こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

厄介さと生きていく/Trident 2nd Live "Blue Destiny"レポート(という名前のごく私的な覚書)

 Tridentの2nd Live、「Blue Destiny」の二日目(9月21日)に行ってきました。会場は品川ステラボール

 帰途途中のカレー屋でカレーとビールをいただきながら勢いで書いています。だからまともなレビュー/レポートじゃない。その点はご了承ください。

 声優やアイドルのファンのうち、主に若くて迷惑な行動をしがちな集団のことを「厄介勢」と言うみたいです。やたらに声がでかくて、ヲタ芸を打ちまくって、ライブ中のMCやバラードを邪魔するくらいに騒いでしまう人たちのこと。
 今日のライブで、ぼくのすぐちかくにそういう「厄介勢」に近い人たちがいた。始まる前から複数人でわいわい楽しそうに大声で喋って、屈伸とかジャンプとか大げさなモーションをしてスペースも占有して、ぼくは内心「嫌だなあ」と思っていた。ライブが始まったら、機会をみて注意をしよう、とも。

 ライブが始まって、曲がいくつか歌われて、やはりその少年たちは周りよりも一段階大きな声で、TridentのMCが聞きづらくなるようなかけ声や、音楽を素直に楽しめなくなるような拍手の連打なんかをしていた。案の定だよ、まったく。いつ注意しよう。おれは本当にこういう奴らが嫌いなんだ。前々から厄介勢って言う連中がいるのは知っていたけれど、これはちょっとした好機じゃないか。
 そこに、ぼくが『蒼き鋼のアルペジオ』のキャラソンのなかでいちばん大好きな、ハルナ/山村響さんの『Words』のイントロがはじまった。
 ぼくは思わず大声で、「響さーん」、とステージに向かって叫びました。静かなイントロなのに。割れた声で。
 思ったより大きくなってしまった自分の声に戸惑ったその瞬間、ぼくはいったい何をやっているんだ、と思った。大好きな三人の、その中でも一番大好きな人が、自分の大好きな曲を歌うというその数瞬前まで、ぼくはすぐちかくにいる見知らぬ少年たちへの憎しみを――いや、それを憎しみと言ってしまうのは少し大げさだけれど、あえて「タグ添付」するならそれはやはり憎しみだったのです――抱いていた。

 『蒼き鋼のアルペジオ』の劇中、人類の似姿として創られたメンタルモデルの少女たちは、自らが意図せずして抱いてしまった「感情」をもてあましてもがきます。正直なところ、それまで自分には、そんな「感情なんてないほうがいい」という、中二病めいたテーマは身近なものではないと思っていた。今日の午前中、劇場版の完結編『蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ Cadenza』の先行上映を観たとき、そのテーマを抱えて悩むあるキャラクターの姿を見てさえそう思っていた。
 でも『Words』を聴きながらぼくは感情を持てあましていた。山村響さんの歌声に感動しながら、薄汚い憎しみと美しいものへの愛を同時に感じてしまう自分の心なんか、一時停止してしまったほうがいっそ楽だ、とか思っていた。三十代のおっさんなのに。中学生かよ。

 『Words』のあと、少年たちの振る舞いは穏やかになっていきました。よほど盛り上がる曲でないかぎり、声も拍手も控えめになった。勢いがありながらも切なく響く楽曲群のゆえか、あるいはそれらの楽曲に聞き入っている周りの人たちに遠慮したのか。
 いっぽう、彼らとは違うほうから、今度は少し大きな声で、Tridentにあわせて歌う男の声が聴こえてきました。ちょっと耳につくくらい。でも、Blue Steelsの面々がステージにあらわれて、客席全員で合唱をするうち、その声も目立たなくなった。いや、彼は最後まで少し大きめの声で歌っていたのです。でも彼以外にも歌う声は聴こえた。ぼくも下手な歌を歌った。なにより、ステージ上の歌い手達の歌が、よりいっそう輝きを増して、ぼくの耳を占有した。

 結果として、ぼくのまわりの厄介なひとたちは、みごとライブの輝きによって中和されたのでした。たぶん、ぼく自身の厄介な叫び声や、厄介な感情をふくめて。
 ライブの熱狂による麻痺? そうかもしれません。
 気にならなくなったのはぼくだけで、周りの人たちにとってはそうではなかったかも。 それも可能性はある。
 でも、今夜、あのステラボールの一角で、ぼくにとって厄介さは厄介さではなくなった。それは確かです。

 ライブの最後の、渕上舞さんいわく。かつて声優業を辞めざるをえないかもしれないと思った自分が、ダンスが嫌で、努力が嫌で、そんな自分が今は大ステージの真ん中で楽しく歌っている、それって凄くない?

 同じく沼倉愛美さんいわく。わたしは沼倉愛美として生まれてきてよかった。

 そして同じく、山村響さんいわく。
 誰かが正解だとか、運命だとか、教えてくれるわけじゃない。これは偶然にすぎない。でも今自分が、Tridentが、観客がこうしてここにあることは事実だ。
 だから過去を振り返って、自分はこれを運命という。

 よきことは確かに起こる。
 悪しきこと――それがたとえ自分のなかにあるものであっても――は乗り越えられる。
 そういうことを彼女たちは語っていたように思います。

 いわゆる「災害ユートピア」的に、ライブ会場のすみっこがちょっとハッピーな空間になったからといって、それが世界ぜんぶを肯定するわけじゃない。ぼくの人生を肯定するわけでもない。何も証明はしません。
 でもぼくにとっては重要な事実だ。そしてぼくはそのことにとても勇気づけられている。

 厄介さは世界にある。自分のなかにある。物語のなかの、人類の敵たる霧の艦隊たちや、彼女らを指揮する謎の存在、「アドミラリティコード」と同じように。
 でももしかしたら厄介さとぼくはともに生きていけるかもしれない。単純な否定でも、放棄でもなく。ともに。

 つぎのTridentのライブが、来年4月3日に行われることが発表されました。この4月の週末は、ぼくの仕事が一年でもっとも忙しくなるタイミングです。これから半年の自分の仕事によって、Tridentのライブに参加できるかどうか、どんな状態で参加できるか、すべてが自分次第で決まる。たぶんそこには乗り越えなければならない大量の厄介さが待っている。
 でもぼくはTridentを聴きながらがんばろうと思う。

 本当に中学生みたいで嫌になるのですけど、ぼくにとっちゃそれも運命ってやつなのかもしれないな、と今晩は、いまこの瞬間は、思います。
 がんばって生きよう。