こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

街から空を見上げる『ザ・タウン』

 圧倒的なスキルと魅力で善を体現しながらも、それまでやってきたことを考えるとどうにも素直に頷けない、世界最強の説教おじいさんクリント・イーストウッドがもつあの独特の雰囲気は、偉人イーストウッドおじいさんだからこそ許されるものであって、彼に憧れる男が真似をしたらそれは心底気持ち悪いものになってしまう。『グラン・トリノ』のラストに熱狂するおじさんたちをみて、「終わりよければすべてよし」となるのは映画のなかだけですよ……と内心憎まれ口を叩いた*1のはぼくだけじゃないはず。
 ベン・アフレックは、そのキャリアからイーストウッドと比較されることが多いですが、老人たちの「よきこと」と対決し、日常を戦うことを選びとる『ゴーン・ベイビー・ゴーン』を作ったという点で、真逆の精神性をもった作家である、とも言えると思います。
 『ゴーン・ベイビー・ゴーン』のラストシーンにおけるケイシー・アフレックの姿が目に焼き付いて離れない身としては、最新作『ザ・タウン』においてもつい、父親世代との対立や、自分の罪とどう向き合うかというところに目をやりがちなのではありますが、前作に比べればそのあたりをライトに描き、むしろ娯楽としての強盗映画の出来に注力しているベン・アフレックの監督ぶりに、まずは、なんと冷静でクレバーなのかと驚かされました。

 この予告編からもわかるとおり、銀行強盗の準備・決行・逃走の各要素の充実ぶりは本当にお見事。撮影のロバート・エルスウィットや第二班監督アレクサンダー・ウィット、編集ディラン・ティチェナー(この人達のフィルモグラフィーを見ると、あーなるほどなあ、って感じがする)らの下支えあってこそだろうけど、それにしたって監督二作目でこの出来ってのはびっくり。「監視カメラのハードディスクをレンジでチン」「ジェレミー・レナーの振り向きざまテック9乱射」など、このジャンルで今後語り草になりそうなぐっとくるシーンも多数ある。強盗二回目のパトカーとのくだりや、強盗三回目の盛り上げ方は、職人的といってもいいほどの適切な緩急でした。
 題材が題材なだけに『ヒート』の影響を云々することができそうだけれど、「あー、『ヒート』がやりたかったのねー」っていう感想で終わらせない、アイディアと描き込みのきいた、新たなスタンダードになりえていたと思う。全部で三回行われる強盗はそれぞれに見せ場を変えていて、原作既読で展開を知っている人間も心底楽しめることにびっくりした。
 原作では、強盗四人組の関係性や泥臭い友情がもっと描きこまれているんだけれど、そこを外してダグとジェムに集中し、かつジェムを原作よりもややおとなしくさせたところも、二時間強の上映時間にあわせ、それらを「カッコいい強盗映画」に奉仕する聡明な判断だといえる。でもジェムの狂犬ぶりはしっかり伝わってくるし、四人組の腐れ縁な雰囲気も説得力をもっている。街の黒幕に呼び出されたときのこの絵面、最高ですよ。職員室に呼び出しくらった中学生にしか見えない。
 実はこれから述べる通り、映画としてはどうよと言わざるをえないポイントがあるんだけど、それを補って余りあるエンターテイメントぶりに、まずは最大級の賛辞を贈りたいところです。


 一番問題だと思ったのは、主人公ダグの腐れ縁の恋人であるクリスタの娘・シャインの扱い。
 彼女の出生について、原作でも脚本*2でも明らかにされているんですが、映画でははっきりしていない。ここを描くかどうかで、主人公ダグが、根は誠実な男なのか、それとも自分と周囲を騙し騙し逃げている男なのか、大きく違いが出てしまう。
 そういえば、原作ではダグはしつこいクリスタの誘いを最後まで断り続けるのだけれど、映画だと開巻早々あっさりとやってしまうんだよね。セックス後のダグの表情とその後の日常描写が、強盗をしても女を抱いても、もはや自分の現在位置に安息できない男の立場をはっきり示していてこれはこれでアリではあるのだけれど、ダグのキャラクターとしてはマイナスポイントになりえてしまう。
 まあ、これは、クリスタとやらないことで一時的童貞回帰している主人公が、階級違いのヒロイン・クレアに切ない恋をするという非モテ片思い度の高いロマンスであるところの原作にときめていているおれの偏った意見だということはじゅうじゅう承知ですが…。


 この瑕疵は、物語上の最大の改変点とも、根を共通にしているのかもしれません。この最大の改変点については、ネット上の批評でも、ここが受け入れられないという意見や、これゆえにこの映画じたいをハリウッド的な脳天気映画に近いものとして観る反応が多く見受けられる。
 ぼくも観終わった直後は、冒頭のツイートのように、これってロマンに浸ったダメなイーストウッド化なのでは…と少々戸惑ってしまったんだけど、一晩たって考えが変わりました。
 エンディングで流れるレイ・ラモンターニュの”Jolene”の歌詞に注目したい。

おれは真っ直ぐに進めない
ことはもう遅い
おれは下水のなかにいるんだ
髪に染み付いた酒 唇に血
おれはきみの写った写真を離さない
ブルージーンズのポケットに入れて
いまだ愛の意味を知らないでいる
いまだ愛の意味を知らないでいる
*3

 これ、決して、ダグを許した歌ではないですよね。
 ラストのクレアの行動とたたずまいはむしろ、ダグと彼女との間の埋めようのない距離を示しているようにもとれます。
 また一方で、ここには断罪もない。
 孤独から抜け出したいという、純粋な願いと哀しみだけが伝わってきます。


 劇中には、ダグとクレアが各々ひとりで、ボストンの空を飛ぶ飛行機を見つめるシーンが一回ずつあります。
 そのときの彼らの、一方は純粋な希望、もう一方は世界への純粋な戸惑いを体現したあの視線のせつなさ。それを思い起こすと、いくつかの瑕疵から映画全体を否定する気にはなかなかなれない。自分でもこれはダブルスタンダードっぽくて嫌なんですが、ベン・アフレックはダメなイーストウッド化はしていないし、これからも、愛すべき映画を撮り続けてくれるんじゃないか、というのが、いまのぼくの感想なのでした。


強盗こそ、われらが宿命(さだめ)〈上〉 (ヴィレッジブックス)

強盗こそ、われらが宿命(さだめ)〈上〉 (ヴィレッジブックス)

強盗こそ、われらが宿命(さだめ)〈下〉 (ヴィレッジブックス)

強盗こそ、われらが宿命(さだめ)〈下〉 (ヴィレッジブックス)

*映画を観てあの四人組いいなあと思ったひとはぜひ原作をどうぞ。最終章はしみじみ泣ける。

・11/02/14追記:id:atozさんに指摘いただいた誤りを訂正。監視カメラのアレはビデオじゃなくてハードディスクでした。