こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

シャマランの作家性衰えず『エアベンダー』

 ユナイテッド・シネマ札幌にて鑑賞。

 前評判が散々で、予告編や周辺情報にも惹かれるものがなく、シャマランももうダメかな、と思いつつ観た。結果としては、まだまだ彼には期待したいな、という気持ちになった。いやまあおれ批判の多い『ヴィレッジ』も『ハプニング』も観てないんですけどね。

 シャマランの初ヒット作『シックス・センス』は、二人の主人公が、自分の立場(力)を認めて受け入れることを軸とした物語だった。ハーレイ・ジョエル・オスメント演じる少年は霊とコミュニケートできる己の力を受け入れ、ブルース・ウィリス演じる医師は……以下略。
 以降、スーパーヒーローに宇宙人と、バラエティに富んだ超常現象の数々をモチーフにしつつも、彼の作品の軸はそこからぶれていないように思える*1。家族の死を受け入れる牧師たち(『サイン』)、自分たちのささやかな役割を受け入れるアパートの住人たち(『レディ・イン・ザ・ウォーター』)、そして本作もまた。

 主人公アンは、精霊の声を聴き人々を導く存在「アバター」の名を継ぐものとして期待されながら、その重圧から逃れて戦乱を招く。一方、アンを執拗に追う火の国の王子ズーコ*2は、粗暴な父の命令に囚われて故郷に帰ることができない。アンは自分の正しい責務から逃げたために苦しみ、ズーコは誤った責務を背負ったために苦しむ。
 『ハリー・ポッター』でも『パーシー・ジャクソン』でもいい、ここ最近はやりの貴種流離譚なファンタジー映画と同様に、映画のクライマックスにおいてアンは自分の真の力を発揮して勝利をおさめる。よくある筋書きといえばそれまでなのだが、そこに至る苦しみと解放の描写にシャマランの力が強く注がれており、そうしたファンタジー映画の同様のシーンに比べて頭ひとつ飛び抜けた感動がもたらされる。衆人の中で、重責の恐怖に泣きそうになりながら決意をするアンの表情が大写しになるラストカット*3はとくにすばらしい。
 『レディ・イン・ザ・ウォーター』でシャマランが演じる男の役回りからもわかるとおり、彼がこのテーマを繰り返し描くことの根っこには、「おれのすげー才能はいろいろなトラブルをも引きつけてしまう……でもがんばる!だっておれは世界が求める天才だし☆」みたいな鼻持ちならない自信があるのだろう。だから観客や批評家の多くがイライラして罵倒するのはよくわかる。でも、無根拠な自信と万能感を抱えてのうのうと育ち、いざ社会に出てみればゆとりゆとりと嘲られるおれのようなエイティーズ・ボーン・ジャパニーズおたく野郎には、シャマランのエゴと表現が他人事とは思えないのである。まあたいていの人には関係のないことでありましょうが、映画を観て好きになるというのはそういうことである。それだけではないがシャマランに関しては別なのだ自分の場合。

 ナレーションに頼り過ぎの物語展開、シャマランの興味がないところは徹底的に手抜きされている演出など、批判すべきところは多い。前述の、彼がこだわっているであろうテーマも、充分に描ききれているかといえば全くそうではない。例えば、クライマックス直前の水の国の王女の行動など、アンの運命と深く結びつけて描けば、物語の力はより増していたに違いない。
 だが、酷いところは多くあっても、映画の中心にどうしようもなく鎮座しているシャマランの作家性にぼくはこれまでの作品同様に心動かされたし、今後も心動かされたいと感じた。次回作の製作が危ういという噂も聞こえてくるが、なんとか完結にこぎつけて欲しい、と願う。

 音楽のジェームズ・ニュートン・ハワードは、王道ファンタジー映画としての盛り上がりのなかに、いつも通り印象深いフレーズの数々を忍ばせている。シャマランはハワードに音楽を担当してもらっているおかげでずいぶん得をしている。
 ILMVFXは可もなく不可もなく。中盤の長回しアクションシーン、クライマックスの海など、印象深いところがないわけではない。
 長回しアクションは流行っているし格好いいと思うが、シャマランは自身がよく用いる長回しの延長としてあのシーンを構築したのか、あるいは『トゥモロー・ワールド』の、主人公地獄巡り的演出として、時代を読んで取り入れたのだろうか。もし後者だったら面白いと思った。

*1:前述のとおり『ヴィレッジ』『ハプニング』の二作は未確認。

*2:スラムドッグ・ミリオネア』のデブ・パテル。本作で最良の演技をみせる

*3:その後に次作へのつなぎシーンがあるけど。