- 作者: ルーディラッカー,Rudy Rucker,大森望
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1996/09
- メディア: 文庫
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本作も、三人の子供をあいだに挟んだうんざりするような別居生活や、複数の女に手を出そうと四苦八苦するセックスライフが悲哀をまじえつつも愉快に描写されていて、そのリアルっぷりには頭が下がる。
訳者大森望の解説によれば、ラッカーは本作について自身の体験を色濃く反映した「トランスリアル」と表現しているそう。
ラッカーさん、ほんとうにこんな人生を体験してきたのだろうか。うらやましい。だって主人公のジャージーは、蟻型人工生命をめぐるとんでもないトラブルに巻き込まれながらも、「ちょっとぼうっとした感じの瞳、あごの下の首にはぽっちゃりとしたふくらみ。だれかのセクシーなママという雰囲気」の美女とねんごろになり、またその一方で「スリムで若く、いつも黒い服を着て、長い髪を片側に高く結い上げている。きょときょと動く眼は、半円形のスリットみたいに細くなることがある。赤い口紅をさしたふっくらの口もとは、上唇の左側の荒削りなラインのおかげでさらに完璧」ってなうら若きカリフォルニア・ガールとも家族ぐるみの付き合いをしちゃうのだから。
もっとも、大ボスをもとめるジャージーがシリコン・ヴァレーの雑多な街をあとにして、国際的な追いかけっこをするあたりから考えれば、いわばこれはリアルな中年ハッカー版007なのであって、そこにセックスがらみのプロットが挿入されるのは、ファンタジーの要請として当然のことなのかも。でもそんな007的大活躍をしていても、ジャージーが履いているのは常にビルケンシュトックのラフなサンダルだったりして、そのへんのアンバランスさがまたたまらない魅力になる。
いっぽう近未来SFとしては、1994年という現在のコンピュータ文化の根っこが形成されていたタイミングに発表されたこともあってか、バーチャルなオフィスやショッピングモールが発達したサイバースペースの描写は2009年の今から見てもほぼ違和感なしに楽しめる。その分SFとしては読み応えに欠けるきらいがあるといえないことはないが、80年代のサイバーパンクが持っていたある種のファンタジックでファナティックな技術信仰がないぶん、個人的には大いに楽しめた。
想像を絶するビジョンを見せないSFだってアリだと思うし、ちょっとだけ未来な世界で、ぱっとしない男が奮闘する物語なんて、そう他にはないだろう。そういうわけで、ぼくはこの小説、好きだなあ。