こういう場合、「ぼくのかんがえたさいきょうの~」とするのが定番なわけですけど、最強なのは酒井和男に決まっているので、「さいきょう」とは言いません。
浦の星女学院の屋上に千歌がたどり着くまでは酒井和男版と同じ。屋上で言葉を絞り出す千歌さんを想像してください。
それではスタート。
♪♪♪
「わたし嘘つきだ。
泣かないって決めたよね。千歌。
どうして、思い出しちゃうの。
どうして聴こえてくるの。
どうして。
どうして」
「どうして」
つぶやくもうひとりの誰かの頬と口元。流れ落ちる涙の粒。屋上の千歌と対象的に、どこか暗い室内にいることが見てとれる。
再び屋上。誰のものでもない「うたおう」という言葉がどこかから聞こえてくる。
はっとする千歌の横顔。
同じく、はっとする屋内の誰かの横顔。
学校内のどこか、浦の星女学院の制服を来た生徒の影が歩いて消えていく。
千歌、もうひとりの少女、それぞれの場所から、学校内の声と影を求めて歩きはじめる。
千歌はバストショット、もうひとりは足もとから腰までを写すショット。二人を交互に描く。徐々にもうひとりが誰なのかわかってくる。お互いが近づいていくことを、それぞれのカットの光と色調が近づいていくことで示す。
体育館の手前で二人は鉢合わせする。高海千歌と桜内梨子。
梨子は千歌と同様に制服ではなく私服を着ている。自室でリラックスしてピアノを練習していたような風情の部屋着。ふたりとも、学校にいるには場違いな服装だ。
同時に互いの名前を呼ぶ。
「千歌ちゃん!」「梨子ちゃん!」
お互いの目と頬に涙のあとを見つける。何かを了解した顔。お互いに何も言わなくとも、相手が泣いていた理由を理解している、という顔。ふたりとも同じ理由で泣いていたからだ。
「あの声…」
「でももう誰もいるわけない、もうみんないない…」
「思い出しちゃいけないのに…」
言いよどむ千歌(あるいは梨子。どちらでもいい)。
うつむく二人。
間。
体育館の扉の向こうから、今度ははっきりと(しかし明らかに幻聴とわかるエフェクトのかかった調子で)、
「歌おう!」
二人は扉に向き合う。扉がゆっくりと開いていく。千歌と梨子の間を中心に、体育館のなか、そして壇上にズームしていくカメラ。
浦の星女学院の全生徒、そしてAqoursの全員がそこにいる。全員制服姿。ただしAqoursたちの上半身は見切れていて見えない。一瞬でカットされ初見ではわかりづらいが、壇上には千歌と梨子もいる。
Aqoursが呼びかける。それぞれの顔は断片的ですべてが映ることはない。しかし不穏さはない。
曜「夢じゃないよ」
果南「みんなで歌いたいって」
鞠莉「最後に」
ダイヤ「この場所で」
善子「約束の地で」
花丸「待ってたずら」
ルビィ「千歌ちゃん!梨子ちゃん!」
極めてわずかな間。
壇を見上げる千歌と梨子を横から写すカット。ふたり、穏やかにほほえむ。静かな決意の笑顔。
ふたりの拳が映る。少し力が入る。握りしめる。
梨子「歌おう!」
(制服/私服の梨子が同時に言う)
みんな「一緒に!」
千歌「うん!」
(梨子と同様)
みんな「一緒に!」
壇の下の千歌と梨子、同時に壇のほうへジャンプする姿を後ろからとらえたカット
『Wonderful Stories』ライブパート。
イントロ~サビまでは現行版と同じ。
過去のライブの情景のなかで、Aqoursが歌う。ライブパートにおいては、私服姿の千歌・梨子は存在しない。
高海千歌:
「やっとわかった。
最初からあったんだ。
初めてみたあのときから。
何もかも。
一歩一歩。
わたしたちが過ごした時間のすべてが、それが輝きだったんだ。
探していたわたしたちの輝きだったんだ」
セリフの途中で、踊る千歌の顔がクローズアップされる。
画面の上下左右に枠が現れる。彼女の顔を囲むように狭まっていく。徐々にその枠がゾエトロープであることがわかる。高速で左右に回転する枠の向こうに、千歌のいる情景がみえる。
千歌の顔からカメラが引き、全身と背景が映る。実家前の砂浜で遠くを見ている千歌。ただ立っているだけだが、紙飛行機を持つ手に意志の力が感じられる姿。
「青い鳥
さがしてた
見つけたんだ
でも
かごにはね
入れないで
自由に飛ばそう
答えはいつでもこの胸にある
気がついて
光があるよ」
ゾエトロープの枠が画面を横切る。場面が切り替わる。ピアノの前で今にも鍵盤を叩こうとしている梨子。
ゾエトロープの枠が横切るたび、Aqoursのそれぞれの姿が映し出される。
飛び込み台で、まさに跳躍しようとする渡辺曜。
新しい本を開こうとしている国木田花丸。
新しいトレーニングシューズの靴紐を締めている黒澤ルビィ。
鏡の前、沼津の学校の制服を着て、少しだけ得意げな表情でポージングしてみせる津島善子。
内浦の海とはまったく違う色と光の海に浮かぶボートのうえで、ダイビングのゴーグルを付ける松浦果南。
果南のいた海とはまた違う海の浜辺で、遠くを見つめる小原鞠莉。
大学の階段教室の一番前で、懸命にノートをとる黒澤ダイヤ。質問しようと手をあげて口をひらきかける――
ふたたび千歌。
カメラが引く。
ゾエトロープの全体を写す。横に並ぶ9本のスリットから、Aqoursのそれぞれの姿が垣間見える。ゾエトロープの枠の大きさはそのままで、枠の中の彼女たちの顔がクローズアップされていく。彼女たちの表情が徐々に笑顔になっていく。現在のAqoursと過去のAqoursが混ざり合っていくように。
ゾエトロープの枠が細くなっていく。一方、Aqoursの姿はそれがアニメーションだとはっきりわかるようにコマ落ちしていく。ゾエトロープ本来の見え方に近づいていく。
同時に彼女たちは画面のこちらがわにむかって走り始めている。白紙のうえでアニメートされるAqours。服装は制服に戻っている。ゾエトロープの枠が細くなりきって消えた瞬間、ホップ・ステップ・ジャンプのタイミングでAqoursは画面のこちらへ跳躍する。コマ落ちしていたゾエトロープ的アニメーションのエフェクトが消える。真っ白だった背景が、浦の星女学院の校庭に変わっている。
緑の芝生のうえで、Aqoursが歌って踊る。
「そうだね 本当は 持ってたんだよ
ぼくたちは みんな持ってた
胸に眠る輝き 目覚める前の力
夢を駆けてきたぼくたちの物語
いっぱいの思い出からは
流れるメロディ
新しい夢が聴こえる
いつかまた始まるんだよ
次のDreaming Days」
6
幕。
♪♪♪
ぼくがAqoursを好きになった瞬間はいくつかあるのだけれども、その一つが、『君のこころは輝いてるかい?』の大サビを聴いたときだった。
この記事にも書いたけれども、あの歌の大サビは、高海千歌と桜内梨子の二人によって歌われる。
映画『ラブライブ! The School Idol Movie』が公開されていたころ、あの映画のなかで、そして数々のμ'sの楽曲のなかで、一人で立つ高坂穂乃果の姿にぼくはさびしさを感じていた。彼女の近くには誰かがいるべきだ、いてほしい、と思っていた。μ'sは、たった一人の女性が背負うには巨大すぎる。
いや、物語のなかで一人で悩み、楽曲のなかで大サビを一人で歌う高坂穂乃果の傍らには、確かにμ'sの8人がいて、新田恵海さんもいたのだとも思うのだけれども、それでも。
『君のこころは輝いてるかい?』で、楽曲の中心になる部分を二人でともに歌う千歌と梨子の声を聴いたとき、この人たちには一緒に並んで戦える人がいるんだ、と強く安心したのだ。彼女たちは一人で世界と対峙する必要はないのだと。
2期13話に対して思うところはいろいろある。それはこの記事でもさんざん書いたとおりだ。
今回、ぼくなりの2期13話を空想していて、つくづく、現実の2期13話が、今あのようにあることにはたくさんの強固な理由があるんだな、と感じた。ぼくは高海千歌を一人で戦わせたくなかったけれど、でも、一人で戦わなければ得られない(視聴者に届きづらい)ものもまた存在する。
それまでの日々こそが輝きであり、またこれからの日々もまた輝きである、というメッセージは、現在の演出でもかなり伝わりづらいとも思うけれども、ぼくの空想した展開では一層伝わらない。それだけこのメッセージは伝えるのが難しいしろものなのだと思う。
製作にかかる時間や労力といった制限だけでなく、受け取る側がキャッチできる情報量の上限や、わかりやすさなど、実に様々な制限を勘案したうえで、現在のかたちに研ぎ澄まされていったのだろう。『ラブライブ!サンシャイン!!』という作品にとっては、あのかたちが最適だ。
酒井和男は最強なのだ。
それでも、それでもやっぱり、拭いきれない空想が頭のなかに沸いてしまう。
それでこういう記事を書いた。
今日、2期13話をおさめたブルーレイが届いた。
これからゆっくり観返そうと思う。ぼくはこのアニメが大好きなのだから。
*ゾエトロープっていうのはこれ。スピードを変えたときにゆっくりと動いていく、あるいは動きをとめていく、絵からアニメーションへ・アニメーションから絵への移り変わりを観るのが好きだ。
なお、ゾエトロープを実際に動かしたときには、空想の演出のなかのような、それぞれのスリットに違う場面のアニメーションを観る、ということは難しいと思う。あくまでゾエトロープ的、ということで。