こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

この映画のことが大すき。『思い出のマーニー』

 すばらしかったです。

 プリシラ・アーンの主題歌を流す予告編を先日初めて観たとき、ちょっとびっくりしました。主人公・杏奈によるこんな独白があるのです。

この世には、見えない魔法の輪がある
輪には内側と外側があって、わたしは外側の人間
でもそんなのはどうでもいい
わたしは
わたしがきらい

 『借りぐらしのアリエッティ』を観たときに思ったのですが、米林宏昌監督は、登場人物のなかに、それまでのスタジオジブリ作品にはなかなかなかった、ひどくねじれた感性をもたせることがあります。『アリエッティ』のときは、それは翔という病弱な少年に託されていました。
 今回の『思い出のマーニー』の杏奈は、さらにその描写が容赦なく、深い。
 さきほど引いたようなことを言うくらいですから相当なものだと覚悟/期待していましたが、予想を超える容赦なさでした。さきほどのセリフはなんと映画冒頭のものだったのです。これが出発点。ここからさらに、前半の長い時間を費やして、いかに杏奈が孤独を感じているか、世の中を嫌い、近くにいる人たちを嫌い、何より自分を嫌って生きているかがじわりじわりと描かれていきます。

 三十を越えてもこんなことを言っているのは恥ずかしいですけど、ぼくも杏奈みたいなことをいつも考えています。十代のころからずっと考えてきた。狭い狭いところに閉じこもって、周りと自分をきらって沈んでいる自分と、いかに折り合いをつけて日々をやり過ごすか。そういう毎日です。
 ずっと考えているから、映画でそのことを描かれると、敏感に反応してしまいます。敏感に反応して、「あ、この映画は自分に近いな」とか「近いところにいると思っていたけど、意外と遠かったな」とか思っている(もちろんそういう要素以外のところでも楽しみますけど)。
 『思い出のマーニー』は、すごく近いところに来てくれた映画でした。

 杏奈はマーニーと出会い、不思議な日々を過ごします。彼女のいる屋敷に行き、帰り、あるいはそのあいだでたゆたう。
 この、なにかのあわいをたゆたう感覚の描き方もみごとでした。繊細で、いかにも十代の女の子っぽくて、でもそうじゃない人にも同じ心境にさせるような、ホラー映画ふうですらある感覚*1
 Twitterなどをみていると、展開や要素のいくつかに、違和感をもった人もいたようです。なにせ、十代の女の子にずっと寄り添う(と同時にぼくみたいな人間の心にも寄り添ってくれる)、すさまじく細い途をえんえん歩いていくような作りの映画ですから、多少はそういった反応をもたらしてしまうのも仕方ないと思います。だからぼくがこうして絶賛しているからといって、完全に同じようにあなたにも響くとは限らない、とわかったうえで観てほしい。
 ぼくはその細くやっかいな道が性に合った、幸せな観客なのです。

 幸せといえば、事前に情報を得ずに観たのも正解でした。
 杏奈の気持ちはすごく近くに感じたものの、杏奈の前に現れる人物や、物語の展開にはずっと驚かされっぱなしでした。だから、二時間のあいだずっと、杏奈と一緒に伴走させてもらえたような気持ちがする。
 これから観る人たちにもぜひ、その杏奈と一緒に歩んでいく感覚を味わってほしいので、これ以上具体的に語ることは控えます(ああ、あのことも、あいつのことも、みんなみんな語りたい!)

 そういうわけで、早くたくさん語りたいので、できるだけ早く、映画館へ出かけてください。
 ほんとうに大好きな映画です。観てよかった。しあわせ。

*1:もっと近い映画はあると思うのですが、ぼくは『アザーズ』という映画を思い出しました。あと『テラビシアにかける橋』。