こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

『ジョーカー・ゲーム』はなぜ明るいスパイ映画なのか

 『ジョーカー・ゲーム』、期待どおりの楽しい映画でした。
 「傑作」という言葉を使う映画ではないけれど、すごく「楽しい」スパイ映画。
 入江悠監督がさまざまなインタビューで言及しているとおり、この映画の立ち位置を海外のスパイ映画に照らし合わせて言うならば『ミッション:インポッシブル』シリーズ、特に最新作の『ゴースト・プロトコル』でしょう。現実の政治や世界情勢を反映させ、一定のリアルさは保ちつつも、派手なアクションや軽妙な描写を満載して、一歩だけ荒唐無稽なほうに寄った、楽しい楽しい娯楽映画。
 原作の『ジョーカー・ゲーム』は、もうすこし地味な作風です。現実の第二次世界大戦前夜とは異なる、パラレルワールドな世界を舞台にしているとはいえ、物語の雰囲気じたいは映画ほどに陽性ではない。
 では、なぜ映画は陽性の雰囲気に振り切ったのか? 作り手の戦略を読みつつ、ぼくが最近のスパイフィクションと照らしあわせて考えた、『ジョーカー・ゲーム』の立ち位置について語ってみたいと思います。

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 2001年の911同時多発テロ事件以降、ハリウッドを中心とした映画業界は、『ボーン・スプレマシー』を筆頭に、数々の暗く地味なスパイ映画を作ってきました。『詳しくは、『007/スカイフォール』のときにざっくりまとめた記事*1を読んでみてください。
 そこには、「なぜ911を防げなかったのか」そして「なぜアフガニスタンイラクでの大義なき戦争を始めてしまったのか」ということへの、アメリカを中心とした西欧社会の反省と後悔がにじみ出ている。ここでは、そういう映画のことを「陰性スパイ映画」と呼んでおきます。
 お隣の韓国では、『ボーン』シリーズのアクション描写や雰囲気の強い影響を受けつつ、自国の南北問題を織り込んで、こうしたスパイ映画の流行をとらえつつも、韓国でしかできない陰性スパイ映画の傑作『ベルリン・ファイル』がつくられています。
 こうした潮流から、「現代の流行りはやっぱり『ボーン』みたいな陰性スパイ映画でしょ」という人も多いのではないでしょうか。
 また、そうした潮流とは全く異なるところから生まれ出た映画ですが、『ボーン』よりもさらに地味、真綿で首を絞めていくような『裏切りのサーカス』も高い評価を得ました。

 しかし入江悠監督は、そうした陰性の路線を選びませんでした。
 『映画秘宝』15年3月号でのインタビューで、入江悠監督は、そういった作風の映画はより予算の小さいインデペンデント映画でも可能であるのでやめた、と述べています。
 なるほど、陰謀と感情のうごめく静かなタッチのスパイ映画ならば、手間や予算の必要なアクションやエフェクトシーンが必ずしも必須ではありませんから、インデペンデント映画でも可能かもしれません。せっかく予算の大きな映画を撮れるのだから、それを存分に使ってやろう。ハリウッドの明るく派手な娯楽映画に親しんで育ってきたという監督らしい選択です。
 更に、監督は続けます。そういうのはもうドラマ『同期』でやりましたから、と。

 『同期』は、今野敏による同名小説のドラマ化作品です。若き警官が、殺人の容疑者となった同期の公安警察の男を追うサスペンス劇(らしい。ごめんなさい、未見です!)。
 警察ドラマとスパイ映画を並べて語ったこの言葉、実は日本のスパイフィクションの状況を端的に表現してしまっています。
 というのも、90年代から連綿とつづく日本の警察小説/警察ドラマの隆盛は、大沢在昌佐々木譲といった、スパイ小説・冒険小説をも得意とする書き手が支えてきたからです。
 90年代以降、警察は実に多くの問題と向き合ってきました。オウム真理教事件、長期不況等に影響された犯罪の変化、そして警察自らが招いた数々の不祥事…。アメリカ/西欧社会の正義を揺るがし、陰性スパイ映画を作らせた911にあたる衝撃を、日本はそうした国内の事件に見出していたのではないでしょうか*2
 自分の信じている正義、属している組織のことが信じられない者たちが、内外の敵と戦う……日本で人気を集めてきた警察フィクションのおおまかな骨子は、西欧でのスパイフィクションのそれと見事に重なり合っていたのです。

 陰性スパイ映画と陽性スパイ映画、どちらかが正しくてもういっぽうは間違っている、ということはありません。国際情勢がどんなに苛烈をきわめても、日本をめぐってどんな事件が起きたとしても、そうした状況を反映させた真面目で地味なスパイ映画こそ正しいということにはならない
 様々なタイプのフィクションが、同時にいくつも存在する状況こそが正しいのです。
 ゆえに、近年、日本では類を見ないタイプの陽性スパイ映画である『ジョーカー・ゲーム』がつくられ、公開されたことはほんとうにめでたい。スパイフィクション愛好家として嬉しくて嬉しくて仕方がないです。

 というわけで、『ジョーカー・ゲーム』の陽性のスパイ映画の立ち位置を、少しは納得いただけたでしょうか。あんまりこういう文脈を語ると堅苦しいし、そもそもぼくの偏った見立てでしかないのですが、日本でスパイ映画がジャンルとして成り立っていない以上、この映画がどういう立ち位置にいるか、を多少把握しておくと、鑑賞のときに楽しさが増すのではないかと思って語ってみた次第です。
 少しでも「そういうことかー」と思ってもらえたようなら、ぜひそのまま映画館へ向かってください。この文章が、この映画を観る下準備になればとてもうれしい。

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 なお、実はぼくにも、いくつかの不満点はあります。史実との距離の取り方、敵の描き方、クライマックスのあるご都合主義な展開……いくつかの点を変更すれば、もっともっと面白くできたかも、とも思う。
 でも、これまで語ったような文脈でこの映画を観るとき、ぼくはそうした不満点を責めて終わりにはできない。むしろそういう瑕疵に、陽性のスパイ映画を成立させるための作り手の苦労や工夫のあとをみてしまう。

 言葉を変えれば、ぼくはいま『ジョーカー・ゲーム』について語りたくって仕方がないのです。超おもしろかったよ、あそこ笑ったよね、あの展開ありえなくね?でもさでもさ……ってな感じで。こんな気分になれる実写のスパイ映画が、日本で作られた。それがとにかく超うれしいんですよ!

 なので、とにかく多くの人に観てほしいです。人気の原作シリーズがあって、しかも主演は有名なアイドルだからって、ヒットするとは限りません。ヒットしてくれないと、次にまた陽性のスパイ映画が日本で作られるのはずっと先になってしまうかもしれない。そんなのもったいないです。観たあとの文句ならいくらでも受け付けます。ぜひ映画館へ!

*1:「Think on Your Sins /スカイフォール予習」 http://d.hatena.ne.jp/tegi/20121201

*2:その文脈で言うと、ここ十年で日本で最もヒットした「陰性スパイ映画」は、『相棒II』かもしれません。