こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

黒澤ダイヤが『シング・ストリート』を観た、という話

 好きなフィクションの登場人物が、自分の好きな映画を観てくれたらぜったい楽しいに決まっている……!というたいへん身勝手な思いつきをきっかけに、10日くらいで書きました。
 同人誌即売会「僕らのラブライブ!」が行われると聞いて、あー、自分も二次創作書きたいなあ、という気持ちを発散させるためでもあります。なんとか僕ラブ当日に間に合ったー!(と即売会直前に言ってみたかったのだった)

 それでは、予告編のあとで本編をお楽しみください。


SING STREET - Official US Trailer - The Weinstein Company


黒澤ダイヤが『シング・ストリート』を観た、という話』

 

 

 教室の扉を開けると、窓際の席で、イヤホンをつけた鞠莉が海のほうを眺めているのが見えた。朝の白い陽が彼女の肌をいっそう輝かせている。近づくと、どうやらイヤホンの音楽にあわせてハミングしているらしいことがわかる。たぶん、わたしが昨晩見た映画のエンディング曲。少し嫌な予感が、しないではない。
 後ろから近づく格好になったから、彼女は私が自席に着くまで気が付かなかった。降ろした鞄を開けて、さて何と言おう、と溜め息をつくと、後ろから、
「おっはよー!!」
 教室の中央にある私の席まで、一瞬でたどり着いたみたい。
「おはようございます」
「で、どうだったどうだった~?」
 わかりきっているけど一応聞く。
「なにがですか」
「も~、決まってるじゃない!」
 鞠莉は腰に両手を当てて、大げさなふくれっ面をしてみせる。「これのこと、ですよね」
 鞄から、ブルーレイの入った茶封筒を取り出して鞠莉に渡す。「ありがとうございました。なかなか楽しい映画でしたわ」
 差し出されたブルーレイを鞠莉は受け取らず、「うんうん、それで?」
「楽しかった……です」
「うん、それでそれで?」
 目を輝かせて、まるで給餌を待っている犬みたい。
「音楽も物語も……まあ、楽しかった」
「それは何度も聞いたよー!!もっとこう、色々あるでしょー!!」
「色々?」
「歌とか、せりふとか、登場人物のこととか!」
「歌は......途中の"Up"という曲が素敵でした。主人公と友達が二人で歌い始めて、やがてバンドのみんなが揃っているという...あれ、どうやって撮影したのかしら」
「さつえい? んー、よくわかんないけど。でも楽しいよねあそこ!あとはあとは」
「夢を追いかけていく主人公たちの姿に感動しました」
「うんうん、感動するよね~。あのラストの船が見えたときのさ~」
「あれはちょっと不自然ですね」
「でも感動するじゃん!」
「そもそも、いくらアイルランドとイギリスが近いとはいえ、あんなことをするなんて主人公たちは無謀すぎます。お兄さんも止めるべきでした」
「ええー、ダイヤ、本気~?」
「本気です。本当に弟のことを思うなら、ロンドンに渡るためのお金を働いて用意してあげるくらいのことはしなくては。ライブが成功したあとの勢いのまま、軽率な判断を……」
「もういい。そういうときのダイヤ、つまんない」
「つ、つまらないって…わたしは鞠莉さんが映画の感想を求めるから、一所懸命」
「んー、わたしが求めてた反応と違った。ま、そうね、そこそこ楽しかったんならよかったわ~」
 鞠莉は皮肉っぽい言葉を置いて、ひらひらと手を振りながら踵をかえして自席に戻っていく。
「あ、ブルーレイ、お返ししないと――」
「果南が借りるって言ってたから。渡しといてー」
 気の抜けた声で言うと、イヤホンを耳につけ、腕を枕に、机に突っ伏してふて寝を決め込む。すっかり拗ねてしまった。
 うまく言えなかったかもしれないけれど、私、この映画、嫌いじゃないのに。なんと言えば機嫌を直してくれるか、そもそも、なぜそんなに機嫌が悪くなってしまったのか、悩んでいるうちにクラスメイトたちが登校してきて、私は鞠莉に話しかけるタイミングをすっかり失ってしまった。

♪♪♪

「まー、そりゃ鞠莉としては、もっと感動してほしかったんだろうね」
 果南が教室に顔を出したのは、昼休み、私が弁当をそろそろ食べ終わろうかというころだった。鞠莉は四限が終わるなり教室を出ていった。朝のこと、そんなに怒っているのだろうかと一瞬不安になったけれど、数日前彼女が、学院後援会の人たちとランチミーティングする予定だと話していたことを思い出した。
 果南は私からブルーレイを預かるなり、図書室に行くけどどう、と言う。昼は家で食べてきたのだろう。それにしても、座って一息ついてもよさそうなのに、私が頷くと、じゃあ行こ、と早速大股で歩き出す。家の手伝いで早朝から忙しくしていたはずなのに、さすが体力の化け物。
 その体力の化け物が大股で進んでいくのについていきながら、私は朝の顛末を話した。
「でも私、悪い映画だと言ったわけではないのですよ。なのに鞠莉さんったら随分むくれてしまって」
「まあまあ、許してやって。それだけ思い入れがあったんだよ。前々から、二人でダイヤに観せたいねって言ってた映画だから。私も映画館で一度観たんだよね」
 意外な話の展開に、私は思わず立ち止まる。
「私に……?なぜですか」
「だってあの映画、兄弟の話じゃん。バンドを始めた主人公と、昔音楽をやっていたけど、もう辞めちゃったお兄さん。ね?」
 果南は同意を求めて小首をかしげる
「はあ……」
 確かに『シング・ストリート』にはそんな兄弟が登場する。夢を追いかける弟と、それをけしかけ、時には非難する兄。
「えっ、わかんないかなあ」
「兄弟……きょうだい……姉妹?!え、まさかあなたたち、私とルビィのことを」
「そうだよ~」
「いや、でも、あちらは兄弟で私たちは姉妹ですし」
「性別は問題ないでしょ」
「それにルビィも私も、あの映画のなかの二人とはまるで違って」
「そうかなぁ~」
 ニヤニヤと笑って果南は私の顔を覗き込む。
「私はあのお兄さんみたいにやさぐれていませんし、ルビィにリスキーな生き方を選ぶよう、けしかけたりしません」
「でもスクールアイドルのいろはを教えこんだり、色々言いながらも妹の夢を応援したりはするよね」
「で、でも……!」
「物語と現実を重ね合わせちゃうっていうのはそういうものなの。多少の表面的な違いはあってもさ、ダイヤとあのお兄さんは魂は一緒だよ」
「そんな無茶な」
「ともかく、私と鞠莉はそんなふうに感じててさ。ダイヤの感想が聞きたいね、って話てたの。きっとすっごく感動するよ、って」
 果南は屈託なく笑う。私はちょっと呆れてしまう。
 確かに『シング・ストリート』はいい映画だ。80年代のアイルランドを舞台にした、爽やかな音楽と青春の映画。鞠莉にも話した通り、音楽を通じて辛い現状を変えようとする主人公たちと、私たちAqoursの現実が重なって、私は勇気づけられた。
 でも、私たち姉妹と、あの兄弟を重ねるというのは強引だ。さらに、そんな見方を本人にも期待するなんて、なんというか――デリカシーに欠ける、と言えばいいのか。
 そうこうしているうちに、私たちは図書室に着いてしまっていた。扉を開けた果南の肩越しに、カウンターのなかで本を読んでいる国木田花丸の姿が目に入る。さすがに一年生の前で言い争いをするのは気が引けて、私は果南にぶつけようとした不満をしまい込む。
「こんにちは、花丸ちゃん。――わっ、参考資料ってそれ?」
 カウンターの上に積み上げられた本を見て果南がのけぞる。銀色がかった紺色の分厚い本が四冊と、文庫本が何冊か。分厚いほうは誰かの文学全集だろうか。それから、バラバラのサイズの写真集が何冊も。
「えへへ……つい夢中になっちゃって。あっ、ダイヤさんも、こんにちは」
「二人で「参考資料」とやらを集めて……何かの相談ですか」
 ちょっとだけ困った顔を見せて、果南が説明する。
「昨日、曜ちゃんから連絡が来てさ。新曲のPVがあと少しでできない、って」
「え……でも、この前のミーティングのとき、みんなで観たじゃありませんか」
「あれは仮編集版だよ。曜ちゃんもあのときは自信があったみたいなんだけど、いざ完成、というときになって、結末がしっくり来なくなっちゃったらしいんだ」
「それで、今度の曲――『HAPPY PARTY TRAIN』は、果南さんがセンターで、その次に目立つのは善子ちゃんと私だから、三人の意見が聞きたいって曜さんが」
「曜ちゃん、昼休みは部室で衣装の仕事をしなきゃいけないから、放課後に四人で会って打ち合わせる約束なんだけど、その前に私たちだけでもちょっと話しておこうか、って約束してたの」
「津島さんは」
「『地獄に堕ちた映画監督の魂を召喚してよきアイディアを』とかなんとか言いながら占いを始めたので放っておきました」
「地獄に行ったんなら、才能がないんじゃ」
「悪魔に魂を売って傑作をものにした、ということじゃないでしょうか」
「なるほど」
「そんなことはどうでもいいでしょう……曜さんはどこが気に入らないのかしら」
「この部分だそうです」
 準備良く、花丸が手元のファイルから紙を取り出して広げる。簡単なイラストと説明のメモ書きが並んだ、絵コンテというものだ。先々週の撮影のとき、渡辺曜がみなに配ってくれた、PVの設計図といえるもの。
 今回のPVは、大まかなストーリーが設定されている。沼津の街を、果南が電車に乗って旅立つ。合間に、Aqoursのみんなの日常が描かれる。果南は一人旅を続けるけれど、やがて故郷に戻ってくる。合間に、学校の屋上で撮影したダンスパートが挿入される。
 旅と言っても、遠方まででかける余裕はないから、撮影には三島駅伊豆長岡駅を使った。それでも、以前からビデオ撮影やネット配信に親しんでいた渡辺曜津島善子の技術のおかげで、雰囲気のあるなかなかのものに仕上がりつつある、と思っていた。
 花丸が差し出した絵コンテは、PVの終盤の部分のものだ。果南が伊豆長岡駅のホームに降り立ち、改札を出る。そこには彼女を迎えるAqoursのみんなが待っている。笑顔になった果南。曲の大サビを屋上のダンスで描いて、フィナーレとなる。
「これのどこが駄目なんでしょう」
「大サビのわたしのソロ、うまく踊れてなかったのかな」果南はカウンターに軽く腰かけて溜め息をつき、花丸の顔と絵コンテを覗き込む。
「そんなことないです!あのパート、撮影後に見せてもらいましたけど、すごく素敵でした」
「花丸ちゃんがそう言ってくれるなら……大丈夫、かな」
「あ、あの、おらだけじゃなくてもちろん、曜さんも、千歌さんもそう言ってたずら」
 花丸の顔が少し赤い。少し弱気になったときの果南の、低い声と下がった眉とかすかに濡れた目は、時々こういう反応を呼ぶ。
 不用意に距離を縮めて下級生の心を乱している旧友の腰を軽く叩いて、カウンターから降りるよう促す。
「具体的に、曜さんは何か言っていないんですか」
「私も気になるので、さっきラインしてみました。返事がこれです――
『素材はとてもいいんだよ~』
『でも、流れ?っていうか、すわり?っていうか』
『なんかしっくりこないんだよね~』
『もう一声!もう一声なんだよ』
 ――以上です」
「なんじゃそりゃあ」
「漠然としてますわね」
「こうなると、色々自由に考えてみたほうがいいのかなって。それで」
「これだけたくさんの資料を集めた、と」
 果南が山の一冊を手にとって開く。
「『日本の私鉄のあゆみ』……。西武線って聞いたことあるなあ」
 それは東京の私鉄ではないのか。複雑怪奇な路線図の映像が脳裏に閃いて、子供の頃迷子になった記憶に、背中を冷や汗が伝う。
「今回の曲のテーマの一つは電車ですから、その歴史を辿ってみては、と」
「こっちは『世界鉄道全史』……?」
「花丸さんの探究心旺盛なところ、私は好きですが、いくらなんでも辿り過ぎでしょう」
「こっちのは写真集だね」
「『世界の旅客列車』、『豪華列車でいく日本のまだ見ぬ風景』、『廃線写真集』……まあ、確かに綺麗ですが」
「うわ、見てよダイヤ。この豊後森ってところ、雰囲気あっていいねえ」
「ライトアップが綺麗ですね」
「星空も……!あー、こんなところで天体観測、できたらいいなあ。ここでクライマックスのダンスシーンを撮影するってのはどう?」
「いまさらそんな遠くまで出かける余裕はありません」
大分県ですからね。九州です」
「ええっ、そうなの。そりゃさすがに厳しいか」
「鉄道や旅行をテーマにした写真集はとても美しいですけれど、PVに取り入れるにはハードルが高いですね」
「ダイヤさんの仰るとおりです……。でも、そのあたりのきれいな写真を見ていたら、こんなものも思い出して」
 花丸は先程まで読んでいたと思しき本を手にとって、私たちに表紙を示す。
「『銀河鉄道の夜』」
宮沢賢治かあ。小学校のとき、国語の授業で習ったな」
「私も、子供のころに読んだきりだったので、先程読み返してみました」
「友達と二人で銀河鉄道の旅に出るんだよね。ええと、確か、主人公の名前がカムパネルラで」
「主人公はジョバンニでは。一緒に旅をする友人のほうがカムパネルラです」
「外国の人の名前は覚えづらいんだよ……くつくつ笑うのは?」
「それはクラムボン
「『やまなし』ですね。賢治の言葉はよく耳に残ります」
「カムパネルラ、っていう名前もきれいな響きだよね。でもそのカムパネルラは……」
「そう、銀河鉄道の旅は、ジョバンニが野原でうたた寝して見ていた夢でした」
「街にもどるとカムパネルラは川に溺れて死んでいた」
「ダイヤが言うとすごく残虐な話に聞こえる」
「文句は宮沢賢治に言ってください」
「はは……でも、賢治も最初はカムパネルラの死を描いていなかったんですよ」
「どういうこと」
「『銀河鉄道の夜』は未完なんです。賢治は何年もかけて『銀河鉄道の夜』の手直しをしていたんですが、結局、完成させる前に亡くなってしまいました。残された原稿は、色々な時期に書いた部分を組み合わせた不完全なものなんです」
「でも、こうやって本になってるよね」
「賢治の死後、他の人が原稿を編集して発表したんです。そして最初に公になったのが、カムパネルラが死なない『銀河鉄道の夜』」
 これがそうですね、と花丸は分厚い『宮沢賢治全集』のうちの一冊を開く。
「ここには、川で溺れたカムパネルラのエピソードはありません。もちろん、鉄道の中の会話で、彼が死んでいるだろうことは暗に示されているのですが」
ブルカニロ博士?こんな人、出てきたっけ」
「そう。こちらの『銀河鉄道の夜』では、銀河鉄道のシーンは、主人公のジョバンニにブルカニロ博士が見せていた幻影だったという設定なんです。博士はジョバンニに、銀河鉄道のなかで抱いた他者へ尽くす心を忘れず、大志を抱いて生きるように諭します」
「なんだかこのジョバンニ、使命感に燃えてるね」
「この『銀河鉄道の夜』は多くの人に親しまれてきましたが、のちに、それぞれの原稿が書かれた順番を詳しく検証した研究にもとづいた、こちらの『銀河鉄道の夜』が出版されました」
 こちらも宮沢賢治全集。開くと、「『銀河鉄道の夜』第四次稿」とある。
「研究の結果、宮沢賢治は大きく分けて四回、原稿に手を入れたことがわかったんです。ブルカニロ博士が登場するものが三番目の原稿で「第三次稿」、そしてこれが「第四次稿」と呼ばれている、私たちがよく知っている内容のものです」
「本当だ。カムパネルラ、死んでる」
「果南さんの物言いのほうが残酷だと思います」
「いや、だってさ、カムパネルラのお父さんがすごく冷静に言うじゃん。『もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。』。正直、冷酷だよね……」
「こちらのジョバンニも、理想を目指そうと決意して現実に帰ってきますが、その後でカムパネルラの死に直面するんです。それも、ジョバンニが理想とする自己犠牲の精神を全うしたすえの死です」
「やるせないね」
「いまだに、前の版のほうがいい、というファンも多いみたいです」
「でも――やっぱり、こっちのほうが『銀河鉄道の夜』、だな」
 果南の言葉に花丸が顔を輝かせる。
「やっぱり果南さんもそう思うずら?!」
「うん。ブルカニロ博士はさ、なんていうか、答えを全部言っちゃってる感じ、っていうか。それじゃあ、ジョバンニとカムパネルラの今までの旅は何だったの、って思うよ」
「そうずら!ジョバンニにとって一番大事なのは、カムパネルラと一緒に旅をして、最後にカムパネルラを失うことだったはずずら。カムパネルラはジョバンニにそっくりずら。同じ理想を目指して、ともに生きていた友人を失ってしまう――それはとてもつらいことだけれど、それでこそジョバンニはきっとこれから強く生きていけるはずずら!」
 熱のこもった花丸は永遠に話していられそうだ。私は割り込んで言う。
「それで、このお話をどうPVに活かすのです」
「果南さんにとってのカムパネルラを登場させるのずら……!」
「私にとってのカムパネルラ?」
「そうずら。共に旅に出て、一緒に新たな景色を目撃し、成長し、笑いあい……」
「おおー、電車に乗るのが私だけじゃなくなるんだね。この場合、やっぱり千歌かな。いや、友達ってことなら鞠莉かダイヤ」
「そう!果南さんは大切なAqoursの誰かとともに旅に出るずら。そして最後に、カムパネルラは死んでしまうずら」
「ええっ、死ぬの」
「旅の途中、居眠りしてしまった果南さんが目を覚ますと、車両のなかには誰もいないずら。慌てて電車を降りる果南さん。駅のホームにAqoursのみんなが待っています。あれ、でも、一人足りない。悲しい顔をしたみんなが言います、彼女は狩野川で溺れてしまって……」
「いやいやいや」
「カムパネルラこと高海千歌は、いじめっ子のザネリこと津島善子を助けるために川に飛び込んだまま帰らぬ人となったのずら……PVのラストシーンは、『45分たちましたから』という志満さんと、泣きながら牛乳瓶を持って走ってゆく果南さんのロングショットずら~」
「誰がザネリよ!」
 図書室のドアから、津島善子がひょっこり顔をのぞかせた。
「打ち合わせはどんな具合かと思って来てみたら、案の定ずら丸の文学妄想大会じゃない」
「映画監督は降霊できたの?」
「よくよく考えたらまだ生きてる人しか知らなかったわ。昔の映画の本を借りてまた放課後やってみる」
「往生際が悪いよ善子ちゃん」
「だからヨハネよ! だいたい往生際が悪いのはずら丸だって同じじゃない。今さら登場人物を増やすアイディアなんて。電車のなかのシーン、撮り直しじゃない」
「それに、誰かが死んじゃうっていうのはどうなのかな……。スクールアイドルのPVは、あくまで楽しい雰囲気にしておきたいかな」
「で、でも、古今東西の優れた物語の多くは悲劇ずら! 『オイディプス王』、『ロミオとジュリエット』、『ボヴァリー夫人』に『こころ』……」
「そ、それはそうなのかもしれないけど。でも、ほら、タイトルも『HAPPY PARTY TRAIN』だし」
「人が死ぬような内容だと、学校や地域の評判も悪くなるかもしれないわよ」
「た、確かにそうずらね……前言撤回ずら」
 意気消沈した彼女に追い打ちをかけるように、授業開始五分前の予鈴が鳴った。
「――花丸さん、この本、借りてもよいですか」
 もちろんです、と花丸は少し慌てて言う。私は懐から生徒手帳を取り出して花丸に渡す。手慣れた様子で花丸は裏表紙のバーコードと、私が示した一冊の本のバーコードをパソコンに読み込ませて、手続きを済ませてくれた。
「さあ、五限が始まりますよ。打ち合わせは終わりにしましょう」
「ええーっ、PVのアイディアは。それに五限は確か自習でしょ。ちょっとくらい遅れたって」
「自習とはいえ授業は授業。定刻までに着席していなくてはいけません。だいたい、一年生のお二人は自習ではないでしょう」
 かたぶつめ、と毒づく果南は放っておき、カウンター周りの片づけをしている花丸と彼女を手伝う善子に「それではまた放課後」と声をかけて、私は図書室を出た。

♪♪♪

 五限が始まって間もなく、私は自習用に持ってきていた参考書を読むのを諦めた。机のなかに入れた本が気になって仕方なかったからだ。
 文庫本の最初の数ページに、モノクロの写真が掲載されている。作者である宮沢賢治自身の写真や、彼の故郷の岩手県の風景に混ざって、賢治の妹である宮沢トシの写真があった。大昔の写真にありがちな、硬い表情とぼんやりした陰影のせいで、彼女の感情は読み取れない。
 賢治とトシの顔を交互に見比べる。兄と妹。
 先程図書室でこの文庫本をぱらぱらとめくっていたとき、巻末の解説のなかの一文が目に残った。
「第三次稿と第四次稿には様々なちがいがある。ブルカニロ博士をはじめとするいくつかの人物が増減し、場面が差し替えられた。しかし、宮沢賢治本人にとって最も変化したのは、カムパネルラだったのではないかとわたしは考える。第四次稿において彼に関する描写は大きく変わらないが、賢治はそこに、急逝した妹の姿を重ねて見ている。結果として、賢治にとって『銀河鉄道の夜』という物語がもつ意味じたいが、大きく変わっているのだ。理想を讃える物語から、亡き妹を思う物語へと」
 そう、宮沢賢治にも妹がいたのだった。どうにも今日は、きょうだいの物語に縁がある。
 私は『銀河鉄道の夜』第四次稿を、最初から読み直す。ジョバンニとカムパネルラの姿を思い浮かべる私の頭に、賢治とトシの姿がフラッシュバックする。それから、『シング・ストリート』の兄弟たち。
 そして、私の妹。
 銀河鉄道の旅を終え、現実に戻ったジョバンニは、カムパネルラの死を知る。哀しみを抱えて家へと走るジョバンニの姿に、私は励ましの声をかけてあげたくなる。文庫本のページと私の頭の間のどこかにある空想の宇宙のなかで、ふいに、ルビィの髪の赤い影がわずかに瞬いたように思えた。
 ジョバンニとカムパネルラは兄弟ではない。けれども解説の文章が訴える通り、この二人の間には、兄弟のような繋がり、似たところがあるように感じた。
 鞠莉と映画のことでもめたせいだろう、自分はきょうだいの物語を意識しすぎている。表面的には、兄弟の物語ではないのに。これから兄弟姉妹を扱う映画や小説を目にするたび、こんなふうに苦しくなったら厄介だ。
 そういえば、と私は思う。
 『シング・ストリート』も、もしかしたら『銀河鉄道の夜』も、兄弟関係を扱った物語だけれど、果南や鞠莉のようにきょうだいがいない人間によっても愛されている。宮沢賢治とトシのエピソードも同じだ。
 ということは、問題は、兄弟であるかどうか、肉親であるかどうかということではないのだ。
 だから賢治はカムパネルラをジョバンニの兄弟という設定にはしなかった。ブルカニロ博士のエピソードをまるごと削除できたのだ、やろうと思えば二人を兄弟にすることなどわけもないだろう。
 ジョバンニとカムパネルラは兄弟ではないが、ほとんどきょうだいだった。
 自分にとても似通った、けれど決定的に違う他者。そのことさえ満たしていれば、きょうだいの物語は成立するのだ。
 わたしはPVにどのように手を加えればよいか、わかったように思った。文庫本を閉じて、教室の左右を見る。前の席のクラスメイトに、英語の構文を教えてあげている鞠莉。机に突っ伏して寝ている果南。
 時折、私には二人の横顔がそっくりに見える。本人たちはきっと否定するから、そう言ったことはない。でも、彼女たちだって、きっと立派な「きょうだい」だ。

 ♪♪♪

 六限と学活のあと、帰り支度をしていると、教室のドアをけたたましく開けて渡辺曜が入ってきた。
「ダイヤさん!あのアイディア、いいです!絵コンテにしてみました!」
 私の席まで一気に駆け寄って、クリアファイルに入った絵コンテの束を差し出す。
 周りの三年生たちがあっけにとられているのにも構わず、コンテを見せながらまくしたてる。好きなおもちゃを見つけた子供みたい。こういうところは高海千歌とそっくり。
「変更は二番のサビからです。電車のなかで、果南さんの向かいの席にもう一人の果南さんが現れます」
 私は絵コンテを受け取って読む。
 そう、物語に描かれるきょうだいたちは、みな主人公の写し絵なのだ。自分そっくりのもうひとりの自分。そして主人公たちは、自分そっくりの、しかし決して同じではない相手のことを見て、悩み、成長していく。
 PVでは、それを果南一人で描いてしまってはどうか。
 私は五限と六限のあいだの休み時間でそんなことをメールに書き、渡辺曜に送った。彼女はそれを受け止めて、六限の間に絵コンテを作ってきてくれたらしい。授業はどうしたのと言いたいけれど、自分の考えが間違っていなかったように感じられて、私は少し上気する。
 何コマか、一度描かれて斜線を引かれたものがある。曜の最初のイメージは、子供のころの果南やAqoursの面々が、果南の周りにいる、というものだったようだ。
「さすがに昔のみんなの撮影はできませんから。子供の頃の写真を挟み込むっていうのも考えたんですが、そんなことをしていたらどんどん完成が遠のきそうだし」
「でも、素敵ね」
 ありがとうございます、と曜が笑う。
「電車の中のもう一人の果南ちゃんは、ストックの映像を反転させて使えばうまくいきます」
 絵コンテの次のコマで、二人の向かい合った果南は、夕焼けの屋上に移動している。私服姿の果南と、ダンス衣装の果南だ。手を触れ合わせると、二人は光に包まれる。
「この屋上のシーンは追加撮影が必要です。できれば今日にでも」
「いいねー、やろうやろう」
 いつの間にか私の真横に来て絵コンテを覗き込んでいたらしい果南が賛同する。彼女も乗り気らしい。
「大サビと、曲のあと、駅でみんなに迎えられる果南さんは今のままです。ただ、このシーンが……」
「去ってゆくもう一人のわたし、か」
「この前の撮影のとき、私は果南さんと同じ電車に乗っちゃったから、ホームからみた果南さんの映像がないんです」
「それなら、たぶん、鞠莉さんが録っているはずですわ」
 みなの目が一斉に鞠莉に集中する。
「え?わたし?」
 突然自分が話題の中心になって、少し離れたところにいた鞠莉は目を丸くする。
「ロケのとき、わたしと鞠莉さんは電車に乗った撮影チームと分かれて、三島駅に残ったのですわ。沼津駅の方面に用事があったから」
「あ、そういえば」
 そのとき、彼女は予約していた『シング・ストリート』のブルーレイを取りに行ったのだ。これも映画のことを考えていて思い出したこと。
「鞠莉さん、果南さんをスマートフォンで撮影していたのではないかしら」
 よく覚えてるねえダイヤ、と言いながら鞠莉は手元のスマートフォンを操作する。オゥ、ほんとだ、と自分で自分に驚いて、動画の流れる画面を皆にみせる。
 ゆっくり動き始める電車のなかの果南。撮影されていることに気づいてこちらを向く。にっこりと笑って、手を振る。
 とてもいい笑顔だ。
 またネ~、と、撮影しているときの鞠莉の能天気な声が教室に響いた。
「おおー、OKOK!これと、屋上の追加撮影分をうまく組み合わせれば、イケる!イケるよダイヤさん!」
 曜がガッツポーズで喜ぶ。
 と、教室のドアがさっきよりももっとけたたましく開かれる。声を聞かなくても誰かわかる。「失礼します!曜ちゃん、置いてくなんてひどいよー」
 高海千歌だ。その後ろから、失礼します、と言って桜内梨子が続く。「ごめんね曜ちゃん、ダイヤさんに早く見てほしくて――」合流した二年生と果南が、新しい絵コンテを囲んでにぎやかに騒ぎはじめる。大騒ぎしているだけのようで、着々と屋上での追加撮影の算段が決まっていく。これでPVは一安心。
 私は鞠莉に話しかける。
「朝はごめんなさい」
「あ、映画のこと?あ、いや、ワタシも大人げないっていうか……」
「たぶん、あまりに身近な物語って、近すぎるせいでよく見えないことがあるの。大きい山の近くからだと、頂上が見えなくなる、というような。だから、兄弟の物語って、たぶんちょっと苦手」
 鞠莉の眉が八の字になる。いや、だから、そんな顔をさせたいんじゃなくって。
「でもあの映画は好き。嫌いじゃない。それはほんとう」
「ダイヤ……!」
 下がっていた眉があがる。
「それで、サウンドトラックはいつ貸していただけるのですか」
「そうこなくっちゃ―!ダイヤー!!」
 鞠莉が私を全力で抱きしめる。全く大げさな人。でも、サウンドトラックが楽しみだから、私も笑う。
 鞠莉に抱きしめられたままの格好で、教室のドアのほうが視界に入る。一年生たちもそこにやってきている。さすがに上級の教室であることに気後れして、足を踏み入れていない。興味津々といった顔の善子と花丸の後ろから、ルビィが恐る恐るこちらを覗き込むのが見えた。
 私は、ルビィと目を合わせて、軽く手を振った。自分でも、こんな風に振る舞うのは珍しいな、と思いながら。
 ルビィがほっとした笑顔で、手を振り返す。私と同じペースで、その小さな手が揺れるのを見て、私はもっと笑顔になる。

(おわり)

 


Adam Levine - Go Now (from Sing Street)