読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

「嘘をつく人」黒澤ダイヤのこと/『ラブライブ!サンシャイン!!』とAqoursを考える・その1

ラブライブ!

――ダイヤも浜辺に"Aqours"の文字を書いていたことを考えると、もう一度スクールアイドルをやりたいという思いがずっとあったのでは?
小宮「どうなんでしょう。彼女があの文字を書いた本当の思いは、皆さんのご想像にお任せします(笑)」

(『声優アニメディア』2016年11月号Cover Special Aqours 三年生Interview)

 

 『ラブライブ!サンシャイン!!』のアニメ版において、それまでのキャラクター設定ともっともかけはなれた設定を課されたのは誰か。わたしは黒澤ダイヤだと思います。
 旧家のお嬢様で、真面目で硬い人。スクールアイドルには興味なんてなくて、千歌からの誘いも突っぱねていた。G's Magazine版のダイヤはそういう人でした*1
 アニメでは、第1話冒頭でこそG's版そのままに千歌のスクールアイドル部設立の申請を断ってみせるものの、2話以降、実は熱心なスクールアイドルファンであり、自身もかつてはスクールアイドルであったこと、また千歌たちの活動をときに厳しく、ときに陰からフォローしていることが描かれていきます。
 アニメ本放送を見終わり、アニメ版ダイヤに慣れた今もう一度G's版に戻ると、改めてその違いに驚かされます。現時点での最新号である2016年11月号・Q&Aコーナーでも、「ルビィとどんな話をするか」という読者からの質問に対し、「あの子の好きなアイドル話はよく知らないの」と答えている。G's版では、スクールアイドルについては興味がない、という設定は固く守っているように見えます。

 

 この違いをどう受け止めればよいのか。ともすれば、アニメ版とG's版のあいだには越えようのない壁が存在して、断絶しているようにも思えてきてしまいます。でもそこで諦めてしまっては、寂しい。

 

 たとえば、「G's版はアニメ版より過去のダイヤを描いている」という考え方はどうでしょうか?
 G's版でも、徐々にスクールアイドル活動に魅了されつつあるダイヤの姿が描かれています。その延長線上に、スクールアイドルにドハマリしたアニメ版の状態を想像することは、そう難しくない。
 G's版ダイヤはすでにAqoursに加入しているのであって、その先の延長線上に、Aqours加入前のアニメ版ダイヤ像を直接繋げることには物語上大いに無理があります。二人のダイヤをきれいに統合することは難しい。なので、それぞれのダイヤを、別の人格として認識しつつも、「アニメ版のダイヤも、スクールアイドルにはまる前はG's版みたいな雰囲気だったのかな」「G's版のダイヤは、スクールアイドルやAqoursの仲間たちと出会ったことで、アニメ版のくだけた雰囲気を獲得していくのかも」と、それぞれのダイヤの過去あるいは未来に、もういっぽうのダイヤを仮に置いて想像をふくらませてみる。

 

 G's版のダイヤのなかでわたしが一番好きなのは、砂浜で歌う彼女の独白を描く点描です*2。スクールアイドルに興味なんてない。生徒会の仕事も、それなりにこなしているだけ。名家の娘としての日常を忙しく過ごす、かたいお嬢様であったダイヤでしたが、Aqoursの一員として歌を歌ううちに、自分のなかの新たな感情を見つけます。夕陽のなか、感情をこめて歌うダイヤの姿を瑞々しく描くイラスト、そして読者に向けて声を潜めて、でも畳み掛けるように熱く気持ちを訴える文章。それらがあいまって、そのページを眺めると、いつも強い感動が呼び起されます。
 夕陽のやわらかな光のなかで、心を開いて歌うG's版のダイヤのこの先に、スクールアイドルに心をときめかせるアニメ版のダイヤの姿を思い浮かべれば、二者はそうかけ離れたものではないと思えます。


 各メディアにおけるキャラクターの違いに動揺するラブライバーの姿は、いつでもどこでも目にすることができます。
 しかしいちばん戸惑っているのは、Aqoursのキャストたちでしょう。なにせ、それらの物語や設定を足がかりに、演技を組み立てなければならないのですから。
 そしておそらく、ダイヤのことに関してもっとも悩んできたに違いない人といえば、ダイヤを演じる小宮有紗さんです。
 そんな彼女が、つい先日、こんなことを言っていました。Webラジオ『ラブライブ!サンシャイン!! Aqours浦の星女学院RADIO!!!』*3でのひとこまです。

(三年生の各キャラクターが嫌いな食べ物を克服するにはどうすればいいか?というお便り*4に対して)

小宮有紗(以下、こ):(嫌いな食べ物が)「ハンバーグ、グラタン」のダイヤは、これはね、意地っ張りで嫌いって言ってるだけで本当は好きなんじゃないかと思うんだけど
鈴木愛奈(以下、あ):かわいいんだけど!
諏訪ななか(以下、す):ハンバーグ・グラタンを嫌いだって言ってる人あんまりいないよ
こ:いや、これ、嫌いじゃないでしょ。ほんとは好きでしょ。ほんとは好きだけど……
す:ルビィに、おねえちゃん感を出すために
こ:「わたしはみなさんとは違いますのよ」みたいな
す:「ハンバーグとグラタンなんか食べませんのよ」
こ:「そんなおこちゃまな食べ物は食べませんわ」とか
あ:かわいいー!
こ:……とか言ってるだけでほんとは好きで、よだれ垂らして見てる
あ:かわいいかわいいかわいいかわいい!何なん!
(中略)
す:だから、レストランとか行ったら、ルビィがハンバーグやグラタン食べてるのを、指をくわえて見ている
こ:横目で「本当はわたくしも食べたいのに…」とかなってる
あ:和食、隣で、ダイヤ様は食べる、みたいな
こ:鮭定食
あ:あははは

(『ラブライブ!サンシャイン!! Aqours浦の星女学院RADIO!!!』2016年10月19日配信回)

 

 毎度毎度この手の話題になると、リスナーのおたくを代弁するように「かわいい!」しか言わなくなる鈴木愛奈さん、いいやつだよなあ……ということはさておき。
 ここで小宮さんが指摘しているのは、たとえプロフィール情報という作品の基礎にあたるものであっても、そこにはダイヤによる嘘が含まれているかもしれない、ということです。

 

 なかなか過激な考え方です。
 表に出た公式の情報を「それは嘘ではないか」と言い始めたらきりがありません。そのキャラクターであることを確かに維持するものがなくなってしまう。けれども、そのキャラクターがもともと「嘘をつくかもしれない」キャラとしてあるのならば、そしてその嘘がキャラがついてもおかしくない嘘ならば、そのような読解はアリでしょう。

 小宮さんは、自身がとらえたダイヤ像と、「ハンバーグとグラタンが嫌い」という公式設定上のダイヤ像が一致しないとき、ただ「嫌いなもの」設定を無視するのではなく、「ダイヤは本当はこれらが好きなんじゃないのか? じゃあなぜそんな設定になっているのか?」と、そのふたつの像を結び合わせる方向へと考えをめぐらせた。その結果、もっとも自分のダイヤ像と公式設定上のダイヤをうまく結びつけるのは、「ダイヤが嘘をついている」という仮定だったわけです。公式設定も、自分の解釈も、どちらもないがしろにしないすばらしい解釈だと思う。


 余談ですが、このような発想ができるのは、小宮さんがもとからの声優ではなく、実写畑の出身だからということもあるのでは、とちょっぴり思います。
 アニメや漫画、ゲームといった二次元のコンテンツは、ゼロから絵を作らなければ成立しません。それゆえに、絵がすべてである/作品の表面に現れている情報がすべてである、というふうにとらえてしまいがちです。
 実写作品は、そこに存在するものをそのまま写し取る、ということをします。たとえば背景の木々の葉の揺れ方、俳優の服の上の塵、そうしたものをすべて統御することは難しい*5。俳優は自分の演技プランに従って演技しますが、人間の身体がすべて脳で思い描く通りに動くとは限りません。大なり小なり、実写作品には作り手の想定外のことが映像に映ってしまいます。
 だから、作り手がAという意味をもたせようとした映像であっても、A'やBという意味になってしまうことがある。そこを逆手に取って、Bという意味に取れる映像に、Aという意味を隠すということも可能です。
 そのように、映像そのもの、表面にある情報そのものがすべてではない、という考え方があってこそ、G's版とアニメ版の設定面での違いについて、あっさりと前提を覆せてしまうのではないか。


 またそもそも、『ラブライブ!』シリーズはもともとこうした読解を可能にする作品だとわたしは思っています。
 G'sマガジン誌上の『ラブライブ!サンシャイン!!』の文章はつねに、Aqoursたち自身が綴った言葉という体裁をとっています。それは彼女たちが、世間の目に触れることを知った上で発した言葉です。部活内の交換日誌という体裁でありつつ、他の部員にも明かさない秘密*6が書かれることも多い『School Idol Diary』シリーズに慣れてくると忘れがちですが、基本的にはG's Magazineの誌面では彼女たちはスクールアイドルとして、ファンに向けて言葉を選んでいる。
 すなわち、その言葉が伝えるものは、「ファンに見せたい自分」に留まります。彼女たちは物語理論における「信頼できない語り手」なのだといってもよいかもしれません。
 とくにダイヤの場合、名家の長女として、また生徒会長として、守りたいパブリックイメージが強固にあるはずです。そうした心情から、食べ物の好き嫌いにおいてすら、真実を明かさないでいるということは大いにありえる。


 話を最初に戻します。小宮さんのアイディアをもとに、G's版ダイヤの他の発言にもまた嘘が含まれる、と考えると、スクールアイドルについてのG's版とアニメ版の違いも、見え方がからりと変わります。
 もしG's版ダイヤもまたスクールアイドルオタクだとすれば、自身がオタクであることを誌面で素直に明かすでしょうか。しかも、アニメ版に沿えば、彼女はかつて一度アイドル活動を行いながらも、友情のために、スクールアイドルを禁忌のようにして足を洗った過去があります。簡単に「じつはスクールアイドルが大好きでしたー」と言えるほど、彼女と彼女を取り巻く状況は気楽ではない。ルビィや、同級生たちへの見栄もあるでしょう。
 スクールアイドルに興味のないG's版ダイヤと、スクールアイドルを愛してやまない、けれど素直にそれを明らかにはしないアニメ版ダイヤは、それが彼女の嘘によってわかたれたコインの裏表である、と考えれば、二つの像はひとつに繋がります。そしてそのようにひとつの像として複数のダイヤを見たとき、それぞれの物語や言葉から受け取れる感動は何倍にも豊かになり、たくさんの意味をもつようになる。


 アニメ4話では、中学生時代のダイヤがμ'sの絢瀬絵里にあこがれていることが描かれています。

(ルビィとダイヤ、μ'sを取り上げた雑誌を眺めながら)
「ルビィは花陽ちゃんかなー」
「わたくしは断然エリーチカ! 生徒会長でスクールアイドル。クールですわあ」

 恐らく彼女は、絢瀬絵里のような、有能で冷静な生徒会長になりたいと願っているはずです。それが成功しているときのようすが、G's版のダイヤなのではないか。
 いや、彼女はなにしろ名家の長女として育った生まれつきのお嬢様です。そのように、クールに、有能な才女として振る舞うことのほうがむしろ生来の生き方に近いのかもしれません。スクールアイドルおたくとして感情がダダ漏れしているときや、スクールアイドルとしてかわいく華やかにふるまっているときのほうが、彼女にとっては虚実の虚のほうなのかもしれません。
 なんにせよ、アニメの4話において彼女はまだ、自分の本心を明らかにしません。
 4話は、ダイヤの妹・ルビィが、ダイヤに対してついに、スクールアイドルになりたいという自分の本心を打ち明けるエピソードです。そのぶん余計に、本心を偽り続けるダイヤの姿はより痛ましく、愛すべきものに思えてしまいます。


 ダイヤは嘘をついているかもしれない。
 この仮定について考えていると、G's版とアニメ版との違い、彼女の「嘘」のことにも増して、どんな違いや嘘があったとしても変わらない、彼女の中心にあるものの尊さが強く感じられるようになってきます。
 アニメ版のダイヤが、果南・鞠莉とのスクールアイドル活動ののち、二年間の長きにわたって自分に課してきたのは、自分のスクールアイドルへの思いを封印し、クールなお嬢様として振る舞うことでした。
 海外で一人生きた鞠莉、友達との繋がりを切って地元/実家で日常を繰り返す果南。彼女たち二人も辛かったと思うけれども、自分の本心を隠し続けたダイヤの二年間もまた、辛く切ない日々だったろうと思う。
 だからアニメ版の後半、Aqoursの面々によってその本当の気持ちを自由に表せる場に迎えられた彼女の姿が、わたしは心底愛おしい。
 そして、G's版でも、そのようにAqoursのなかで自分の心を解き放つ彼女の姿に、わたしはメディアの違いを超えて同じ感動をおぼえるのです。

「これまで、私は一度だって、歌を歌ってみたいなんて思ったことはないし、もちろん、スクールアイドルになんて――千歌ちゃんからどれほど誘われても、絶対にそんなことありえないって思ってかたくなに拒絶し続けていたのに。
今、なぜか――。感じるの。誰かに何かを伝えたい。
今の私の気持ち――。
(中略)
私、そんな気持ちが私の中にもあったこと――知らなかったの。」

(『ラブライブ!サンシャイン!!FIRST FAN BOOK』p.31)

 

 

 

 

 

ラブライブ!サンシャイン!! FIRST FAN BOOK

ラブライブ!サンシャイン!! FIRST FAN BOOK

 

 

声優アニメディア 2016年 11 月号 [雑誌]

声優アニメディア 2016年 11 月号 [雑誌]

 

 

*1:CDドラマ版も真面目すぎて馬鹿に見える、という意味でG's版の延長にあると思います。

*2:ラブライブ!サンシャイン!!FIRST FAN BOOK』p.31

*3:http://www.onsen.ag/program/llss/

*4:なお投稿者は常連の「DIA様のロードローラー」さんによるもの。ラジオもG'sも、常連の人たちの取り上げられる率には毎度驚かされるんですけど、その裏には、読まれやすいタイミングに毎回毎回きちんと投稿していく勤勉さがあるのだと思います。尊敬します。

*5:まあ、デイヴィッド・フィンチャーのように、完全な統御をしようとしている作り手もいます。逆にアニメにおいても、複数の意味、相反する意味をひとつの映像に込める演出はいくらでもなされています。そういう傾向があるよね、という話です。/そういえば『ラブライブ!サンシャイン!!』3話では、沼津駅前にフィンチャー作品を模した映画ポスターが並んでいました。アニメの作り手はフィンチャーの作風に共感を寄せやすいのかもしれません。

*6:矢澤にこ』第4話「GO HOME!」など。にこ編は涙なしには読めない。