こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

『狂犬は眠らない』

狂犬は眠らない (ハヤカワ・ミステリ文庫 ク 14-1)

狂犬は眠らない (ハヤカワ・ミステリ文庫 ク 14-1)

 14作目にして最新作。アメリカでは2006年に、邦訳は2007年にそれぞれ発売された。日本では第一回世界バカミスアワードを受賞しており、ぼくの手元にある帯も受賞を祝したものとなっている。

あらすじ:
 CIAが極秘裏に管理するメイン州の精神病院「レイヴンズ・キャッスル」で、心優しき医師フリードマンが殺された。直前に会っていたのは、いずれも精神疾患を抱えた元凄腕スパイたち5人だった。自殺志望の「おれ」ことヴィク、暑さを感じると発狂してしまうベトナムの英雄ゼイン、元ロックンローラーで妄想癖の暗殺者ラッセル、人に命令されたことには全て従ってしまうエンジニアのエリック、悲観主義の美しい女ヘイリー。このままでは自分たちに罪が着せられてしまう。かくして5人は、病院を飛び出しあてのない逃避行を開始した!

 おやおや、これまた物語の骨格は『コンドルの六日間』と同じである。邦訳作品に限ってのことなのか、どうにもグレイディはこのタイプの物語が好きらしい。
 ある種の作家は、このように同じ構造の物語を繰り返し繰り返し紡いでいく。薄まってマンネリと呼ばれてしまうときもあれば、洗練され豊かになり作品ごとに評価を高めるときもある。グレイディの場合はまさに後者だ。ここには、(ぼくが読んだ邦訳作品に限ってのことだが)過去作にあるグレイディの美点すべてがあり、さらに過去作では達せなかった地点にも登りつめている。『雷鳴』、さらには『コンドルの六日間』のあの人物まで登場し、グレイディがキャリアを総括すべく書いた渾身の一作というふうにもみえる。

 美点の一つは、全編に漂うユーモアだ。
 狂人の元スパイ5人が主人公、という時点でかなりのブラックユーモアを感じることができるだろう。
 彼ら5人の、逼迫していながらも軽口を叩いて難局を切り抜けていく珍道中も実に楽しい。途中で美貌の捜査官カリが加わると、彼女を巡るラブコメディな雰囲気も加わってなお楽しい。

 お次は、逃走の合間合間で語られる5人の哀しい過去。『暗黒の河』のジャドの物語が5人分あるようなもので、それぞれがツイストとサスペンスの効いた一個のスパイフィクションとして楽しめるうえ、過去と折り合いをつけねばならない現代の5人の戦いにも繋がっていく。
 『凶弾』でのダックとレイチェルのように、弱き者同志、5人は強い絆で結びついている。軽口と捨て鉢な態度に満ちているが、彼らの間には愛と友情があふれているのだ。チームものとしての萌え&燃えもたっぷりある。それぞれが、珍妙な騒ぎのなかのちょっとしたきっかけから、自分の誇りや強さを取り戻していくさまには感動を覚えずにはいられない。

 5人の過去の物語は、ベトナムにはじまり、チェチェン紛争、麻薬戦争、イラクイスラム原理主義者との衝突……と、過去にアメリカとその諜報機関が経験してきた戦いを舞台としている。2001年の911テロもまた回想される。アメリカのスパイたちは、この数十年間に何をしてきたのか。なにゆえ、5人は狙われるのか。

 真相は確かに「バカミス」と呼ばれても仕方のないものではある。しかし、これを100%笑い飛ばせる者がいるだろうか。とりわけ、珍妙ながらも勇気と愛とに満ちた、彼ら5人の物語を楽しんできた読者ならば。

 本稿を書いたきっかけである『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』は、アメコミヒーローものという枠を活かしきったスパイフィクション亜種として、その作品でしかできない形で、混迷する世界でいかに戦うかを示した。
 『狂犬は眠らない』も同じである。この小説は、グレイディ一流のユーモアと脱線と過剰さで、ふつうのスパイフィクションでは達し得ない地点に到った傑作であり、愛すべき歪んだ珍作なのだ。ぜひ多くの人に読まれてほしい。