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こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

「オハラ家の人」小原鞠莉のこと/『ラブライブ!サンシャイン!!』とAqoursを考える・その8

 「一匹狼」と鈴木愛奈さんが評する*1通り、小原鞠莉には、一人わが道をゆく、という印象があります。アニメ第1話の謎めいた登場から、彼女と松浦果南黒澤ダイヤの関係が修復される9話まで、彼女は理事長として高海千歌たちから距離を置いた、やや高いところから出来事を俯瞰している。
 彼女の心の奥底には、幼い自分をやさしく受けれいた松浦果南黒澤ダイヤと、彼女たちの暮らす内浦についての美しい記憶がある。アニメの視聴者はその光景の美しさ、尊さを彼女と共有できますが、千歌たちや、学校の他の人々にはそれができません。
 9話の出来事を経て、鞠莉はAqoursに合流します。三年生たちの気持ちや、過去の真相はある程度Aqoursのなかで共有される。けれども、部室でハグし合う果南と鞠莉の姿は誰にも目撃されません(もしかしたらダイヤだけはそれを見ていたかもしれない)。
 グループへの加入が決定的になる瞬間をグループ内で共有できていないということは、強い親密さと引き換えに、ある種の閉鎖性をもAqoursにもたらしている、とも言えるかもしれません。11話でダイヤたちが曜と梨子の加入の順番を勘違いしていたという挿話は象徴的です。だから、曜はシリーズの後半になって一度千歌から離れ、そして関係を結び直すという、Aqoursに加入しなおすような経験を経なければならなかったのかもしれません。
 13話の地区予選で行われるAqoursの過去の再演においても、鞠莉たち三年生の物語はきれいに省略されています。そこには、鞠莉たちの、思い出は自分たちだけのものにしておきたいという欲望すら透けて見えるかもしれない。


 真に大事なものを胸の奥に秘めながらも、いっぽうで、鞠莉は自分の欲望を堂々と露わにします。浦の星女学院を救うために、在学生自身が理事長になるという無茶な方法を取り、学校を私物化する。かつて自分たちが歩んだ道を千歌に辿らせ、スクールアイドル・Aqoursを再び世に出そうとする。千歌たちはほとんどそれに反抗しませんが、見方によってはひどく他人を踏みにじったやりかたでもある、と言えるでしょう。無垢で愚かな人々を操って自分の欲望を達する、ピカレスクロマンの主人公のようでもある。


 ところで小原鞠莉の姓は「小原」ですが、これはO'haraでもありうる。いやいや、公式設定としては父親がイタリア系アメリカ人なんだから、アイルランド系のO'haraってのはないんじゃない?ってのは確かなんですけど。たとえば、鞠莉の父親がこの小説の愛読者で、鞠莉の母親の姓が「小原/オハラ」であることをきっかけに仲良くなった――とか、そういう妄想はありじゃないですか。

 

風と共に去りぬ(一) (岩波文庫)
 

 

 『風と共に去りぬ』は、19世紀のアメリカを舞台にした小説です。書かれたのは20世紀の初めごろ。奴隷制を前提に成り立つ19世紀の白人たちの暮らしを美しく描いたことなど毀誉褒貶も激しい作品ですが、これまた名作と誉れ高い映画とともに、世界中の人たちに親しまれています。
 主人公は、豊かな農園を経営するオハラ家の長女スカーレット。彼女は激しい気性と才覚を武器に、激動の時代を生き抜いていきます。慎ましさこそ美徳とされるような当時の社会に対して、彼女は傲然と言い放つ。

いつか、やりたいこと、言いたいことすべてをやってみせる。気に入られなくたってかまやしない

 そのような人ですから、彼女の人生には多くの波乱が生じます。世間から顰蹙を買ったり、他人を傷つけたりもする。でも自分の欲望の成就のために、彼女はひるまず奮闘します。
 このスカーレット・オハラの姿は、小原鞠莉の姿にそのまま重なります。じつはわたしはまだ『風と共に去りぬ』のごく序盤しか読んでいないので断言できませんが、スカーレットが愛する男たちの姿には、果南とダイヤを重ねられそうな気もします*2

 千歌と梨子の姿にわたしはちょっと『赤毛のアン』を思い出しましたが、もしかしたら鞠莉と三年生たちの造形には、『風と共に去りぬ』が参照されているのかもしれません。(ぼくの推測が当っているかどうかは別として)いつか公野櫻子先生や酒井和男監督が、『ラブライブ!サンシャイン!!』を作るにあたってレファレンス元にしたブックリストやムービーリストを公開してほしいな~と強く思うところです。


 実際に二つの作品に繋がりがあるかどうかはともかく、小原鞠莉は、スカーレット・オハラのごとく、女性ファンの支持を獲得しているようです*3
 そしてそういう彼女たちがみせてくれる痛快さは、もちろん、女性だからわかる・男性だからわからない、というものではない。ままならない世の中で、自分の願いをかなえていく人の物語に勇気づけられたり、応援したくなったりする、という受容は男女問わず行っていることです。女性ファンの支持を獲得するいっぽうで男性ファンの支持はまだまだかなと思われる鞠莉ですが、こうした痛快なキャラクタとしての面に惹かれる人が増えてきたら楽しいし、今後の作品の展開のなかでも、そんなかっこいい鞠莉が見たいなーと思うのです。
 日本のオタク文化における「強い女性」は、現実世界での男女の平等とは切り離されたところで育ってきた歪な概念ではあります。わたしのような男のおたくがぼんやりと「強い女の子っていいよね」とか思ってしまう行為には、非常にたくさんの突っ込みどころが生じてしまう。
 それでも、アニメのなかで活躍する小原鞠莉、そしてそれを演じる鈴木愛奈*4はとてもかっこいいし、もしそのかっこよさを感じている人が他にもいるならその楽しさを共有したい。『ラブライブ!』という作品は、もちろんそのファンの多くは男性ですが、特にμ'sの後期には若い女性のファンが非常に多かったという印象があります。Aqoursもそうであったら楽しかろうし、そこで、Aqoursをめぐって女性も男性も関わりなく、あるいは性差に関わらず個々それぞれの違った視点から、「楽しさ」に関する語りが多数生じたらぜったいに楽しい。鞠莉は、もし彼女が今後さらに活躍してくれたら、そんな語りを次々に生んでいくんじゃないかなあと、そんな期待をもたせてくれるキャラクターだとわたしは思うのです。

*1:ファーストライブパンフレット、鈴木愛奈インタビューより

*2:この小原鞠莉スカーレット・オハラを繋げて考える妄想にあたっては、次の記事が大いに刺激になりました。未読者が『風と共に去りぬ』に対して持っている思い込みをはらして、「お、おもしろそー!!」と思わせてくれる痛快なエッセイなので、特に男性のかたはぜひ一読ください。:「スカーレット・オハラを全力で擁護する」http://d.hatena.ne.jp/saebou/20090518/p1

*3:『電撃G's magazine』2016年12月号、サードシングル総選挙結果発表より。

*4:とくにステージ上、歌のなかの鈴木さん! かつわたしは、声の演技の好みとしてはAqours伊波杏樹さんの次に鈴木さんが好きです。