こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

ダイヤさんと呼ばせてよ/黒澤ダイヤの呼び方について考える・その2

 季節は早くも12月。あと少しで今年も終わりです。1月1日には黒澤ダイヤさんは18歳になる。
 ダイヤさんを演じる小宮有紗さんって、誕生日や何かの記念日に、これからの一年間の抱負についてよく語っているイメージがあるのですけど*1、きっとダイヤさんも、18歳という一区切りの誕生日においては、一層気合を入れた抱負を語っちゃうんだろうなあ、と想像してしまいます。

 


 2期4話『ダイヤさんと呼ばないで』は、ダイヤさんがAqoursの面々に受け入れられる物語であったのと同時に、ダイヤさんが自分の役割を受け入れる物語でもありました。
 千歌は、ダイヤさんは自分たちと違って「ちゃんとしてる」と言います。気軽に冗談を言ったりすることはできないけれど、ちゃんとしている、頼れる人としてのダイヤさんが好きなんだ、と。
 フリーマーケットや水族館でのアルバイト中、ダイヤさんは千歌の褒める「ちゃんとした」振る舞いをしてAqoursの面々を助けながらも、自分自身の真面目な性格を抑えて、周囲と親しくなるべきではないかという迷いを抱いていました。
 千歌はそうしたダイヤさんの生真面目さを認め、これからもその個性をAqoursのなかで発揮するよう希望します。ダイヤさんの個性はそのまま、Aqoursのなかで肯定されることになります。それはダイヤさんにとって一つの救いではあるでしょう。
 しかし同時にダイヤさんは、その個性を発揮する「ちゃんとした」人としてのポジションに留まることを頼まれてもいます。それは、鞠莉や果南のような、下級生たちと学年差を意識することなく親しむような関係性を作れない立場です。
 千歌とダイヤさんの会話がなされるラストシーンの人物の配置は、それぞれの立場の違いを明らかにしています。あわしまマリンパークを背に、屋内の光を背に立っている千歌たち8人。光源からは遠いほうに立って千歌たちを見るダイヤさん。
 いかにそれが自身の個性に合致しているとはいえ、そんな役割を負って、一人「ちゃんとした」人間であり続けることを定められたダイヤさんを手放しで祝福することは、ぼくにはためらわれます。
 確かに4話はダイヤさんの笑顔でしめくくられます。その直前に目を潤ませたのも、唇をかみしめたのも、喜びの表れととってもよい。しかしそこには、自分の役目を知り、他の場所には行けないことを悟った寂しさもあるようにわたしには思える。


 ちょっと思い出したのは、1期11話「友情ヨーソロー」で描かれた渡辺曜のことです。彼女は千歌と梨子と自分のあいだの距離感を測りかねて悩みますが、最終的に二人との適正な距離、そして自分のなすべきことを悟る。わたしがその姿を見て、本当にそれでいいんだろうか、と強く思ったのはかつて書いた通りです*2
 曜にしてもダイヤさんにしても、彼女たちはある場所に立つことと引き換えに、他の場所には立たないことを受け入れている。いかに彼女たち自身がそれを選んでいるとはいえ、何かを失っていることには変わりないはずです。『想いよひとつになれ』で歌われる、「何かをつかむために何かを諦めない」という言葉はやはり理想であって、それを叶えることはとても難しいのだ、と改めて思わされる。


 ダイヤさんが「ちゃんとしている人」としての自分の立場を受け入れるということは、Aqoursのなかでの人間関係に留まる話ではなく、彼女自身の人生に大きく関わっていくことでもあります。
 彼女は、地域の有力者である黒澤家の長女です。公野櫻子による小説『School Idol Diary』*3では、家を継ぎ、婿を取り、地域と家の繁栄のために生きていく人生を当然のものとして受け入れつつも、そうではない人生の可能性について少しずつ気づきはじめていくダイヤさんの姿が描かれていました。ところが、2期4話で描かれたのは、千歌たちが、地域における黒澤の家がなしているのと同じ役割――「ちゃんとしている」こと――をダイヤさんに求め、それをダイヤさんが受け入れてしまう物語だったわけです。


 黒澤家はそういう家なのだし、黒澤ダイヤはそういう人間なのだから、地域のリーダーとして生きていくことは当然ではないか、と思う人もいるかもしれません。
 そういう人は、実在の沼津の津元たちの歴史を紐解いてみるとよいと思います。父祖代々積み重なってきた罪をあがなうべく、家族を極貧のなかに叩き落としてまで自らの「家」を解体しようとした人*4、時代が変わり制度が変わったにも関わらず、受け継がれてきた上下関係に固執し津元の立場を維持しようと無茶な戦いに挑み敗北した人*5……。
 津元は、地域の利益を守るために代官や他村との交渉役をつとめたり、困窮する漁師たちに金を貸して急場をしのがせたり、といった「ちゃんとしている」(信頼と資本を蓄積している)人しかできない役割を担っていました。しかしその役割が「家」に固定され肥大化していったことで、様々な齟齬を産み、自他を不幸にしてしまった。


 さきほど触れた『School Idol Diary』において、ダイヤさんに「ちゃんとしている人」の立場以外へと最初に目を向けさせるのは、彼女と同じ家の人間である妹のルビィです。
 アニメの2期8話でルビィは、やがては高校を卒業しアイドルを辞める将来を示唆するダイヤさんに「置いていかないで」と呼びかけていました。ここでの「置いていかないで」は、未熟なままを置いて成長し、高校の外へと巣立っていくダイヤさんと離れてしまうことの寂しさがあらわれた言葉です。
 『School Idol Diary』でのルビィも、ダイヤさんが見合いをするという噂を聞いて早とちりし、ダイヤさんが結婚してしまうのではないかと危惧して、置いていかないでほしい、という意味のことを口にします*6。しかし同時に彼女は、もしダイヤさんが意に反した結婚を強制されるようなことになれば自分が大暴れしてやると意気込みます。その言葉が、ダイヤさんにそれまで自分の考えていた未来とは異なる生き方の可能性を見出させるのです。
 2期8話のルビィの言葉には、もちろん姉を気遣う気持ちが含まれているものの、ダイヤさんを変える力はありません。わたしは8話を観終わった時点で、ルビィもダイヤさんを「ちゃんとしている人」の場所から救い出すことはしないのだ、と思いました。
 しかし2期9話でルビィはさらに変化していきます。函館で行われるイベントへの出演をかけた面接で、彼女はこれまで姉が自分に勇気を与え力づけてくれていたことに思い至ります。その瞬間に彼女は変わる。降幡愛さんが演じている黒澤ルビィのふわふわしたおぼつかない*7声に、恐らくは降幡さんの地声に近い低いトーンが加えられる*8。その力のこもった声で彼女は面接官たちに「ちゃんとした」言葉を投げかける。
 2期9話で描かれるのはルビィと鹿角理亞という妹たちの成長であって、ダイヤさんと聖良、姉たちの物語ではないけれども、妹たちの変化は必ず家の中で姉たちへと影響をもたらすはずです。強くなったルビィは今までダイヤさんが一手に担ってきた「ちゃんとしてる」人としての役割を肩代わりしてくれるようになるかもしれないし、家のかたちそのものを解きほぐし変えていくようなことさえしてくれるかもしれない。


 先ほど渡辺曜について触れましたが、彼女の何かをあきらめたようにさえ見える生き方について、2期になって少々異なる印象を持つようになりました。大きな変化や事件は発生しておらず、千歌・梨子との関係も同じままのはずなのですが。
 流浪した主人公が痛みとともに自分の役割を受け入れる物語がわたしは好きです*9。あの、μ's全員の幸福、いやスクールアイドル全員の幸福を約束する愛と祝福が画面の全てに満ちていた映画『ラブライブ! School Idol Movie』を経験したあとでは、そのような苦味のある物語を『ラブライブ!』シリーズの一作として受け取るのには時として戸惑いを感じもするのですけど*10、『サンシャイン!!』2期がそのような苦味のある物語だととらえれば、ダイヤさんが2期4話で選び取った立場も、また違った見え方がしてくるかもしれません。
 何しろ、今『ラブライブ!サンシャイン!!』という物語が語ろうとしているのは、浦の星女学院の廃校が決まったあと――「何かをあきらめた」あと、それでも「何かをつかむ」ことができるか、というテーマなのです。
 2期4話はダイヤさんにとって一つの挫折であったとしても、8話・9話のルビィの物語、そして今週末放送される、ダイヤさんの親友であり、「地域の名家の娘」として彼女と相似形をなす小原鞠莉の物語:10話「シャイニーを探して」は、彼女の「挫折」を違うものへと変えていくかもしれない。期待を胸に待ちたいと思います。


 最後に、記事の題名にあげている大問題について。わたしはダイヤさんのことをどう呼ぶべきか。
 ファンミーティングやラジオで、ちゃん付けで呼ぶよう煽る小宮有紗さんの楽しそうな姿を見ていると、2期4話を観たあとのわたしは「ダイヤちゃん」と呼ぶべきなのだろうと思うときもあります。実際、小宮さんに直接煽られたらそう呼ばざるを得ないでしょう。というか、この記事を書いている翌日、わたしは札幌でのファンミーティングに参加して小宮さんに直接煽られる機会を持つはずです。わーい。
 でも、2期4話、そしてそれ以降の物語におけるダイヤさんの決して単純には割り切れないであろう心のありように思いを馳せるとき、むしろその葛藤の証のようなものとして、ちゃん付けじゃなくさん付けで呼びたくなってしまうという気もするのです。ダイヤさんに寄り添って生きているAqoursのみんながそうした諸々を飛び越えて「ダイヤちゃん」と呼びかけるのと、遠くはなれたところで彼女のことを考えているわたしが「ダイヤちゃん」と口にするのでは意味が違うだろう、とも思う。
 そういうわけであいかわらず、わたしは「ダイヤさん」と呼ぼうと思います。アニメ2期が終わったらどうなるかわかりませんけども。
 というわけで、つづく!


♪♪♪


 突然ですが告知です。
 2018年1月21日に開催される同人誌即売会「僕らのラブライブ!」にサークル参加することにしました。
 生まれて初めて同人誌を作り、生まれて始めてサークル参加をします。
正気か自分。でもまあやりたくなってしまったものはしかたない。
 刊行を予定しているのは以下の通り。


『黒澤家研究』創刊号
――ダイヤとルビィが生まれ育った「黒澤家」とは、どのような存在なのか。沼津・内浦の歴史や風俗を紐解きながら、主にダイヤさんへの愛を語ります。

◎掲載予定◎
・「内浦の津元・黒澤家と大川家について」(本ブログ掲載記事を大幅加筆修正)
・「豆州内浦津元関係資料目録β版」(現実・フィクションを問わず、内浦の津元に関する資料を収集しリストアップ。学術研究から二次創作まで幅広く役立つ目録になる予定です)
・その他鋭意編集中。
・初版20部/頒布価100円


 以上、全部予定ですけどがんばります。
 こいついったい何を考えてるんだと戸惑うかたも多いと思うんですけど、今日の記事でえんえん書いているダイヤさんについてのことと直結する刊行物になるはずです。詳しい意図やらなんやらはまたそのうち。ご注目いただけたら嬉しいです。

*1:浦ラジでそういう話題が多いからかもしれません。先日の大阪ファンミーティングでは、誕生日を迎えた小林愛香さんと諏訪ななかさんに「一年の抱負を...」と無茶振りし、「そんなすぐに真面目なこと言えないから!」とツッコミをいれられていました。タイムテーブルが押し気味なのにそういう生真面目な負荷をかけていったあの感じ、良くも悪くもむちゃくちゃダイヤさんっぽくて、ちょっとはらはらしました。

*2:「渡辺さんはそれでいいんですか/『ラブライブ!サンシャイン!!』11話のこと」http://tegi.hatenablog.com/entry/2016/09/17/105525

*3:アニメ1期ブルーレイ特典。

*4:芹沢光治良『人間の運命』(完全版1巻「次郎の生いたち」)

*5:「内浦・長浜の津元のこと/大川家と黒澤家について考える」http://tegi.hatenablog.com/entry/2017/04/29/214654

*6:「じゃあ本当に、お姉ちゃんお見合いしない? ルビィをおいて――お嫁にも行かない?」

*7:「覚束ない人」黒澤ルビィのこと」http://tegi.hatenablog.com/entry/2017/02/19/153154

*8:こうした彼女の声の魅力は、ゲーム『誰ガ為のアルケミスト』第三部主人公・リズベット役の演技でも触れることができます。基本的には朗らかで頼りない少女の声なのだけど、物語が進むにつれどんどん、主人公らしい堂々たるトーンをたたえていく。物語の佳境で次々現れる強大な敵にも怯まず自分の信念を語るその声に、プレイ中のわたしは何度も目頭を熱くさせられたものです。

*9:そうした物語の傑作はいくつもあると思うのですが、2期4話を観ていらい、最近よく思い出しているのは2009年のアメリカ映画『マイレージ・マイライフ』です。監督はジェイソン・ライトマンジョージ・クルーニー演じる主人公の仕事は、リストラされるサラリーマンたちにクビを言い渡すという非常にきついもの。冷酷と罵られ、恋人や家族とはろくな関係を築けないのですが、それでも彼はある種の誇りと諦めを抱いて、再び飛行機で全米を飛び回る日々へと戻っていきます
。ろくでもない自分を抱きしめながら日々を生きる男の人生を、飛行機に乗って空中を漂うこと(原題は"Up in the Air")をモチーフに描いて、軽妙ながらも深い余韻を残す傑作です。共演は、伊波杏樹さんが他の作品で吹替を担当したことでAqoursファンにもおなじみのアナ・ケンドリック

*10:物語のタイプとしてはむちゃくちゃ自分好みです。