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こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

「向こう側」へ行く/新海誠監督の話を聞いて『何者』を観たこと

映画

 今日は『言の葉の庭』を観て、新海誠の話を聞き、そして『何者』を観ました。これってけっこうすげーいい体験だったのでは?と思ったので、簡単に記事を書きます*1

 

 今日・10月23日に『言の葉の庭』の上映と新海誠監督のトークショーが行われたのは、中央大学でのこと。同大の卒業生向けの「ホームカミングデー」というイベントの一貫でした。卒業生が親交を温めて、人脈を拡げたり、家族サービスの場にしたり、大学としては卒業生の子供や知り合いに中大を知ってもらって将来の学生増につなげよう、というイベントです。著名な卒業生の講演会などもいくつかあって、新海誠監督も同大の卒業生として招かれていました。なお、イベント自体は『君の名は。』公開以前から発表されていたので、今年新海監督に目をつけた企画者は大金星といったところではないでしょうか。
 で、基本は卒業生向けなものの、一般客も自由に入場可能でしたので、友人と一緒に出かけてきました。

 

 開場の30分ほどまえに現地に着いたのですが、ホールの前には長蛇の列ができていました。観客の5割くらいが現役の学生で、1割くらいが新海誠ファン、あとの4割が卒業生、といった感じだったでしょうか。
 イベントの第一部は、新海監督の前作『言の葉の庭』の上映会。ぼくは初見でした。公開当時のタイムラインで、監督ファンだけでなく、アニメと実写映画を両方たくさん観ているタイプの人たちから好評を得ていた印象があったのですが、それも納得のよい映画でした。まず新宿の街、自然の描写がすばらしい。終盤の大雨のシーンには息をのみました。他の映画でも感じられるナイーブな饒舌さも、クライマックスの叫びまで連続していてひとつの表現として活かされているし、その言葉を発する入野自由花澤香菜の声と演技がすばらしいからどうしたって気持ちいい。ぼくが嫌悪する『秒速5センチメートル』の卑怯さ*2とも一線を画していて、なるほどこれがあってこそ『君の名は。』だなあ、という感想を抱きました。
 花澤香菜演じる27歳の女教師は、年齢的にも精神的も、今まで観た新海誠作品のなかでいちばん共感できる人物だったかもしれません。べつにあんな辛い目にあったわけじゃないけど、昼間っから酒を飲みたくなる感覚はすごくすごくわかる。

 

 続く第二部では、新海誠監督と、同じく中大卒の川田十夢さんが登壇し、約一時間ほどのトークショーを行いました。
 川田十夢さんは「AR三兄弟」の長男。個人的には、セカイカメラなんかが話題になっていたころ、ネットの記事でよくお名前を拝見した記憶があります。お二人は川田さんがパーソナリティをつとめるラジオ番組に新海監督が出演したことをきっかけに知り合ったとのこと。心底新海誠作品が好きであり、かつ、なぜ新海誠作品はよいのか?ということをよくよく考えフレッシュに言語化できる、更に、自分自身もとてもおもしろい人、というトークショーの相手役としては大正解な方でした。

 トークショーの話題は多岐に渡り、最後の質疑応答まで含めて大変興味深く、また心に残るものでした。後日、大学のサイトで配信される予定もあるそうなので、新海監督ファンのかたはぜひ目にされるとよいと思います。

 

 母校でのトークショーですから、大学在学中を中心に若い頃の話題が多かったのですが、印象的だったのは新海監督が子供のころは作り手になるとは考えたことも望んだこともなかった、という話です。大学になっても明確にやりたいことはなく、アルバイトに熱心だったそうです。しかし、常に何か焦っていた。確固たるやりたいことがあるわけではなく、ただ、きっと何かが自分にはあるんだ、という気持ちがあったとのこと。
 川田さんがこれに対して、若い人がこれを聞いたら希望を持てると思うんです、だってあの新海誠ですら大学生のときには何か作っていたわけじゃなかったんだから、と返すと、監督いわく、中高生などの若いファンから、アニメを作りたい、といった悩みや質問の手紙をもらうことが多いけれど、みんななんてシリアスなんだ、と思う。自分がアニメを仕事にしようと思った、向いているかもしれないと思ったのは『秒速5センチメートル』をつくった三十代なかばのころです、と*3

 

 そういう話の途中で出たのが、映画『何者』の話題でした。監督はつい最近同作をご覧になったそうで、そうした自分の学生時代の焦りの気持ちを思い出しつつ、SNSでそうした気持ちや人間関係が見えるようになってしまった現代の辛さを感じた、と仰っていました*4

 

 トークショーのあと、近所で『何者』がちょうどすぐ上映されることを確認して、ぼくは映画館へ向かいました。劇場にはぼくと同じく新海監督のトークショーからそのまま流れてきたと思しき青年もいた*5

 

 『何者』はいい映画でした。
 ぼく自身は大学を出てから十年以上経っていますが、仕事の関係で学生と接する機会が多少あるので、この映画が描き出す就職活動にまつわる息詰まる感覚はとてもリアルだろうと推察できます*6
 その息詰まる状況で、登場人物たちは、自分がどうありたいのか、どうあるべきなのか、を見つけようと右往左往します。
 映画は彼らの姿をときにおかしく、ときにまがまがしく描きながらも、ひとつずつ彼らをとらえる枷のようなものを解き放っていきます。
 映画の最後で描かれるのは、ある人物が、自分自身の物語を背負いはじめる瞬間です。要約と嘘が自分たちの武器だと言っていた人間が、短い言葉では語りきれない自分自身の物語を語り、その物語を背負うことを恥じないと決める瞬間。
 けっきょくそれはただ背負い始めることを決めた瞬間に過ぎません。その物語がどのような物語になるのか、その物語の中心にいる自分が何者になるのかはまったくわからない。
 けれどその、自分自身の物語を背負うことの怖さ、辛さ、その選択の瞬間の尊さを描くことに、この映画は成功しています。
 そしてそれは、『君の名は。』が、その題名どおりの問いかけが行われる瞬間をもって終わることと通底しているように、ぼくには思えました。

 

 トークショーの最後に行われた質疑応答で、こんな受け答えがありました。
 「自分は『君の名は。』を観て自分の心臓をつかまれたように感じました。ご自分にとってのそんな作品を教えてください」という学生からの質問に対して、川田さんが、やはり自分にとっては新海誠の映画がそういう作品なんだ、と前置きしてこう言います。新海監督の映画には、「向こう側」へ行く物語が多い。その、「向こう側」へ行くきっかけをどうやってつかんだんだっけ?と思いながら新海作品を見返す。
 そして新海監督いわく、就職も「向こう側」だしね。物語は、どうやってみんなが「向こう側」へ行っているのかを教えてくれるんです。

 

 『何者』もまた、「向こう側」への行き方を教えてくれる映画だと思います。かつて「向こう側」へ渡った人も、これから「向こう側」へ渡る(渡らなきゃいけない)人にも、この映画たちは色々なことを示してくれる。

 こんなわけで、『言の葉の庭』と『何者』とを、立て続けに観て、映画のそんな部分について考えることのできた今日は、なかなかに楽しい一日でした。『君の名は。』とまではいかずとも、『何者』もまた多くの人に届くとよいなあ、と強く強く思います。

*1:文中、トークショーの内容に多々触れていますが、録音できず正確な引用ではありません。誤りを見つけたかたは教えてくれたらうれしい。

*2:決して再会は不可能ではないのに勝手に諦めて自閉し、甘い記憶に浸ってよしとする主人公の判断と、その怠慢をまるで運命が強いたかのように錯覚させる山崎まさよし『One More Time』の打ち出す欺瞞。

*3:そしてこれに続く、自身と宮﨑駿のキャリア・才能を比較分析し自分のできることを探っていったくだりもまたたいへん興味深い話でした。たいへんだったんだなあ。

*4:ただし『何者』は決してこうした息苦しさが現代の情報化社会固有のものではなく、人間社会に普遍のものだということにも触れており、非常にフェアです。

*5:入場者が渡される、大学のパンフレットが入った袋を持っていたのでわかった。

*6:ただしこれは関東圏在住の感覚で、地方に住む学生たちの就職活動にはまたかなり異なる空気感があるのだろうと思います。唯一、そうした地方の空気感を有村架純が少しだけ垣間見せるのですが、あの話、もうちょっと描かれてもよかったなあ。