こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

悪い老人どもへの復讐『オデッサ・ファイル』

 1963年、フランクフルトの事件記者ミラー(ジョン・ボイト)は、年老いて自殺したユダヤ人の手記を入手する。そこには、強制収容所で凄惨をきわめる所業に手を染め、戦後も裁かれることなく生き延びるSS隊員ロシュマン(マクシミリアン・シェル)に関する詳細な記録がしたためられていた。手記に触発され、ミラーはSS隊員たちの相互扶助組織オデッサ」との戦いに身を投じることになる。フレデリック・フォーサイスの同名原作(1972年刊行)を映画化。1974年、ロナルド・ニーム監督。

 俺スパイ感探求の旅、五本目。
 フォーサイスの原作は既読。戦後育ちの青年が、戦前派の老人たちの論旨に立ち向かう青さが好きです。「幾百万の人間を虐殺して何の栄光ぞ、そのような栄光ならほしくない」とか、日本にもいまだ数多い、妄想の栄光に浸っている連中――藤原正彦とか小林よしのりとか――に言ってやりたいもんです。
 原作の場合、主人公の動機が、こういうまっとうな倫理観を出発点にしているように見えて実は私的な理由があり、でもさらにそれがまわりまわって世界全体に影響を与えていく、というところに面白さがあるのですが、映画では私的な動機を最後に描いて終わり、という印象が強い。
 もちろん、映画でも、オデッサが暗躍する中東戦争との関係もきちんと描かれているんだけど、観客の視点がおおむね主人公ミラーに固定されており、原作ほどのスケール感はない。これは映画と小説の得意分野の違いなので仕方ないんだけど、一方で、主人公の一般人ぶり(潜入中に恋人に電話してさくっと居場所明かしちゃうとか)も目立つ結果になり、原作のもう一つの美点であった主人公ミラーの飄々とした行動人ぶりも薄まってしまったように思う。
 でも映画なりの美点もあって、一番印象的なのは悪役ロシュマンを演じたマクシミリアン・シェルの卑劣漢ぶり。クライマックスでのジョン・ボイトとの対峙は見ものです。やはりナチスものはきちんとナチス役に血が通っていないとね。

 前述のとおり主人公が素人なので、俺スパイ感は薄い(というかむしろマイナス。俺スパイ感を感じるにはスパイが優秀でなくてはならない)。
 オデッサの描写も、ナチス礼賛ぶりはリアルに描かれるものの、恐ろしい組織としての描写はいまいちだしな..。ただ、フランクフルト市街でオデッサの実行部隊が主人公の恋人に脅しをかけるロケーションは非常によかったですね。車ごと上下するエレベータとそれに直結する長いトンネル。鈍重にコンクリートでつくられたヨーロッパの建物カコイイ。
 また、終幕直前、イスラエル工作員たちが横並びになって彼らの工作の成果を眺めるシーンも非常によい。仕事のあとのドヤ顔はいいものです。映画全体からすると、ごくあっさりとしか描かれないところも渋くてよろしい。映画の末尾にこれがあるので、全体的には薄めだけれど見終わったあとの俺スパイ感は意外に高かった、という印象です。俺スパイ感の輝きは仕事の準備と仕事の最後に宿るなー。

オデッサ・ファイル (角川文庫)

オデッサ・ファイル (角川文庫)