1983年生まれの作家タオ・リンによる2007年のデビュー長編。作者の生年と発表年を見ただけでぼくはもう冷静に読めない。
- 作者: タオ・リン,山崎まどか
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2009/08/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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学生時代には恋人がいたが今はもう縁を切り、深い仲までは至らなかった一人の女の子のことをえんえん想っている。
何をしていても気分は晴れず、たまにテンションが高くなっても、自分の中の冷めた視線が邪魔をする。思ったことをすぐに口に出すせいで、まともな友達づきあいもできない始末。
そういう男の、妄想と現実を行き来する物語。
高学歴だけど無気力な男の、ちょっと現実離れした物語っていうと、つい安直に村上春樹を思い浮かべてしまうが、アンドリューは村上作品の「ぼく」とは違い、作中で一度しかセックスをしない。それも、倦怠期の喧嘩の最中に、ちょっとした気分の盛り上がりから機械的にするセックス。
えんえん想いつづけている女の子:サラとも、一緒に出かけて子供じみた遊びをするだけで、決してセックスはしない。いや、しているのかもしれないけれど、そのことが甘美に描かれたりはしない。
恋人と結びつくのが楽しいことだ、ってことはわかっている。でも、本当にそこに至るべきなのか、至っていいのか、至ったとしてその後どうするのか、そもそもそういうのめんどくさいし、みたいな。そういう雰囲気に満ちている。
セックスに限らず、アンドリューくんは常にそういうムダな回り道をしていて、結局途中で力尽きてしまう。考えることに疲れて、こんなことをつぶやくしかない。
人がみんな違うってのは気が滅入るな。みんなで一人の人間になって、それから一騎打ちで自分も殺せばいいのに。
この雰囲気を評するのはとても難しい。
とりあえず、ものすごく苛々する小説であることは確かだ。アンドリューくんを好きになることはいっさいない。
でも、彼がえんえん語ることは、みごとにぼくの感じる気分を表現してくれているのだよなあ。ああ、うざったい。ぼくもアンドリューくんと融合して、しかるのち一人一騎打ちで死ねばいいと思う。
とりあえず、滝本竜彦が好きな人にはおすすめ。
なお、この小説の技巧的な部分についてはまともに批評する能力がないので省略するが、決して青春時代のナルシシズムを満足させるためだけに書き散らされた凡庸な作品ではないということは言っておきたい。作者のセンスは、タイトルのつけ方や、装丁のかわいさから推して知るべし。