こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

世界はきみの夢/『ガラスの花と壊す世界』

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 ぼくのフィクションの分類棚には「長い夢みたいなやつ」という区分がある。
 長く、濃密で、鮮明な夢。物事が断片的にしか語られない。時間も場所も跳ぶ。しかしそれらは継ぎ目なしに繋がっていて、一瞬一瞬の情報量は過密で、覚醒してしばらくはそれらがすべて現実だったのだと確信しているほどに鮮やかな夢。すべてが夢だとわかったあとも、数日後にふいに「あれは現実だったのだ」と頭をよぎるような夢。
 そういう夢を見たあとと同じ感触を頭のなかに残してくれる映画、あるいはフィクション。
 時系列のシャッフルや不条理な展開など、構成が夢のようだと思えるだけではだめなのだ。多くのフィクションは人に「リアルだ」と思わせることを指向していて、それに対して「アンリアルだ」と思わせてもいいという方針で作られているフィクションがあるけれども、ぼくが言いたいのはそういうことではない。アンリアルなだけではいけない。
 観ているうちはとてもリアルに思えるが、終わったあとは、決してリアルではなかったことがまざまざとわかる。それでも、それが作りものであったという事実は、自分がそのフィクションをリアルだと思っていた確信を、決して揺るがさない。
 そしてぼくはそういうフィクションが大好きなのである*1

 

 『ガラスの花と壊す世界』は上映時間67分のアニメ映画である。ポニーキャニオンが2013年に開催した公募企画「アニメ化大賞」での大賞受賞作を原案としているが、世界設定や物語の多くは新たに練られたようだ。
 残念ながら、そうして作られた本作の物語は、巧く語られてはいない。人類滅亡後の世界で動き続けるコンピュータ・プログラムたちの物語と、それらを作り上げた人間の数世代にわたる物語とが、両者が密接に繋がっていることをふくめて描かれていくのだが、その語り方は勢いやテンポに頼りすぎていて、乱雑ですらある。
 主人公のデュアルとドロシーは、現実世界をデータ化して保存した巨大なバックアップ保管庫を守るアンチウイルスプログラムであり、彼女たちは日々ウィルスと戦うのだけれども、戦闘シーンのアニメーションとしての面白さ、かっこよさは中の中といったところで、あまり目を惹かれはしない。

 

 ではつまらなかったかというと、まったくそうではないのだ。映画館で、大好きだ、と大声で言いたいくらいに興奮した。
 それはこの映画が前述の「長い夢みたいなやつ」という個人的なフィクションの分類にばっちり当てはまったからである。
 さきほどは、この「長い夢みたいなやつ」の特徴を色々と書こうとしたけれども、最終的にはこれはぼくの超個人的な感覚の話である。映画館で自分が「長い夢みたいだ」と感じたから、そういう分類に入るのだ。そういう自分勝手な話ではある。申し訳ないです。

 

 思うに、この映画の構成、演出、テーマのそれぞれに、ぼくの「夢みたいだ」という感覚を刺激する要素が色濃くあったから、その分類に当てはまり、かつ大好きになってしまったのだと思う。


 構成は前述のとおり乱雑さがみられる。終盤の謎の明かし方は過密すぎてついていくのに苦労するし、興が冷めると感じる人も多かろうと思う。けれども、その過密さ、論理を繋げるのに苦労する違和感が、「長い夢みたいなフィクション」という感覚をぼくにもたらす。

 

 映画の中盤、挿入曲が二曲立て続けに流れるパートがある。人気の女性声優たちが歌う曲を使おうという商業的な目的も透けてみえるのだけれども、一曲目では様々な時代・場所を訪れて、二曲目ではともに日常を過ごすなかで、それぞれに未知の世界を知っていくデュアルとドロシー、リモの姿が実にかわいらしく、いきいきと描かれている。
 デュアルたちが膨大な未知の世界を、その多くを受け止めきれないままに次から次へと知っていく感覚は、映画の終盤まで持続する。データアーカイブの未知の世界を知って驚いていた彼女たちは、やがて自らの存在意義や、データアーカイブの現状にかくされた真実を知っていく。観客がその膨大な謎の開陳に戸惑うのと同様、デュアルたちも戸惑う。戸惑うし、物語は決してハッピーエンドには着地しない。それでも、デュアルたちは世界の理の片鱗に触れてなんらかの確信を得た。未知の世界を知り、ほんのわずかな真実をつかんだ彼女たちの変化を、表情やしぐさが強く物語る。
 そんな演出を見る喜びだって決して充分ではないのだけれども、断片で示されるからこそ輝いて見えることもある*2。たぶん世界の理はたしかにどこかにあるのだろうけれども、主人公たちと観客はそのすべてに触れることはできず、しかし一瞬でも触れられたことによって、世界が一変して輝いて見えるあの感覚。それこそがいいのだ!

 

 テーマについては詳しく言わないでおくけれども、オーソドックスなポストヒューマンSFの物語が、茫漠とした時間感覚で、これまた断片的に語られることに強い魅力を感じた。
 何をもって人とするのか? ほんとうのこととは何か。現実とは何か……。そうやって世界や人間そのものへの問いを放ちつつ、そこに執着せず、これからも凄まじく長い時間を生きていくであろう主人公たちが楽しそうに笑うさまをもって物語を終えるところがよい。

 

 思考を続けるコンピュータプログラムたちが、このあとどんな存在になっていくのか。映画のラストで、ある登場人物は、(生きる目標としての)「夢を見つけた」と言って喜ぶ。彼女の生きるコンピュータの世界を作り出した、おそらくは数百年前に生きた人間たちの姿がフラッシュバックする。両者をつなぐ、人間でもありプログラムでもある存在が歌う歌が聴こえてくる。

 人間がプログラムを創造し、プログラムがふたたび創造の入り口に立つ。それを過去の人間が微笑んで眺めている。「夢」を見ているのは人間なのか、プログラムなのか……。
 「長い夢のようなフィクション」を好むぼくは、この終幕に、「あるいはすべてが夢なのではないか」という感慨をいだいた。いや、じっさい、これはフィクションであり、夢のようなものであり、しかし――。

 

 そういうわけで(どういうわけで?)、ぼくは大層気に入りました。
 自分はほとんど前知識なく、まっさらな状態で観たことで、登場人物たちが世界を知っていく驚き、喜び、悲しみを共有できたので、親切にすぎる公式サイトのストーリー紹介などは目にしないまま、ノーガード戦法で劇場へ行くのをおすすめします。
 よい夢を。

 


劇場アニメーション「ガラスの花と壊す世界」予告編

 

音楽がとてもよいです。劇伴と主題歌を手掛けるのは横山克。サントラ買ってしまった。


【ガラスの花と壊す世界】主題歌CD「夢の蕾」【試聴PV】

*1:例:ヨースタイン・ゴルデル『カード・ミステリー』、ジョー・ライト『PAN』、ウォシャウスキー&ティクヴァ『クラウドアトラス』など。

*2:貧乏性の人間がわずかに与えられたご褒美に喜んでいるだけだと言われたらそれまでだ。