こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

Aqoursの「自由」について/『ラブライブ!サンシャイン!!』12話までのこと

 現在のアイドルがどれほどに「自由」なのか。アイドルを愛好する人間ならば、一度はそのようなことについて考えを巡らせたことがあるのではないでしょうか。
 AKB48によってあらためてクローズアップされた苛烈な競争制度を、アイドルが飛び込まざるをえない「不自由さ」としてイメージする人は多いと思います。しかしその不自由さはあえてアイドルによって自主的に選び取られているのであり、その競争のなかで自分の思い通りに戦うことで「自由」になるアイドルもいるかもしれません。
 いっぽうで、インターネット、そしてSNSや動画配信サイトの発達はアイドルに「自由」な発言・行動の場を与えたようにみえますが、ファンや関係者によってつねに見られていることで新たな「不自由」さを産んでいるとも言えるでしょう。
 なんにせよ、どちらがよい、悪い、と断言することは極めてむずかしい。究極的には、アイドル個人が、そのとき・その場所で楽しく感じるかどうかに思いを馳せつづけるしか、このテーマへの対処方法は存在しない、とわたしは思います。

 

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 『ラブライブ!』が作り出した「スクールアイドル」という概念は、アクロバティックな方法でこのテーマへの回答を弾き出してきました。フィクションのなかで「自由」なスクールアイドルたちを描き出すことで、実際には確定できないアイドルの「自由」を保証してみせたのです。


 『ラブライブ!』アニメ二期、そして 『ラブライブ! School Idol Movie』の劇中で、μ'sは三年生卒業と同時の解散を自ら選択します。学院理事長やファンたちからの穏やかな反対・嘆きの声は描かれつつも、スクールアイドルとしてのμ'sの「自由」はそのまま世の中に受け入れられる。
 アニメのなかでμ'sが解散を選び取り、それが尊重されている以上、現実のμ'sもまた同様の行動をしてもよい――アニメ内のμ'sの解散は、そのような価値観を現実世界のファンや関係者たちに刷り込んだはずです。その刷り込みあればこそ、現実のμ'sもまた16年4月のラストライブをもっていったんの活動終了を無事に迎えることができたのではないでしょうか。二次元のキャラクターのダンスシーンを、三次元の声優がライブ上で再現してきたように、μ'sは二次元で獲得した解散の自由を、三次元でも行使したのでした。

 

 『ラブライブ!サンシャイン!!』12話において、Aqoursもまた「自由」を手に入れます。ずっとμ's、そして高坂穂乃果を目指してきた千歌が、ついに自分たちが歩むべき道を、μ'sの姿の外にみいだすのです。千歌はこのように言います。

 

 μ'sみたいに輝くってことは、μ'sの背中を追いかけることじゃない。

自由に走るってことなんじゃないかな!

全身全霊!

なんにもとらわれずに!

自分たちの気持ちにしたがって

 

 『サンシャイン』はそのシリーズを通して、μ'sを繰り返し取り上げてきました。Aqoursの憧れの対象として、あるいはAqoursの背中を押してくれる存在として。その言及の頻繁さは、シリーズ作品としての先輩格へのリスペクトを感じさせてくれる、ファンとしては嬉しいものでありつつ、一方でμ'sがAqoursに投げかけるものの重さを感じさせるものでもありました。

 そんなμ'sから、ついにAqoursは自由になる。しかも、μ'sの美点を理解することによって。
 フィクションのなかでも、現実でも、今後Aqoursがどんなにμ'sと異なることをしたとしても、そこに安易な批判や拒絶を加えることは難しくなるはずです。なぜなら、Aqoursの自由さは、μ'sの美点に立脚しているのですから。

 

 ただし、この「自由」と、μ'sの獲得した「自由」とは大きく異なる、ということもわたしは忘れられません。
 μ'sは、スクールアイドルであるがゆえに、(スクールアイドルより大きな意味での)「アイドル」という存在でなくなること(=解散)を選び取る自由を手に入れました。
 12話におけるAqoursは、プロデューサーや世間からの指示に従うのではなく、自分たち自身で活動方針を決められる、というスクールアイドルの特徴をもちいてμ'sからの脱却を可能にしたわけですが、それはAqoursとしての存在がようやく始まったということでもあります。

 

なんか、これでやっとひとつにまとまれそうな気がするね

 

 果南がこのように言うとおり、これは始まりに過ぎない。むしろAqoursは、これからアイドルとしての苛烈な活動に身を投じていかなければならない。μ'sから自由になったということは、同時に、μ'sの加護を失ったということでもあるのです。

 

 そのようなことを考えながら、わたしはこの、『ラブライブ!サンシャイン!!』13話が放映されるまでの七日間を過ごしてきました。
 自由であることは、不確かであるということでもある。
 このような不安に、μ'sの古参ファンは、そして数多のアイドルファンは耐えてきたのか。わたしは彼らを尊敬してしまう。

 こんな気持ちは、Aqoursたち「18人」の抱える気持ちに比べれば大したことはないはずです。
 そう頭ではわかっていますが、まあ、そのように動いてしまう気持ちというのは、どうしようもない。


 AqoursAqoursとして「自由」に活動していくとき、彼女たち――そしてファンであるわたし――の拠り所になりうるのは、なんでしょうか。
 その一つは、Aqours自身が通過してきた過去の積み重ねではないでしょうか。
 そのように考えてこの三ヶ月を振り返ったとき、わたしの目の前には、極めて丁寧に作られた12話のアニメーション作品が存在する。
 前回の記事でのべたように、言いたいことはたくさんある。あるけれども、たしかにAqoursの過去はそこに積み重なっている。

 先日、久しぶりにファーストシングル『君のこころは輝いてるかい』におさめられた、Aqours九人それぞれによるメッセージボイス「はじめましてのごあいさつ」を聴き直してみました。伊波さんの芯の確かさはこのころからみごとなものだなあ、とか、小林愛香さんはだいぶ甘々な雰囲気を作っていて微笑ましいな、とか、小宮有紗さんの演技の確かさはさすがだなあ、とか、今の声優さんたちの声と比べると感じ取れるものがたくさんあって、実に楽しかったです。
 きっとこれから何年か経ったら、今日、ひとまず完結するであろうアニメもまた、そのように振り返ることができるのでしょう。
 そんな日を、楽しい気持ちで迎えられるように、祈っていたいと思います。