こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

「お前はわたしを殺しに来たのか」/『PAN』

 ここ数日個人的にとても疲れているので、ほかの人にとってどうだかは知らないけれど、『PAN』がすさまじくこたえたので書いておく。

 主人公ピーターが生きるのは第二次世界大戦中のロンドンである。ドイツ空軍の落とす爆弾が街を焼く時代。意地悪な大人たちの管理する孤児院という苦しい現実を生きぬく彼の人生に、ある夜、幻想が介入する。真夜中、ベッドの並ぶ大広間に、天井から暗闇を裂いて侵入した海賊たちが、孤児たちをさらうのだ。
 まるで爆弾のように。

 美しいロンドンの夜、帆船が空を舞う。それを追いかける英空軍の戦闘機群。少年たちは肌着のままでその光景に目を見張る。このあたりは『リトル・ニモ』を少し思い出す*1
 やがて帆船は大気圏外に脱してまた落ちていく、いや、落下しているのか上昇しているのか、ぼくは混乱する、行き着いたところがどこなのかもよくわからない。しかし誰かが叫ぶ、「ネバーランド!」と。

 ヒュー・ジャックマンが演じる「黒ひげ」の登場シーンには唖然とさせられた。この趣向――これは製作中に監督のジョー・ライトが思いついたアイディアらしい――は、評価が分かれるだろう、というか、たいていの人は困惑するだけではないだろうか。彼はある歌を歌いながら登場するんだけど、その歌というのが……。まあ、詳しくは観てのお楽しみ。

 黒ひげは言う、時代も国も超えて集められた諸君はここで幸せに暮らすのだ、と。時代も国も超えて?なるほど。この台詞でぼくは納得する。これは20世紀中盤のロンドンと同じ時間の流れのなかに存在する異世界、ということではないのだ。あまねく時代から集められてきた孤独な男の子たちのための世界、どんなときも普遍的に存在する、そういう概念の世界なのだ。だからあんな演出が許されるのだ。もしかしたら彼は1990年代にネバーランドへ迷い込んだ男だったのではないか。あの歌を聴く十代を過ごすなか、あの世界へ迷い込んでしまったのではないか。
 少し話が逸れるけれど、その意味では、『エンジェル・ウォーズ』を思い出したりもした。唐突に、本来その作品が描くべき時代とは異なる時代のポップカルチャーが唐突に挿入される映画。そこに切実さを見るか、安易だと拒絶するか。ぼくはどちらの映画にも前者の反応をしている。

 その後、初飛行をなしとげたピーターと黒ひげが、黒ひげの部屋で対峙する夕刻のシーンには、このあたりの茫漠とした時間感覚が凝縮してあらわれているように思える。まるですべての時代が黄昏を迎えているかのように、落ちていく陽の光、低く響く風。そしてそれらがすぐそこに存在しながらも、ガラス窓一枚で決定的に隔てられて、ただ黒ひげという男とピーターという少年、長い年月を生きて倦怠に沈んだ男と、出自を知らず行先を知らずただ戸惑う少年とのふたりがいるこの部屋のなかだけが、世界の全てだというような感覚。
 ここで夢と死について語るヒュー・ジャックマンの演技はほんとうにすばらしかった。
 そして彼は言う、「おまえはわたしを殺しに来たのか」。
 うああ、とぼくは息を漏らす。そういう映画だったのか*2

 黒ひげとピーターのあいだにいるのがフックである。
 彼は利己的で調子がよく、ピーターにしばしば大人の悪い面を露悪的に見せつける。けれど、いざおまえは邪悪だと名指しされたときには、「おれはできるだけのことはやったんだ、時折間違ってはしまったけれど」などと弱音を吐く。ピーターのように跳べはしないけれど、黒ひげのように奈落への落下に身を任せることはできないでいる。

 けっきょくのところこの物語は、黒ひげとフックとピーターとに象徴される、人間の心の戦いと救いを描いているのだと思う。少年と青年と老人の戦い。理想と現実と諦念の戦い。

 それにしても、今年はこういう映画が多い。時を超えて私が私に会いに行く映画。楽器ケースを抱えて時を飛んだり、走って水たまりを跳びこえたり。なんなんだろう。

 そういう映画だ、と受け取っているのはぼくだけかもしれない。そしてそういう受け取り方はとても気持ちが悪いものだと思う。ふつうにピーター・パンが好きなひと、ごめんなさい。

 ぼくはピーターが二回目の飛行を成し遂げるシーンで――正確に言えば、彼が飛ぼうと決意した瞬間に――涙が止まらなくなった。きみは飛ばなくていい。きみが飛んで救おうとしているのは、そんな価値のあるものじゃないんだ。そう思いながら。

 ピーターはネバーランドに「私」を殺しに来た。しかし同時に活かしにも来た。そういうことなのだった。

*1:というか、あちらがピーター・パンをイメージの源泉にしているんでしょうね。

*2:いや、本当にそういう映画だったのか? どうもぼくの記憶は混乱している。こんな台詞は本当にあったのだろうか?