん、とてもよい。
 でも、廃校のことがわかったとき、千歌が絶望なんぞ全くすることなくむしろ音ノ木坂学院と同じ境遇であることを喜んで、「廃校!キター!」とはしゃいでいて笑った。
 なんにせよ非常にメタフィクションな展開でおもしろい。視聴者にとって「廃校の危機」自体はあまりサプライズになっていないけれど、「廃校の危機」というμ'sと共通の視点から自分たちと内浦の町を振り返る機会が、シリーズ中盤になってから生じたのは非常によいタイミングだと思う。Aqoursが挑む試練が、シリーズの進展にあわせてどんどん大きくなってきているわけで。
 それでお次の7話はサブタイトルが『TOKYO』とくる。内浦を再発見した千歌たちが、今度は東京と内浦を比較することになるんだろう。


 今日の本題にうつります。

 Aqoursの9人には、μ'sの9人の様々な要素が分配されている。
 例えば、1stシングル『君の心は輝いてるかい?』で、大サビを歌うのは千歌と梨子だ。μ'sの場合、多くの楽曲の大サビを穂乃果が一人で担当していた。楽曲の中心となるメインボーカルの役が、二人に割り振られているわけだ。
 ともに強烈な「キャラ」を演じていること、そして第5話のサブタイトル『ヨハネ堕天』と『ラブライブ!』1期5話『にこ襲来』の相似からもわかる通り、矢澤にこの役割を色濃く継いでいるのは津島善子だろう。
 では、Aqoursの三年生とμ'sの三年生はどんな関係にあるのだろうか。Aqoursの三年にはにこを引き継ぐものはおらず、絢瀬絵里東條希の二人を三人で分けあっているだけなのか。
 恐らく、そうではない。Aqours三年の三人は、三人ともに、矢澤にこを引き継いでいるのではないか。
 第6話で示されたとおり、松浦果南・小原鞠莉・黒澤ダイヤの三人は、矢澤にこと同様、かつて一度はスクールアイドルを目指し、失敗した人間だ。彼女たちはみな矢澤にこなのだ。

 

 にこは、μ'sの誕生から遡ること二年、音ノ木坂学院アイドル研究部の仲間とともにスクールアイドルの道を歩もうとした。しかし彼女の理想が高すぎたことを主因に仲間が離れていき、一度はスクールアイドルとして表舞台に立つことを諦める*2

 一方、これはアニメ中の断片的表現からの推測ではあるが、果南たち浦の星女学院の三年生もまた、一年生のころにスクールアイドルの道を歩もうとしながら挫折している。
 にこも果南たちも、挫折から二年間、学校のなかでくすぶってきた人間だ。いずれもが、大きな挫折を経て再生する運命にある。『にこ襲来』で、μ'sに加わったにこの物語がユーモラスながらも非常に感動的であったように、果南たちがAqoursに加わるこれからの物語も非常に感動的なものになるだろう。
 更に、ここで見逃してはいけない、にこと果南たちとの間の決定的な違いがある。にこは仲間に去られて一人になったが、アイドル研究部の部員として、最後までスクールアイドルに関わることをやめなかった。それに対して果南たちは、三人が三人ともに、スクールアイドルの道を一度完全にはずれている。すなわち、にこの元を去っていった元部員と同じ側の人間でもあるのだ。

 

 かねがねわたしは、にこの元を去っていった元部員たちがその後どんな学校生活を送ったのか、ということが気になっていた。彼女たちは、どんな目でμ'sの活躍を見守っていたのだろうか。
 一度はにこの仲間だったのだから、スクールアイドルが好きだったはずだ。にこや、花陽や、千歌と同じように。それでもにこの理想についていけず、彼女を見捨ててしまった。
 三年になった彼女たちは、にこが穂乃果たちに出会い、学校内にとどまらない活躍を果たすさまを、目の前で見続けることになったはずだ。それを彼女たちは素直に受け入れられただろうか。そのとき彼女たちは、後悔と葛藤を抱えざるを得なかったのではないか。そんな彼女たちとにこは、再び顔をあわせて笑うことができただろうか。
 にことともに走りきれなかった――μ'sになりきれなかった、名も無き三年生たちの物語は、もちろん『ラブライブ!』本編中では描かれない。それは当然のことだが、しかし「μ'sになれない人間」という、視聴者のわたし自身に近い存在*3である彼女たちのことについて、わたしは時折考えを巡らさざるを得なかったのだった。

 

 浦の星の三年生はみな「矢澤にこ」であると同時に、この「矢澤にこを見捨てた同級生」でもある。
 これから『サンシャイン』本編では、彼女たちの過去がさらに詳しく描かれていくのだろう。それは、あの名も無き音ノ木坂の人々の語られざる物語の変奏であるのかもしれない。


 にこの同級生がμ'sになれなかったように、また果南たちがμ'sになれなかったように、誰もがμ'sになれるわけではない。
 6話のラストシーンで示されたように、愚直なまでにμ'sの後を追ってきた千歌は気づき始めている。μ'sと自分は違うのだと。
 結局、果南たちがなぜμ'sになれなかったのか(にこの同級生たちがなぜμ'sになれなかったのか)といえば、それはただ単に彼女たちがμ'sとは異なる人間だったからだ。極めて単純かつ残酷なことに、人はどんなに憧れても理想の他人とまったく同じ人間にはなれない。だから自分たちのことを(秋葉原ではない、内浦を)見つめなおすしか道はない。6話で、Aqoursと内浦の双方をPRするためのPVを作成した千歌は、そのことに気づいている。
 千歌は、果南たちの心をどのようにときほぐしていくのだろうか。その物語は、果南たち三年生だけではなく、かつてのにこの仲間たち、そしてμ'sを目指しながらもμ'sには決してなれないAqours自身、その三つの層を貫いて解放をもたらす物語*4になりうるように、わたしには思える。そしてそれは間違いなく、Aqoursにしか語れない物語だ。

*1:プレステ2用アクションゲーム『メタルギアソリッド2:サンズ・オブ・リバティ』は、世界的大ヒット作『メタルギアソリッド』の続編として作られた。一作目と同様に伝説の兵士・スネークの物語であるとみられていたが、発売直前に新人兵士・雷電の物語であることが明らかにされ、ファンの間に物議を醸した。雷電はニューヨークで起きたテロ事件の現場へと潜入するミッションに挑むが、徐々にその事件がかつてスネークが解決したシャドーモセス島事件を模倣していることが明らかにされていく。小島秀夫らしいメタフィクショナルな語り口を織り込みながら、運命を乗り越える人間の力強さを描いた傑作で、個人的にはシリーズ中でいちばん好き。ていうか『ラブライブ!』の記事なのになんでこんなに脚注でメタルギアの話してんの?と思わないではないけど、「作り手が制御できないくらいに大ヒットしてしまった一作目の続編をどうやって作るか」という問題をメタフィクションな語りで突破するという意味で、両作は強く共鳴しうると思うのですよね。

*2:ラブライブ!』アニメ一期5話、東條希の証言に拠る。

*3:などと劇中の人間と自分のことを引きつけて語るのって超きもいと思うんですけどこういう人間なのでご容赦ください。

*4:中心の一人だけではなく、色々な立場の人間が同時に解放される、あるいは自分を解放する。『ラブライブ!サンシャイン!!』はそういう物語なのだと思う。それは、絶対的な「善きこと」を語るのではなく、複数の価値観を共存させることを重視する昨今のハリウッドメジャー(というか、ディズニー)の傑作群とも重なることのように思う。6話で描かれる『夢で夜空を照らしたい』の情景が傑作『塔の上のラプンツェル』を強く連想させることも、その印象に拍車をかける。