こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

ぼくは「ガルパンはいいぞ」と言わず「ガルパンはおもしろいよ!」と言う/『ガールズ&パンツァー 劇場版』二回目

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 立川シネマ・ツーで『ガールズ&パンツァー』(極上爆音上映)を観てきました。二ヶ月ぶり二度目。
 隣のお客さんが初めて劇場版を観たらしく(上映前の会話をぼんやり聞いていた)、最初に砲撃の轟音が劇場内に響いて身体に伝わってきたとき「ふわあ……」みたいな声を思わず漏らしていたのが印象的でした。終了後も「よかった!よかったよー」とか同伴のリピーターさんに興奮して言っていたのもよかった。他のお客さんも、リピーターが初見の友達を連れてくる、というパターンが多かったように思います。

 

 1月に書いた通り、ぼくは『ガールズ&パンツァー』に違和感を抱いています。二度目を観終わった今もその壁は完璧には崩れていません。

 戦車道において、少女たちは決して傷つかない。「特殊なカーボンコーティング」という設定を超えてその傷つかなさは過剰に思える。そしてその、「どんなときでも少女たちは傷つかない」という物語には、世のオタクたちの、女性への暴力を過小評価しがちな傾向*1通底するものがあるのではないか? ぼくの違和感をざっくり言うとこんな感じです。
 書いた直後も今も思いますが、我ながら、なかなか過敏な感想です。それに、萌え文化、セカイ系文化、さらに広げて言えばハードボイルドに冒険小説と、傷つかない女たちがたくさん登場する娯楽をさんざん楽しんできたお前が言うか、とも思う。でもそういう文化に浸りきった自分だからこそ、ちょっとでも「なんかいやだな」「違うな」と思ったときは口にしておきたい。特に、前回鑑賞時の1月初旬は「ガルパンはいいぞ」という言葉に非常に勢いがあり、そのうねりによって、欠点を隠したままでガルパンをプッシュしていく空気がありました。そういうノリノリな人たちに「ちょっとここらでゆっくり考えませんか」と言っておきたかった。

 

tegi.hatenablog.com

 


 とはいえ、だいぶぼくの感性によるところが大きい文章だったわけで、そういう説得力の低い話を全面に出した記事にしたのは無粋だったかな、と反省しています*2
 また、最近ガルパンとはまた別種の盛り上がりをみせているアニメ映画『King of Prism』*3や、またぼくが昨年のベスト映画に挙げた『ラブライブ!』において、ぼくがガルパンに感じたようなそれに通じる違和感*4を抱いた人がいることを踏まえると、これはガルパンと男性オタクという問題設定だけでは不足で、狭量な議論になりかねないと思うようになりました。娯楽と現実の関わりについて、より幅広い視点で複数の作品を通じて語っていかないと、なかなか通じにくいし自分でも納得できていない。

 その作品の大ファンとして、インサイダーとして語るときにこぼれおちるもの。一見さんとして、アウトサイダーとして語るときにこぼれおちるもの。
 個人の感覚を文章にしているのだから、何かがこぼれおちることは当然なのですが、こぼれおちていること自体は忘れてはならない。
 今言えるのはそのくらいなようです。
 うーむ。

 

 そういうわけで頭がだいぶ煮詰まっていましたが、『ガールズ&パンツァー』二回目の鑑賞じたいはたいへん楽しかったです。

 今回は事前に二冊の本を読んで臨みました。要は、前述したところの「インサイダー」に自分から積極的になったうえで観た、ということです。

 まず一冊目は、野上武志/鈴木貴昭『リボンの武者』。楯無高校に通う松風鈴は、眉目秀麗な優等生ながら、こと戦いについては鬼気迫る執着をみせる同級生・鶴姫しずかに誘われ、小型戦車のみによる非公式戦「タンカスロン」の世界に足を踏み入れる――という『ガールズ&パンツァー』スピンオフコミックスです。

 

ガールズ&パンツァー リボンの武者 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

ガールズ&パンツァー リボンの武者 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

 

 

 鈴にとって、大洗の面々は奇跡的な優勝をなしとげた雲上の人々であり、とくに西住みほは戦いの鬼神として恐れるべき存在として描かれます。もともと、王道の主人公たちの脇で生きるキャラクターに愛着を持ちがちなぼくとしては、こういう距離感にわくわくしてしまいます。
 タンカスロンは非公式なので、戦車道のように、ルールやマナーを管理する公の団体は存在しません。参加者も観客も自己責任で、怪我をしても卑怯な手を使ってもお咎めなし。
 この雰囲気、たとえばF1などの現実のカーレース文化がかつてはそうしたものであったことなどを連想させて、「これはこれでアリ」という気持ちになってきます。
 いやなんかそういうもんでもなくない?実際怪我したら公のトラブルとして社会問題になり、競技/文化そのものが衰退するのでは?…などと思いはすれど、戦車をめぐるガルパン世界のリアリティをつかむ一端として、なかなかにたのしい作品です。
 『リボンの武者』で触れられるそんな背景を手がかりにすると、「戦車の戦いというハイリスクな場でも自己責任が前提となりうる世界なのならば、肉体的破損や物損を極めてローコストで補償できるのではないか。たとえば『エリジウム』のアレ*5みたいに大怪我してもすぐ直せちゃうんではないか」みたいなオタク的妄想力も働いてまいりました。

 

 かように勝手に脳内で設定を補強するとともに、映画を観ているうちにガルパンのリアリティラインを納得できてしまった、ということもありました。というのも、終盤の戦闘時に「これはジョン・ウーではないか」というサトリが頭のなかに生じたのですね。装弾数を超えた銃撃、射線のなかに飛び込んでもバレットプルーフな主人公。そういうものだ、以上!というあのウー学校(((c)ギンティ小林)の校則と同じようなものではないか。
 特に、たがいに大隊長を守るべく大学生チームとナオミたちが繰り広げる流麗な戦闘には、凝縮された数秒のなかでアクロバティックなアクションがめまぐるしく展開する香港アクション的なものを感じてたいへんぐっときました。あのへんはみんな戦車のなかに引っ込んでてさほど危なげもないし。

 要は、自分の中にそれまであった、「傷つかない少女たちを観て癒やされたい」という日本男性オタク的な快楽の追求としてのガルパン像だけでなく、「こんなアクションは面白かろう」そして「そのアクションを成立させるにはこのリアリティラインにしよう」という、アクションの快楽の追求としてのガルパン像が自分のなかに立ち上がってきたのです。補助線が一本から二本に増えて、面白さが増えたという感覚もある。

 

 とはいえ、今回の鑑賞においていちばん強烈な補助線として機能したのは、鑑賞前に読んでいたもう一冊、『ガルパンの秘密』の内容です。

 

 

 アニメを作った主要なスタッフはもちろん、舞台となった大洗の街の人々の声も多数含むインタビュー集で、「それ、アニメの大洗女子学園みたいじゃん!」というエピソードが頻出する。アニメを作る側も、大洗の街も、「どこまでできるかわからないけれど、やれることを最大限やろう」と、各地で奮戦する。成功者による振り返りという、ある程度冷静に読むべきテキストではありますが、「アニメというきっかけがなくなっても、大洗町はそこまで弱い観光地ではありませんよ(笑)」(大洗ホテル・島根隆幸さん)なんてせりふが飛び出すような強さ、開放感、現実主義なざっくばらんさがあって、現実の大洗町、そして『ガールズ&パンツァー』を作った人々への敬意と親近感が湧き上がってきます。
 そういう感情と、それから大洗町東日本大震災津波被害と風評被害を受けたことを踏まえて、よりによって3月12日に映画を観てしまうと、前半のドラマがまったく違ったものにみえてくるわけです。理不尽に学園艦*6を追われる大洗の面々は、福島原発事故で住まいを追われた人々に重なります。
 「学校がなくなったら、バレー部じゃなくなっちゃう」「風紀委員じゃなくなっちゃう」「一年生じゃなくなっちゃう」と各チームのテンプレ的アイデンティティーの喪失を嘆く大洗の連中が、コミカルでありながら、すさまじく切実なものとして迫ってくる。「一年生じゃなくなる」ことを嘆くってどんなアイデンティティーだよ、と思って笑っちゃうわけですけど、いや、五年前、じっさいに高校一年生であったアイデンティティーを奪われた人が大量に生じたはずなのだ……、と絶句せざるをえない。
 ぼくはもともと本作の前半、大洗を追われた面々の疎開生活を描くパートがとても好きだったのですが、そうした目で観ると、疎開先の個々のエピソードやデティール、それから西住みほが実家へと帰り過去を回想する描写への愛おしさがより一層強くなりました。同じく廃校に立ち向かう『ラブライブ!』が「学園生活」を守る物語だとすると、こちらは街・家を含む「生活」全体を守ろうとする物語だ、と言えるのかもしれません。だから、大洗町への聖地巡礼が習慣化し、より密接で深いかかわりを求めたくなるのではないか。
 ぼくはかように東日本大震災に結びつけて考えてはみましたが、しかし映画じたいはあくまで、ポップな萌え文化の極北としてのたたずまいを崩しません。あと半歩踏み出せばそちらへ行けそうだけど、行かない。映画が終わってみれば、劇場にはまずは「楽しかったー!」と顔をほころばせる人がたくさんいる。

 色々な意味で、ガルパンは娯楽映画として「強い」。
 その強さは戦車の履帯のようで、難路を突破して乗務員を救うこともあれば、振り落とされ、鉄の重みに踏み潰される恐怖を生み出すこともある(かもしれない)。
 その両方を考えながら、それでも圧倒的にこちらを揺さぶってくる快感に身を委ねる二時間でした。
 立川の上映が4月以降も続くのならば、また観に行くと思いますが、とりあえず今回の感想は次のような一言で終えたいとおもいます。

 ガルパンはおもしろいよ!

 


ガールズ&パンツァー 劇場本予告

*1:これは、誰かが傷ついたというときに「それは暴力じゃないよ」と否定してしまうような、間接的な暴力の肯定へのハードルの低さ、あるいは自分が直接的な加害者になることへのハードルの低さ、双方を含みます。つい先日も、上坂すみれさんが心ないリプライを多数受けてきたことを理由に、ツイッターを終了するという悲しい出来事がありました。

*2:このあたり、先日元記事にコメントいただいたnoraさん、taskさんとの会話から得るものがとても大きかったです。

*3:http://tegi.hatenablog.com/entry/2016/02/21/225933に書いた通りぼくは『King of Prism』を非常に楽しんだのですが、腐ハウスブログ「キンプリ見てきました」(http://fuhouse.hatenablog.com/entry/2016/02/19/200342)での、同作におけるアイドルを娯楽として消費することの苦さについての指摘にも非常に深く共感しました。

*4:スクールアイドルもラブライブ!運営に搾取されているのではないか問題。これに関してはわたくし、文科省ラブライブ!運営による各学校への補助金制度が存在しているというロジックが自分の中ではすでに出来上がっているので完全に解決済みなんですけど、まあ、アニメ本編だけだとつらいかもしれません。

*5:シャールト・コプリーのごとく顔面大破した西住みほの治癒を「みぽりん、今回は機嫌いいといいなー」とか言いながらぼんやり待ってる大洗の面々、とか想像したくないけど

*6:空母原子力...、ときわめて安易な連想もしてしまいます。