こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

きみはワンダーランド

 来年のSF大会にそなえて、そろそろミステリ・冒険小説偏向の読書をあらためなければならない。なにせぼくは本を読むのがたいへん遅いので、月単位・年単位で読むべき本を消化する算段をたてておかないとにっちもさっちもいかないのである。
 伊藤計劃を読んだきり、最新の日本SFはほとんど手をつけられていない。大森望(と山岸真)のアンソロジーが出たら読むていど。海外SFはもっとひどい。ニール・スティーヴンスンあたりで止まっている気がする。グレッグ・イーガンテッド・チャンの短編は読んだ。『ユダヤ警官同盟』はSFではあるまい。
 で、何を読めばいいんでしょうね――という話ではない。
 何を読もうかなあ、と自分の好みのSFについてつらつら考えていたら、けっきょく冒険小説やミステリを読むときも、SFを読むときも、自分が求めているものは同じだと気づいたのである。
 要は、圧倒的に手の施しようのないなにかのまえで呆然とする人の姿が読みたいのである。それが変えようのない時間の運命だろうが、人の制御できないテクノロジーだろうが、起きてしまった殺人だろうが、失踪してしまった女だろうが、なんでもいいのだ。主人公が呆然としているところが見たい。ぼくも一緒に呆然としたい。
 ここ数年読んだSFのなかで(いま覚えている限りのなかで)一番繰り返し繰り返し思い出しているのはフレドリック・ブラウンの『天の光はすべて星』なんだけど、あれって宇宙と女を同時に失う話なのだ。だからぼくはブラウンのミステリもSFも好きなんだと思う。
 ぼくは翻弄されたいのかもしれません。いや実際に翻弄されたら大変なんだけど。安楽椅子のなかで毛布にくるまって翻弄されたいという非常にチャイルディッシュな趣味。やれやれ。

 というわけで、何を読めばいいかなんとなくわかって安心した、という話でした。

 これを書くついでに『SFが読みたい!2011年版』を眺めていたら、『WORLD WAR Z』も『機龍警察』もSFと言っていいらしい。あと読みたいと思っていた『ファージング』三部作も。なんかあんまり考えず好き勝手に読んでも大丈夫そうだな自分。


 SFとミステリとかについて考えているあいだこの歌が頭の中で流れていた。いやなんだか下世話な気がする。ジョン・メイヤーなら許されるのか。