こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

英雄に意味なんてない/『最後のジェダイ』と『ラブライブ!サンシャイン!!』

 いよいよ『ラブライブ!サンシャイン!!』アニメ2期最終話の放送まであと2時間です。みなさんいかがお過ごしですか。ここ数日間生きた心地がしねーよ、という人がほとんどじゃないでしょうか。
 ぼくはそういう気分を紛らわすべく昨日映画館で『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』を観てきました。まずはその話をします。するんですけど、ほとんど『ラブライブ!サンシャイン!!』の話をしているということがわかるかたにはわかっていただけるかと思います。

 


 映画シリーズ『スター・ウォーズ』の第一作目は1977年に公開されました。監督・脚本はジョージ・ルーカス。以後、ルーカスが中心になってシリーズ六作が作られ、更にルーカス以外のクリエイターたちによって映画三作が作られました。もう40年も続く長寿シリーズです。
 前作の『フォースの覚醒』では、ルーカスによって作られた六作の末尾から数十年後の世界で、強大な軍事力を背景に銀河の覇権を握ろうとするファースト・オーダーと、それに反旗を翻すレジスタンスたちの戦いが描かれました。辺境の惑星で孤独に暮らしていたものの、フォースと呼ばれる不思議な力に覚醒し、戦いの渦中に巻き込まれていくレイを筆頭に、ファースト・オーダーから脱走した兵士フィン、かつて強大な力を誇った祖父ベイダー卿に憧れ悪の道を進むカイロ・レンら、旧作を踏まえながらも新鮮で魅力的な主人公たちが活躍する、現在作られるにふさわしい『スター・ウォーズ』でした。
 今回の『最後のジェダイ』で描かれるのは、基地を襲撃されたレジスタンスたちが、降伏もできない決死の状況で行う撤収作戦です。彼らは小さな宇宙船で必死に逃げますが、迫りくるファースト・オーダーの圧倒的な攻撃で次々に仲間は死んでいくし、燃料も逃げ切るには全く足りません。
 そんな状況で何ができるのか。
 レジスタンスたちが必死の逃亡をしているころ、主人公レイは、かつて一度は銀河を救ったとされる英雄ルーク・スカイウォーカーのもとを訪れています。彼が戦線に戻れば、今はファースト・オーダーの支配のもとで息を潜めている人々も反抗の狼煙をあげてくれるのではないか、そう期待するレジスタンスたちの願いを届けるために。
 ルークという人物は、ルーカスが最初に作った三作の主人公です。彼は劇中でも英雄ですが、現実においても、世界中でポップ・アイコンとなったヒーローです。前作『フォースの覚醒』が、ルークの再登場を最後のクライマックスとしていたことからも、彼の重要性がわかります。
 レジスタンスたちは、彼に希望を託しています。しかし実際に彼が戻ってきたとして、絶望的な撤退戦が好転するかどうかは怪しいところです。なにせ彼らが戦っているのは巨大な宇宙船同士の大規模な戦闘であり、人間一人が大勢に影響を及ぼせるとは言い難いものです。
 『フォースの覚醒』で活躍したフィンたちも、劇中で新たな英雄としてレジスタンスたちから尊敬の眼差しを浴びています。でも、若い彼はまだ無力だし、たくさんの失敗や判断ミスをする。
 そんな「英雄」たちに意味はあるのでしょうか。そんな英雄たちの物語に意味はあるのでしょうか。


 『最後のジェダイ』は、英雄と、それに憧れる人たちを描きます。その構図は、映画の外で映画を作っている人たちや、映画を観ているぼく自身にもそのまま当てはまります。『スター・ウォーズ』を観て育ってきた人たちが作り手に回り、過去の傑作との比較に怯えながら新作を生み出そうとしている。また、70年代から80年代にかけての最初の三部作をリアルタイムで経験していない世代が、それが自分たちの時代の神話になるかどうか、という不安と期待を抱きながら映画館にやってきている。
 最初の三部作の輝きというのは本当に別格です。なにせ『スター・ウォーズ』以前には、あそこまで面白くて、斬新で、格好良くて、誰もが楽しめて熱中できるSF娯楽映画というものはなかった。物語、演出、デザイン、それら個々の要素は様々な先行作の影響を強く受けているとはいえ、一つの映画にまとまったのはあれが初めてだったし、そのようなフレッシュな衝撃を与えるということは今後二度とできない。だって『スター・ウォーズ』はもう世界にあるのだから。また『スター・ウォーズ』を作ったとしても、観たとしても、もう最初の輝きを得ることはできないのです。
 では、そんな映画をまた作ることに意味はあるのか。そんな映画をまた観ることに意味はあるのか?


 『最後のジェダイ』は、物語のうえでも、また演出のうえでも、そうした「英雄」たちとその物語の意味の問いかけを繰り返していきます。
 けっきょく、レジスタンスたちの苦境は変わりません。人々も虐げられたままです。ルークやレイが活躍したとしても彼らの生活はほとんど変わらない。
 けれども、映画のラストで描かれるある人物は、英雄たちの姿を見たことで確実な変化を遂げています。彼がどんな人間になるかはわかりません。ルークのような英雄になるのか、かつてのダース・ベイダーのような圧制者になるのかはまだ誰もわからない。しかし可能性は引き継がれていく。


 転じて、こう考えてみましょう。ルークは本当に銀河帝国を救ったのか。『フォースの覚醒』で示されたとおり、銀河帝国の思想を引き継ぐファースト・オーダーによって、人々の自由は再び失われています。彼の英雄的行為の直接的な成果は、ごくわずかなあいだしか意味をなさなかった。
 では彼の行動に意味はなかったのか? あったとしたらどこに?
 と、ここでようやく『ラブライブ!』の話です。
 かつて高坂穂乃果とμ'sは音ノ木坂学院を救ったとされます。彼女たちの活躍によって入学希望者が増加し、廃校から救われた。
 しかし学校を救ったのは彼女たちだけでしょうか。
 彼女たちが行ったのは、あくまで学校の魅力を内外に知らしめることです。実際に学校を「救った」のは入学希望者だし、入学した彼らを受け入れた生徒と教師たちです。そしてμ'sの痕跡が失われた現在も学校が存続しているのなら、それはμ'sが成した業績そのものではなく、μ'sが音ノ木坂の人々に与えたものこそが重要であったことの証拠にほかならないでしょう。
 ルークは銀河帝国を倒したものの、自分の後に続く人々を育てることに失敗します。自分と、自分を慕うものを信じることができなかったから。
 おそらくはそこに両者の違いがある。


 高海千歌は、1期13話で挑戦したラブライブの地区予選において、「一瞬だけど、あの会場でみんなと歌って、輝くってどういうことかわかった気がした」と言います*1。いったいその「輝き」とはなんだったのでしょうか。
 先週放送された『ラブライブ!サンシャイン!!』2期12話において、ついに彼女はラブライブの全国大会の決勝ステージを経験しました。そのライブパートでぼくがもっとも感動したのは、彼女たちがステージ上で宙に舞わせた青色の羽根の描写です。画面のこちら側に舞うその羽根は、アニメの中の画面の境界を越えて、UTX学院前で決勝の様子を観ている無名の高校生たちのもとへ届く。
 これはラブライブ世界において、Aqoursがかつてのμ'sのように「輝き」を誰かへ届けたということでもあるし、同時に、画面の境界を越えて現実世界のこちら側へも届きうることを示唆した描写でもあります。
 「輝き」は千歌自身のなかに生じるものではなく、誰かへ届けられることで生じるものだったのだ、とぼくは理解しています。


 1期13話の最後で、高海千歌は「君のこころは輝いてるかい」と画面のこちらへ向かって問いかけました。
 英雄とその物語が意味をなすのは、彼らが投げかけるものが誰かの心に届いたときなのだとぼくは思います。なにせ、太陽自身は自分の輝きを観ることはできません。
 これから放送される『ラブライブ!サンシャイン!!』2期13話で、こちらにむかって投げかけられるものはどんな輝きなのでしょうか。ぼくはそれを観るのが楽しみだし、同時に怖くもあります。おそらくきっと彼女たちは、この輝きに意味を生じさせるのは君だ、と言うに違いないのですから。

*1:2期1話