@tegit: あっそうそう、ヤマトついしん。随所にみられるスターウォーズネタのなかでも、延々訛りをバカにされる飛行士のアレって、ジャー・ジャー・ビンクスリスペクトですよね!なまってるウザイ奴はさっさと退場しろっていう! ...やれやれ。
@tegit: ヤマトつづき。ぼくがこう熱くなるのは、山崎貴は少なくとも第三作目の『ALWAYS三丁目の夕日』あたりまでは、作品が持たざるをえない制約をきちんと把握し、そのなかで最大限にリソースを使いきって、その映画のサイズにみあった中味をきちんとつくっていたからだ。それをなぜやらないんだ。
@tegit: ヤマトつづき。本当に映画「ヤマト」は最大限の力で作られたのか?否。簡単に反証を見つけることができる。宣伝用ブログを見てほしい。こんな馬鹿げたことに使う金があるなら、映画そのものの質を高めるために使え。 URL
@tegit: ヤマトつづき。資源と時間は限られている。そのなかでどうやって最良の結果を残すか。ヤマトという映画のルックにも、また劇中のひとびとの挙動にも、そういうことを観客に伝えるに足るものはなかった。
@tegit: ヤマトつづき。ショックだったのは、古代進が1944年の戦艦大和特攻をなかばよきものとして自らの演説のなかで言及することだ。あれはたしかに一部の人に希望を与えたかもしれないが、大和というリソースを最大限に活かしきる、最良の最期を目指してのものではなかった。そんな希望は希望ではない。
@tegit: ヤマトつづき。しかし結局、世代交代はあいまいなままになされる。「艦長の重圧はそれを担ったものにしかわからない」と、ニヤリと笑う沖田艦長にそれは象徴されていると思う。というか、交代はなされていないのだ。けっきょく新たにあいまいな理想、あいまいな美学にもとづいた玉砕がおきるだけ。
@tegit: ヤマトつづき。映画の中心にあるのは、古代進がいかに沖田艦長の志を継ぐか、という世代交代のドラマだ。ヤマトという無茶な企画をどう料理するのか、特撮からVFXへの切り替えをどう行うのか、など、そこには山崎貴監督じしんのドラマが重なっている。
@tegit: 間あいたけどヤマトつづき。辛いのは、第三艦橋のエピソード以降、どんどん長くなっていくエモーショナルな描写。ヤマトゆえ、邦画ゆえにその手の描写は必要かもしれないけれど、それらのシーンを成功させるために必要な気配りが明らかに足りない。
@tegit: ヤマト続き。オリジナルは観てないけども、伝え聞く設定の粗やダサいビジュアルを、かなりカバーしていたのは偉い。イスカンダルをめぐるどんでん返しと、ヤマトについての艦長の考えもよかった。
@tegit: 『Space Battleship ヤマト』を観たよ..。えーと、まず、諸悪の根源はこの制約に満ちたリメイク企画をすすめやがった製作側にあると言っておきたい。同じ人材と資金でオリジナル企画を自由に作れれば、もっといいものができたはず。そう思うに足る程度の良点はあった。