こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

「覚束ない人」黒澤ルビィのこと/『ラブライブ!サンシャイン!!』とAqoursを考える・その6

 2月19日は降幡愛さんの誕生日だそうです。めでたい!

 これを祝して、今日は彼女と彼女の演じる黒澤ルビィの魅力について語ります。

 

アイドルの一定義

 アイドルとはなにか?

 その定義には色々あると思いますが、ひとつのタイプとして、「全体的に覚束ないんだけどどうしようもなく魅力的な人」、という定義ができるんじゃないかなと思います*1。人間として、また歌手や演技者としては未熟だけれども、それを越える魅力を獲得してしまっている人。
 高校生だけど(=「アイドル」という職種ではなく本分は学生だけれど)アイドル、というスクールアイドルという存在は、学校とアイドルの両方に足を置いているということがこの「覚束なさ」を生み出しているわけですが、『ラブライブ!』のμ'sを考えるとき、特にその後期の活動の印象においては、覚束なさ、幼さの印象はあまり強くありません。これはアニメ二期からファンになったわたしの個人的な記憶によるところも大きいでしょう。アニメなどの劇中で幼さや無邪気さを強調された描かれ方をしていても、彼女たちがすでに成し遂げた偉業*2を考えれば、覚束なさを感じることはそうない。特に、映画『ラブライブ! School Idol Movie』や、2016年4月のファイナルライブを観れば、その尊さに打ちのめされるしかないわけで、観る側が自分よりも覚束ない部分を見出すのは相当に難しいと言わざるをえません。
 ではAqoursはどうかというと、これまた、人の少ない地方で、勝率の低いスクールアイドル活動に挑むという立場から生じるある種の悲壮さ、勇敢さ、諦念をまとっていて、やはり幼さや頼りなさを感じることはあまりありません。

 しかしそんななか、圧倒的な覚束なさでわたしの目を奪うのが黒澤ルビィであり、彼女を演じる降幡愛さんです。

 

覚束ないルビィと降幡愛

 黒澤ルビィは、名家の長女として学校でも地域でも名を馳せる才女・黒澤ダイヤの妹の影にかくれる、「泣き虫で臆病で男性恐怖症」*3という覚束なさの塊のような少女です。不器用だし人前に出るのも苦手ですが、それでもただひたすらにスクールアイドルが大好きであるがゆえに自身もスクールアイドルになろうとしてしまう。
 『ラブライブ!』全体を見渡しても、かように基礎設定として幼く未熟な人間としてのアイドル性を打ち出したキャラクターは珍しいと言えるでしょう。強いて言えば、一番近い印象なのは小泉花陽でしょうか。しかし花陽は『ラブライブ!』アニメ二期で次期部長となりましたから、やはりルビィと並べるのは無理がある。

 

 演じる降幡愛さんも、こんな逸話を残しています。

「最終のスタジオオーディションで、役柄や『ラブライブ!』への想いを語っているうちに感極まって大号泣してしまったんです。酒井(和男)監督が声をかけてくださっても返答ができないくらい。あの時は、”今、ここに立っている自分”が信じられなくて、本当にうれしくて、夢のようで…。でも、泣いてしまったのはプロらしくないかもと思い、ずっと落ち込んでいたんです」

降幡愛*4 

  確かに「プロ」としてはよろしくないですが、アイドルとしては一億点のエピソードでしょう。最終オーディションに残る以上、ある程度の能力を認められている立場なわけですが、そうした自分の能力を追い越して感情が先走っている。そりゃ酒井監督も声をかけたくなるというもの*5

 特にアニメ一期によってスポ根物語としての性格を強くした『ラブライブ!』にあって、弱さ、未成熟さは、強さ(能力の高さ)で越えるべきものとして描かれがちです。ファンのほうも、キャストが発揮するダンスや歌唱の力や、成長の度合いに歓声をあげる。そういうなかにあって、弱さそのものがどうしようもない魅力を放つルビィ/降幡さん、というのは貴重な存在で、作品やグループ全体にとっても重要だと思うのです。
 先日某所で、小学生の女の子たちに黒澤ルビィが人気である、という話を聞きました。高校生であるルビィが小学生に支持されるというのは、おそらくこうした弱さと無縁ではない。それこそ姉のダイヤはそうした支持を得ることは難しいでしょう。

 

 アイドルの弱さに魅力を感じる、というのは、乱暴に言ってしまえば、自分より弱いものを眺め応援することで、庇護欲を満たせるからでしょう。前述の小学生の女の子たちというのは特殊な一部の例で、『ラブライブ!』の主なファンはルビィよりも年長の男性たちです*6。そこにあるのは、年長の男が幼い女を庇護し、その対価として尊敬であったり愛であったりを期待する、というあまり胸の張れない構図です。まあ、それは否定できません。


 じゃあ、弱いアイドルを愛おしむのは虚しく忌むべき行為かといえば、長期的に言えばそうではありません。弱く幼いアイドルも、いつかは変わっていく。ルビィも降幡さんも、いつかどこかの時点で、ファンの庇護欲の閾値を越えるような輝きを獲得する*7
 そのときファンは、今まで応援していたアイドルが自分を越え、変化し、追い抜かれたことを悟ります。たぶんその認識は、ファンをも変える。今度はまた違う弱く幼いアイドルを応援するようになるだけかもしれないけれども、そうなったとしても、まったく変化しないでいるのは無理なはずです。
 成長や変化が絶対あるべきとは言わないけれども、そうした可能性を孕んでいる時点で、幼く弱いアイドルを愛でるという行為は、虚しいものではないでしょう。

 

まだ職人じゃない

 アイドル一般の話がだいぶ長くなってしまいました。
 ルビィ/降幡さんが、そうした決定的な変化を迎えるのはまだ先だと思います。
 降幡さんは、「職人」という仇名で他のAqoursメンバーやファンたちから親しまれていますが、実際のところ、わたしは彼女の言動に「職人」という言葉が本来示す意味を感じることはない。彼女のトークや一発芸はたびたび場を沸かせるし、絵はうまいし、写真で自他の魅力的な瞬間を切り取るのもうまい。でも、それらに「職人」的な技巧や安定性はないようにわたしには思えます。
 むしろそこにあるのは、対象への強く深い感情や、野放図で無邪気な「楽しもう」という気持ちでしょう。降幡さんの言動のはしばしにそういう素直さを見て、わたしはしみじみと「いいなあ」と思ってしまう。

 なぜなら、技術的な「職人」には、技術の修行を積み重ねればなれるけれども、降幡さんが醸し出すようなよさは、そう簡単には手に入らないからです。

 

 ついに開催まで一週間を切ったAqoursのファーストライブに向けて、降幡さんはたびたび「ルビィとしてステージに立ちたい」という趣旨の発言をしています。
 それは降幡さんの、自分の演じるキャラクターへのまっすぐな感情の表れです。幼く弱いルビィを、客観視するのではなく、まっすぐに追い求める*8
 ニコ生等を見ていると、そうした真っ直ぐさが、時として素っ頓狂な失敗を招いてしまうこともあるなあと、苦笑いしつつ心配にもなるのですが、でも、そういう人にしか招けない風景というのもきっとある。
 そして、幼く弱くまっすぐな人が描くものほど、強く大人びてあろうとした人の心を不意打ちするものはないと思う。

「あいあいは「有紗はね、そんなにがんばらなくてもいいんだよ」と私の頭をなでてくれるんです」

 

小宮有紗*9 

 

その日の夜は小さな三日月。
そんな小さな月の明かりは――でも透き通るようにきれいな白色に輝いていて。
なんだか新しい世界を――わたくしに示しているような気がしたわ。
美しいのは空から落ちてきそうに大きな満月だけじゃなく。
どんな夜空にも――美をあることを。

 

黒澤ダイヤ*10 

 

 弱く幼いアイドルを愛でることは庇護欲からくる、と先程書きましたが、このように、そんな幼く弱いものから何かを与え返される瞬間というのは、べつにその活動の終盤でなくとも何度も生じる*11。実は、小刻みに庇護欲を否定され続けることこそそういうアイドルを応援することの核なのかもしれませんけど、でもそういうアイドルは、その次の瞬間にはまた、頼りない姿を見せてこちらを冷や冷やさせてくれる。
 寄せては返す波のように、心休まらない楽しさを与えてくれるアイドル性をもったルビィ/降幡さんを、わたしはまだまだ眺めていたいと思うのでした。

 

 

  降幡さんといえば写ルンです

 

 

 

 

ライムスター宇多丸の「マブ論 CLASSICS」 アイドルソング時評 2000~2008

ライムスター宇多丸の「マブ論 CLASSICS」 アイドルソング時評 2000~2008

 

 

*1:というぼくのアイドル観は多分にライムスター・宇多丸さんのそれの影響を受けています。彼のアイドルの定義は、「魅力が実力を凌駕している存在、それをファンが応援で埋める」(TBSラジオライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』2012年2月18日放送分より)というものです。)

*2:アニメ一期における学校の存続や、アニメ二期におけるラブライブ優勝はもちろん、何よりもコンテンツとして巨大な人気を得るに至らせた声優たちの活躍ぶりが大きい。

*3:ラブライブ!サンシャイン!! FIRST FAN BOOK』

*4:『電撃G's Magazine』2016年10月号 インタビューより

*5:余談ですが、キャスト決定の段階から酒井和男さんが立ち会っていたことを示すこの降幡さんの証言はけっこう重要だと思います。アニメ放送終了後、キャストが歌やイベントで積み上げてきたのに対して、酒井監督が途中から参加して台無しにした、というような批判をしていた人たちがいましたが、キャスト決定にも酒井監督の意向が多かれ少なかれ含まれていたことになるわけで、彼らの批判はまったくもって的外れだったことがわかる。各コンテンツの発表時期でだけ考えるから生じる誤解であって、製作期間を踏まえれば自明のことなのでですが。批判をするなら最低限こういう事実を押さえておくべきです。

*6:正確な統計を取ったわけではないですけど、イベント等の風景を見る限り、断言しても差し支えないでしょう。

*7:もちろん現実のアイドル業界にあっては、そうならないことも多々ある――というか、そうならないことのほうが多い。でも、引退や、いつの間にかの活動休止だって、変化には変わりない。アイドルの変化すべてに、ファンは「アイドルに追い越された」という感慨を抱きうるのではないか、とわたしは思っています。

*8:小林愛香さんが津島善子ヨハネに対して「わたしも、ヨハネになりたいけど、/なんだか...なりたいとかじゃなくて...ちがくて...」と語るのと対照的です。小林さん/善子/ヨハネについては、先週の記事で詳述しました。『「迷う人」津島善子ヨハネのこと/『ラブライブ!サンシャイン!!』とAqoursを考える・その5』 http://tegi.hatenablog.com/entry/2017/02/12/232252

*9:『電撃G's Magazine』2016年11月号小宮有紗インタビュー

*10:『School Idol Diary 黒澤ダイヤ 箱入り娘の未来。』

*11:細かい話になるんですけど、ぼくは降幡愛さんがたまに聴かせてくれる落ち着いた声が大好きです。『浦の星学園Radio!!!』で、グッズ発売等の案内や、提供紹介をするときの声と口調が、むちゃくちゃいいんだよなあ…。いやそんな大人びた素敵な声出せるの?という驚き。