スリリングでインパクトある映画だし、今後戦争を扱った娯楽作品を観るときには念頭に置きたい作品の一つにはなりましたが、戦争映画なら『ブラックホーク・ダウン』『ジャーヘッド』、ドキュメンタリーなら『精神』、といった自分のなかのベスト作品群のもつ、身を切られるような尖り具合を持ってはいなかった。
だから長文を書くつもりはなかったのですが、鑑賞後に眺めた各紙誌の評がなんだかなあという印象だったので、少しだけ書きます。
本作のチラシにも大書され、各紙誌でも引用される、作中の兵士のセリフがあります。
「なんかあいつら(タリバン)をガンガン殺っても、もう罪の意識とか感じないかも。まだ野良犬を殺した方が悪いことしたと思いそう」
で、これに対して、戦争よくない、とか、戦場に言ったらこうなっちゃうんだ怖い、といった論調の文章をよく見かけたのですね。
でもこれは的はずれだとおもう。ちゃんと観ていれば、このセリフはそういうふうには思えないはずだ。チラシに引用したのはたぶん意図的にわかりやすくするためだと思います。
兵士たちは、アフガニスタンに派遣されてもなかなか現地人とうまくコミュニケートできず、孤立無援で目標のないまま何ヶ月も砂漠の片隅に閉じ込められ、ひたすら鬱憤を溜めさせられていきます。事前にアフガンの歴史や、多民族と交流するための方法を教育されているふしもない。
そのうち、仲間や違う基地の同国人が戦闘で怪我を負ったり死んだりしていく経験をしてしまう。これじゃあ、タリバンたちを憎く思うしかないだろう。そのうえでの、「もう罪の意識とか感じないかも」という言葉なのだ。
誰だってそうなると思うし、それは戦場だから特別ということではない。
考えてみてほしい。
(自分にとっては)一方的に攻撃を仕掛けてくる、顔の見えない人間がいたら、あなたはかれに反撃することに躊躇するだろうか。あなたは毎日職場で、学校で、理不尽に危害を加えてくる連中に対して「こいつらぶっ殺したいなあ」と思うことはないだろうか。
要するにこの映画のなかで描かれている「殺してもいいかも」という人の心の動きは、おそらく「戦場」特有のものではないのだ。
取材されている国際治安支援部隊の雰囲気はなかなかに民主的で、たとえば危険度の高い奇襲作戦は参加する兵を募って行う。嫌だったら参加しなくてもいいのだ! 作戦前・後のミーティングも穏やかなもので、むしろ一般兵に対して上官が気をつかっているような印象さえ受ける。ぼくは観ていて思った。これはぼくたちが働いている会社と何ら変わりはないじゃないか*1。
彼らとぼくらの違いは、場所と、手にしている武器だけだ。その中にある心も、その心を形作る世界の構造も、何も変わりはしない。
この映画を語るならば、まずはそういうことを考えてからにするべきだ。戦争を人ごとだと思っているのは誰なのか、と。これは対岸の火事を描いている映画じゃない。
ぼくたちはみな、すでに「アルマジロ」にいる――それは言いすぎだろうか?
*1:とりあえずあなたの職場で一年間にいなくなる人数の割合と、この映画のなかでいなくなる兵士のそれとを比べてみよう。