- アーティスト: Trident,Blue Steels,イオナ(渕上舞),タカオ(沼倉愛美),ハルナ(山村響),Heart’s Cry,伊賀拓郎,baker
- 出版社/メーカー: FlyingDog
- 発売日: 2016/02/17
- メディア: CD
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いよいよTridentのラストライブ*1まであと一週間となりました。
まったくの偶然ですけど、Trident同様にぼくが愛するμ'sもまたあと数日でラストライブを迎えます。なんたる符合。偶然ではありますが、あと数日で自分の好きなものの終わりが二つもやってくるかと思うと、その欠落に自分が耐えられるのか不安になってきます。いや、きっと自分のなかでなにか大きな変化が起こるのだけれども、大きすぎて予測ができない。そんな気分です。
でも、Tridentにせよμ'sにせよ、当の本人たちからは、悲壮感みたいなものはあまり伝わってきません。ライブという大きな仕事を前にしているのですから、悲しむ暇なんてない、ということもあるのでしょう。大人が仕事として準備をしているのですから、当然です。
ですが同時に、ことTridentについては、Trident自身もファンも、こうした「終わり」を迎え入れる準備はあらかじめできていたのではないか、という気がします。
別れを前にしても、悲しみに暮れなくてよいのだ、とみな頭でわかっている。
Tridentを産んだ『蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ』という作品が、そのことを示しているからです。
『蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ』の主人公であるイオナ*2は、自分が超越的な存在・ヤマトによって恣意的に創りだされたかりそめの存在であることに悩みます。世界の危機を回避するために、彼女は自分のなかにバックアップ保管されていた創造者たるヤマトを解放しなければならない。ヤマトを解放したとき、おそらく自分の自己同一性は保たれず、ひとつの終わりを迎える。自分の生は他者のためのものであっただけでなく、終着点までもあらかじめ決められていたのです。
彼女は恐怖に怯えます。仲間の危機を前にしても、自分を失う恐怖から、何もできないでいる。
そんな彼女の背中を押すのは、かつて自分の愛するものを失った悲しみにとらわれ暴走するも、イオナによって救いを得たコンゴウでした。
消えるわけがないだろう
お前の存在はずっと私の中にある
お前がこれからどうなろうと
私が覚えている限り
お前がいたという事実は消えはしない*3
すでに愛したものを失ったコンゴウが口にするこの言葉には、とても説得力があります。とはいえ、容易に頷くことは難しい、とても厳しい言葉でもある。
他者の記憶という不確か極まりないものにしか、自分を託すことはできない。そんなことを信じて自分を投げ出せるのか。
そもそも、イオナの生は他者によって定められたものでした。そのような生を、自分だけのものとして認め、誰かに認めてもらうことができるのでしょうか。
自分の生に、他者に託せるほどの意味はあったのだろうか? もしぼくが彼女の立場になっても、そのように怖気づくはずです。
もちろんぼくを操るヤマトのような超越者はいません。ですが、身体や能力によって、ぼくのできることはとても小さく限られている。自分が歩める狭い狭い道だけをなぞっていく己の生が、ときおりひどく虚しく思えてしまう。思い悩むイオナに、ぼくは強く共感します。
が、それでもイオナは、自分のなかのヤマトを復活させることを選びとります。
あらかじめ定まったルートを通ったのだとしても、
それでも世界は複雑さに満ちていて、そこから自らの大切なものを選びとることはできる。
たとえ自分の記憶がなくなり、アイデンティティーが消え去っても、それを誰かに引き継いでもらうことは可能だ。
そこに意味は必ず生じる。
イオナの選択は、そのような信念に基づいているのだ、とぼくは思います。
人の生は、運命を超えて意味を得ることができる。
そのようなことを考えるとき、ぼくは、2015年3月のTridentファーストライブにおける『Innocent Blue』歌唱中の一場面を思い出します。
ハルナ役・山村響さんとタカオ役・沼倉愛美さんの間に立って、ひとりソロパートを歌おうとするイオナ役の渕上舞さん。その背中に、左右から沼倉さんと山村さんの手がそっと添えられます。感極まった渕上さんは、思わず声をつまらせます。こぼれる涙。いたわりあうように、互いの感情を交換させるように、寄り添うTridentの三人。
渕上さんの背中に手を添える振付は、事前に沼倉さんによって考案されていたものでした。ですが、落涙というアクシデントによって、その動作は、渕上さんをいたわる二人の心の現れとして見えるようになった。
大げさですが、あらかじめ定まっていたはずの振付という運命を超えて、新たな意味が生じたのです*4。
より大きくTridentの活動を見渡すと、Trident自体も、あらかじめ定まっていた運命のなかで、意味を見出していくことを実践したのだと言えるように思います。本人たちの自主的な希望でも、自然発生的なものでもなく、アニメ放映前から段取りされた、作品の利益のために組まされたユニット。それがTridentでした。
Tridentがその活動初期に「不仲」というキーワードをもって世間から誹謗を受けたのも、作品内ユニットという存在の向こうに透けて見える「大人の事情」が忌避されたからかもしれません。ファンタジーであるはずのアニメ作品が、好きでもない仕事を声優たちに強いている。そんな歪んだ現実は、オタクたちの見たいものではないのだから。
しかしいま、彼女たちの歌に、ラジオでのトークに、そしてステージでの姿には、そのような定められた運命を窮屈にこなす不自由さは感じられません。作品の終わりと同時に活動を終えさせられる、そんな運命を辿らされている真っ最中だというのに。
決められたことをこなすなかでも、自分にとってかけがえのない意味を見出すことができる。
Tridentの、そして『蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ』の発するそんなメッセージに、この最近のぼくはずっと勇気づけられてきました。
Tridentは、規定された活動のなかで、規定以上の輝きを見せてくれました。ならば自分のような人間も、日々の、どうしようもなく平凡に規定された人生を、意味あるものにできるのではないか。そう信じさせてくれたのです。
ぼくにそんなことを信じさせる力をくれた人たちの、最後の道のりが、このラストライブです。ならば、悲しみに暮れることはない。Tridentの姿を心に焼き付けて、ラストライブのあとも、ぼくはまた大いに語って語って語り倒します。
そしてコンゴウのように、「大丈夫だ/私がお前を忘れはしない」、そう口にしてみせるのです。
私に世界を、世界との繋がりを与えてくれたのはお前だ
そのお前が自分を否定するようになってしまっては
私も立つ瀬がないではないか
大丈夫だ
私がお前を忘れはしない
私たちは、繋がっているのだろう?
Tridentが解散したって、悲しくなんかない。
そこで悲しんでいたら、自分のなかに何かを残してくれたTridentの、「立つ瀬がない」ですから。
ライブのチケットはまだ一般発売中のようです。
今からでも遅くはありません。あなたも、Tridentの航跡を目にしてみませんか。
幾多の運命と偶然を越えて活躍してきた彼女たちの最後の舞台に、一人でも多くの人が、それまでの人生のルートからちょっとだけ足を踏み出して参加してくれたら、きっと素敵なことになるだろうと思うのです。
幕張でお会いしましょう*5。
*1:4月3日、幕張メッセで開催予定。
*2:美少女アニメというジャンルからすればイオナは「ヒロイン」ですが、ここは「主人公」と呼びます。「主人公」である群像と同じく、戦い、悩み、成長した彼女には「主人公」という名前こそふさわしいと思うからです。
*3:『蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ Cadenza』より、コンゴウのせりふ。以下同。
*4:正直に言えば、ぼくの記憶のなかでは落涙→手を添えるという順番に改変されてすらいました。ブルーレイで確認して順序が逆だったことに気づいた。記憶の曖昧さに苦笑しつつ、それでもやはり、そう思ってしまうのも仕方ない名場面だよな、と思います。
*5:e+のURLはこちらです(笑)。http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010163P0108P002144333P0050001P006001P0030003