こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

愛はおしゃれじゃない アニメとファッションの関係について

 トム・クルーズレトロスペクティブの更新が止まりここ二ヶ月弱何をしていたかというとずっとラブライブ!の記事を書こうということばかり考えていました。
 というのも、7月初旬、次のような『ラブライブ!』の劇中ファッションを批判する言説がつづけて話題になったからなんですね。

アニメキャラの私服が現実的にはどこが問題かという具体的な指摘
http://togetter.com/li/688173

どうすればアニメのファッションはお洒落になるのか?
http://www.fashionsnap.com/the-posts/2014-07-15/anime/

 アニメの劇中ファッションへのツッコミ言説って、定期的に行われています。「アニメ ファッション」で検索すれば、過去何年にもわたってそのときどきの作品がdisられたまとめサイトの記事をいくらでも見つけることができる。
 ここで「アニメ業界にそんなリソースはない」といった経済的な反論や、「子供っぽい『ラブライブ!』のファッションは、子供時代しか女子と触れ合うことのなかった男どもが登場人物たちに感じる心理的ハードルを下げるための方策である」(泣)という自虐的なコメントをしていてもいいのですけど、でも今回の記事たちにはむちゃくちゃ腹立たしいところがある。なので、ちょっと違う角度から、据わった目で反論を行ってみたいと思っているのです。

 なぜそんなに腹立たしいのか。
 これらの評論が、アニメーションという、物語を伝える一連の表現の連なりの中から、ほんの一部分だけを切り取り、作品外の基準で暴力的に評価しているからです。
 そもそも『BLEACH』にせよ『ラブライブ!』にせよ、これらの記事でサンプルとして示される画像の多くはアニメそのものの映像ではなく、販促物用のスチル写真です。それは「アニメ」ではない。

 同じような服を本編中で着ているのだから同じことじゃないかって?
 全然違います。
 同じ服が、アニメの中ではまったく異なる価値を持つことが、あるのです。

■『ラブライブ!』第二期第五話の例
 今でこそぼくは毎日スクフェス*1にいそしむような人間ですが、ほんの数ヶ月前まではまったく関心がありませんでした。正直ナメてました。で、そんなぼくが衝撃を受け、完全にハマったきっかけがこの第五話だったのです。
 今回の劇中ファッション問題を考えるにあたって、ぼくが件の記事の中の人達に決定的に欠けているものを象徴しているように思うので、長くなりますが内容を紹介します*2

 スクールアイドルμ'sの一員・高校一年生の凛は、修学旅行で長期不在となるリーダーの代理として、臨時リーダーをつとめることになる。折しも、μ'sにファッションショー・イベントへのゲスト出演オファーが舞い込む。特別衣装としてメンバーのなかのひとりがウェディングドレスを着ることに。当初はメンバーから凛自身が着るよう薦められるものの、自分のかわいらしさに自信がない凛はそれを断り、親友の花陽に大役を譲ってしまうのだった。

 自信のなさは憧れの裏返しでもある。
 本当は誰よりもドレスが着たい凛。
 しかし、ふわふわした服が自分に似合うはずがない、と必死にその想いを隠そうとする。
 ショー当日、会場で凛を待っていたのは、彼女のために仕立て直されたドレスだった。彼女の想いに気づき、また誰よりもドレスに憧れる凛こそがそのドレスを美しく着こなすことができると信じた仲間たちによるはからいだった。
 それでも逡巡する凛に花陽がさけぶ。「凛ちゃんはかわいいよ!」
 ドレスにを身にまとい、みごとステージを成功させる凛、そして仲間たち。
 翌日、μ'sの練習場所には、ずっと着られずにいたフリル付きのスカートを履いた凛と、彼女を笑顔で迎える仲間たちの姿があった…。

 ――号泣だよもう!
 号泣しながらぼくは思った。
 ――凛ちゃん、その練習着ちょっとダサいよ!!
 しかし同時にこうも思ったわけです。
 ――たとえダサい服だって、凛ちゃんは世界でいちばんかわいいよ!と。

 ラストの凛の姿は、それ単体のデザインだけを取り出せば「ダサい」ものです。しかし、そこに至る物語を観てきた視聴者の目には、唯一無二の「かわいい」姿に見えてしまう。
 これを単純に「ダサい」の一言だけで切り捨ててしまうのは、あまりに乱暴です。*3

 むろんこの『ラブライブ!』のエピソードは、特殊なものではあります。すべてのアニメでここまでの価値転換が行われているわけではない。
 けれども程度の差はあれど、アニメを観る者たちはこうした物語の力によって、キャラの姿にデザイン的価値を越えた格好良さや可愛さを見出すようになっているはずです。ヒーローはかっこうよく、ヒロインは美しく。服によって魅力が規定されることもあるけれど、逆に、キャラクターの魅力が服の価値を決めることだってある。
 かように、アニメの劇中におけるファッションというのは、奥深いもののはずなのです。
 そのことを視野に入れず、表面だけ切り取ってファッションを評価する言葉には暴力が宿ります。
 よくアニメファッションの批判者たちは「君たちオタクを批判してるんじゃないんだよ、劇中のことを言っているんだよ」というエクスキューズを(なかば半笑いで)口にすることがありますが、違うのです。アニメオタクは、服装の背後に培われてきたキャラクターの物語や魅力を完全に無視されていることに怒っているのです。それは単にファッションセンスの問題ではない。物語に感動し、キャラクターに惚れぬいたアニメオタクの魂についての問題です。
 ぼくが件の文章たちに腹が立つのは、こうしたことを書き手がまったく意識していないように思えるからなのです。

■そもそもアニメのファッションはそんなに絶望的なのか
 あっ、思わずヒートアップしてしまいました。
 魂どうこうなんてことを言われたら引いちゃいますよねー。
 ちょっと冷静になって、アニメファッション批判者たちのみなさんと視点をあわせてもうちょっと表層的なところも考えてみましょう。
 そもそも、現在のアニメの劇中ファッションはそんなに絶望的なものなのでしょうか?
 今回話題になった二つの記事は、主に『BLEACH』『ラブライブ!』の二本しか扱っていません。「どうすればアニメのファッションはお洒落になるのか?」を書いた山田耕史さんは、『BLEACH』『ラブライブ!』を取り上げたあとで、『おおかみこどもの雨と雪』の伊賀大介、『エクスマキナ』のプラダという二つのアニメ作品とファッション業界のコラボレーションを紹介し、そういった取り組みが増えればいいとしていますが、ちょっとこの例は極端すぎる。これら四作品の中間に、よい作品はまだまだいくらでもあると思えます。

 たとえば。

『Brothers Conflict』エンディング

ガッチャマンクラウズ』第一話

 あっ、はいはいはいわかります、「これらっていわゆる『オサレアニメ』だけど、実際のところファッションとしてはちょっとおかしくね?」ってことですよね。わかります。
 服装のアイテムセレクト自体はそんな問題じゃないんです。
 服がどう着られているか、服がどう演出されているかを見てほしいのです。
 ブラコンにしてもクラウズにしても、服がキャラクターの身体にどう着られているか、そして動いたり物語が展開したときにどんな動きを見せるか、というところにすさまじい演出がされていることをわかっていただけるのではないでしょうか。
 ブラコンEDの、手の動きが印象的なダンスを引き立てる腕のフィット感。はためきが徐々に増加していくジャケットの裾の動き。
 クラウズの、屋上の風を感じさせ、さらには今後の波乱の展開を予想させる制服のスカートの激しい動き。
 服のセンスもそこそこであると同時に、ここには、アニメを作る人たちの服への並々ならぬこだわりが見て取れます。

「アニメを作ってる奴/観てる奴はファッションに興味ない」? 冗談言いなさんな。衣服の細部をここまで観ている人たち、そうはいません。

■アニメとファッションの幸福な関係とは
 と、ここまで考えて一ヶ月半うだうだしていたら、7月末頃、元記事の山田耕史さんが「「ラブライブ!」のキャラが着てそうな服をWEARで探してみた」という記事を公開されていました*4
 記事のテーマは「作画が大変でないお洒落な服は如何でしょう?」というコンセプトで、実際のコーディネートを選んでみるというもの。実際に選ばれたものがアリか否かは別として*5、非常に生産的な記事で好感を持ちました。
 ダサいダサいとだけ言うのは簡単ですし、前述のとおり非常に暴力的なイヤーな感じを伴います。お前らにとってかっこいいのはなんなんだよ、というところにきちんと答えているのが偉い*6

 こういう「勝手にコーディネート」企画ってとってもいいと思うのです。キャラや物語を読み取り、自分のセンスで新たなものを追加する――って、完全に立派な「二次創作」ですよね。
 ぼくが知らないだけかもですけど、こういうテーマの同人誌があったらすごくほしい。

 『Cut』とか『Spoon』とか、オシャレ系雑誌が「ガチ」なアニメ特集をするようになって久しいですけど(そしてたいていヌルくていつもうんざりですけど)、こういう企画をあのあたりの雑誌が、たとえば中の人に自キャラの私服をコーディネートしてもらう、みたいな感じでやったらすごくいいんじゃないでしょうか。

 ミュージカル『テニスの王子様』、いわゆる「テニミュ」のパンフレットの、出演者紹介のページでは、出演者本人の私服っぽい写真が使われています。現在の公演で主人公リョーマ役をつとめる小越勇輝くんなんかは毎回毎回「お前それどこで売ってるんだよ」と全力でツッコミたくなる俺ジナルすぎる服で写っていて*7、いまやぼくのイメージではそれが二次元側に逆流し「リョーマの私服はイカれている」みたいなキャラ印象が出来上がっています。いやまあ実際には全然リョーマはそんな私服着てないんですけど、でもすげえ我が強くてテニヌ超人であるところの彼ならこんな私服もアリだろう、とか勝手に思っているわけです。

 ミュージカル『テニスの王子様』も『ラブライブ!』も、声優や俳優と二次元がどんどんクロスしていく作品です。そういう作品が増えつつある時代に、「二次元はダサい」「三次元はダサい」と批判しあっているだけなのはなんとも虚しい。単純に「こういうもん着とけばオシャレだぞ」とブランドがアニメの衣装を指定していく、という一方通行もさびしいと思います。
 二次元・三次元それぞれの内発的なファッションへの欲望や愛情が、双方向で昇華され作品そのものやファン・作り手の満足に繋がるようなこころみ――それが具体的にどんなものなのかは、いまいち言葉にできないのですが――が増えてほしいなあ、と強く強く思うのでした*8

<追記>

もちろん今回のタイトルはこの大名曲からとりました。愛はおしゃれじゃない!

*1:ゲーム『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』の略。たのしい。

*2:自分で勝手にまとめたあらすじです。

*3:高名なラブライバーであるところの声優羽多野渉さまの指摘によれば、彼女はこのダサい服を通販で購入していた可能性が高い。一人思い悩んでいまいちな服を通販で買っちゃう凛ちゃん…(うっとり)。このダサさは、さらに物語を増強する目的で配置された意図的な「ダサさ」である可能性もあるのだ。

*4:http://www.fashionsnap.com/the-posts/2014-07-24/lovelive/

*5:個人的には穂乃果と凛ちゃんはかなりクオリティ高いと思った。

*6:そしてそんな記事にも「ダサい」とコメントしている人たちはいったいどんなファッショニスタ様なのでしょう…。

*7:最近ちょっとおとなしくなっていてさびしい。

*8:そういう意味じゃ、自分含め一連の議論にコスプレへの視座ががっつり欠けているのはほんといかんなあと思います。んー、一度でいいからコスプレしたい。