こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

平凡な良作『ワールド・オブ・ライズ』


 現代の諜報戦をリアルに、クールに描いた良質なサスペンス。とはいえ、欲求不満も残る。

 冒頭、日本語版タイトルが表示される前に、「この物語はフィクションだが、描かれているのは実際に起きていることだ」というような、日本版オリジナルらしい前口上が映し出される。なかなか格好よいオープニングではあるが、そんなこと、いまさら言われなくってもわかっているよ、とも言いたくなった。本編全体に関しても、抱いた印象は同じだ。
 2009年の現在、情報はあまねく拡散し、世界を覆う嘘をめぐる物語は世の隅々に普及した(書店へ行けば陰謀論の本は腐るほどある)。いまや、国家やマスメディアといった巨大な存在が語るものごとには大なり小なり嘘が交じっているということは、意識的にせよ無意識的にせよ、ほとんどの人々の心の中に刷り込まれていると思う。
 世界は嘘で塗り固められている――そこを暴いたとして、もちろんそれだけでも意味のあることではあるが、ではなぜ世界を嘘で塗り固められているのか、嘘や矛盾を作り出すのはどんな人間たちなのか、という点をも掘り下げていくべきではなかろうか。たとえば『ボーン』三部作は、その問題にも迫っていたから傑作になった。それが欠けていれば、陰謀論を得意げに語るオヤジどもの酒の肴になりさがる可能性が高い*1
 そもそも、リドリー・スコットの意識は、世の欺瞞を暴いてやろうといったところにはないのだと思う。彼を動かしているのは、世界をあるがままに撮る!、というたぐいのフェティッシュな欲望であって、それが極端に発露したとき、「社会派」的な視点と重なることがあるというだけだろう。
 本作においても、輝いているのはブラックホーク・ヘリをかすめていくRPG弾や、次々に切り替わっていく監視画像のシーンであって、ディカプリオがラッセル・クロウのやり口を糾弾したり、スパイとして活動する現地の女性に恋をしたりするエモーショナルなくだりは平々凡々としたものだ。
 どうせなら、輝いていたシーン――人を人と思わない、無機物をこそ美しく描く、スコット親父の欲望が前面に発露するシーン――だけをつなぎあわせていけばいいのに。『ブラックホーク・ダウン』が突き抜けた傑作になったのは、人でなく戦場そのものを描く欲望が突出したからだと思う。

*1:押井守作品のように