こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

阿部裕貴『初音ミク革命』

 ミクパ札幌にて先行販売されていた『初音ミク革命』(阿部裕貴、北千葉図書、ISBN:9784905485049)を読んだ。
 これは、札幌市立大学の学生の卒業論文をもとに、加筆して書籍化したものとのこと。
 版元の千葉北図書は、北関東を中心としたゲーム・本・CDの小売業者ワンダーコーポレーションの出資によって最近たちあげられた出版社だ*1。先日仕事で偶然、この版元が発売した他の絵本について調べていたんだけど、そちらも札幌市立大学の卒業生による作品のようだった。市立大と何か結びつきがあるのかもしれない。本書程度のレベルが維持されるなら、今後も注目しておきたい動きである。

 タイトルにふさわしく、全編にわたって「きっと初音ミクがすごいことを起こすんだ!」という著者の熱い想いが伝わってくる一冊だ。
 ただ、その基盤に「初音ミクだからすごいんだ」「今までにないことだからすごいんだ」「消費者発だからえらいんだ」という信条があり、「なぜすごいのか」という部分に著者の関心が届いていない印象を受ける。
 そうした部分の分析は極めて難しいものだし、学部学生にそこまで望んでしまうのは無茶なことかもしれない。ほとんどの粗さは笑って済ませられる程度のものだ。
 だが、次のような文章を無邪気に書いてしまうあたりには若干の不安を感じる。

インターネットが普及したことで、人々は自分が欲しい情報を自分で取捨選択できるようになった。その結果「よいものはよい」「ダメなものはダメ」と判断を下すのは自分自身であるという意識が芽生え、以前のようにテレビや雑誌の押し付けがましい情報に躍らされることは圧倒的に少なくなった。

 「テレビや雑誌」が「よいもの」についての正しい情報を正しく流すこともあれば、インターネットが「ダメなもの」についての誤った情報を流して誤った盛り上がりを見せることもあろう。結局のところ、消費者が自分にとって一番楽しいものを選べるようになった、というだけではないのか。
 この文章の前後では、現代を「広告や戦略でなく、作り手の想いが問われる時代」として『けいおん!』のヒット現象に触れているけれど、『けいおん!』だって「広告や戦略」がなかったわけではないだろうし、「作り手の想い」が他の作品に比べて段違いに大きかったわけでもないだろう。
 残念ながら、消費者が力を手に入れることと、消費者が文化に正しく寄与することは同義ではない。虐げられた民衆が権力を握ったからといって、ユートピアが到来するわけではないとの同じだ。この点を頭に入れておかなければ、初音ミクによってどんな「革命」が起きたところで、やがて旧来と同じ忌むべき構造がそのなかに再発生するだろう*2。そうしたことに考えが及んでいない筆者の態度に、ぼくは時折危うさを感じてしまった。

 もっとも、こうした乱暴な思考は一部の項目だけにとどまっている。初音ミクに関するここ数年の状況は広く浅く満遍なく、的確にまとめられていると感じた。初音ミクというものをなんとなく知ってはいるが詳しいことはよくわからん...というレベルの読者で、コンパクトにこの現象を振り返っておきたい人にはちょうどよい一冊だと思われる。出来事やキーワードを羅列紹介するだけでなく、「未完成」「隙間」「相聞」といった、オタク外の読者でもイメージをつかみやすい言葉を使って、初音ミク現象を解説する手腕もなかなかのものだ。
 LA公演レポートや、自身のニコニコ生放送番組の紹介などを中心とした、筆者の経験をまとめた部分は、現代に生きる積極的な消費者*3のひとつの典型としてとても面白く読める。初音ミクに対する熱い想いも存分に感じられる。
 前述したような問題もあるが、総じて面白く読んだ。初音ミクを語るにあたっての基本的な情報をおさえた、ガイドとなりえる一冊と思う。

*1:新文化オンライン「ワンダーコーポレーション、出版事業に参入」2011/8/4。http://www.shinbunka.co.jp/news2011/08/110804-01.htm

*2:例えば著者は本書のなかでアイマス等の育成ゲームについて触れ、「人間が行う生産行動の中で、最もクリエイティブな行為は子供を産む行為であると耳にしたことがある。しかし出産行為は女性しか行うことができず、男性はそうした欲求を満たすことができない。では、男性は自らの生産欲求をどのようにして満たせばいいのだろうか」などというとんでもなく乱暴な前提を述べ、出産の代替として育成ゲームがある、としている。この結論が正しいかどうかは別として、こういう文章を安易に書けてしまう筆者はすでに、彼が批判する「テレビや雑誌」と同じ「押し付けがましい」、他者のことを思いやれない態度を示してしまっている。

*3:筆者はあまり意識していないようだけれど、彼のような積極性と成功体験を持つ消費者は、かつてのメジャーの表現者ほどではないにせよ、それなりに稀少な立場の人間だと思う。ぼく個人としては、そうした積極性と成功体験を持たない消費者にこそ、現代の「革命」のヒントがあると思っている。