こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

Aqours 3rd LoveLive! tour 福岡初日LVのこと

 今日もAqoursはいいライブをしてくれました。

 でも、誰の何、とは言いませんけど、なんだかいろいろと、意味の取りづらい情景があったようにも思う。あの人が身につけていたあれはなんだったのかな、とか、あの人がそんなふうに緊張していたのはなんだったのだろう、とか、最後のあいさつのあそこは、とか。

 まあ、なんとなく意味を推測することはできます。できますけどね、なんかもうそういうのはいいんだよな、という気がする。いや、だって、ステージの上に立っているあの9人が、どんな時間を過ごしてあそこに至ったのか、って全然わかんないじゃないですか。ちょっと恐ろしいくらいにぼくは彼女たちのことを知らない。でも感動したり応援したり、まるで友達みたいに感じたりもする。

 

 

 今日、2018年7月7日ってのは、たぶん今年一年の重大な出来事上位20くらいには入りそうな悪天候が日本の多くを覆ったわけです。ライブに、ライブビューイングに来られない人もたくさんいた。ライブビューイングで開演前の客席が映し出されたとき、たくさんの席が誰も座らないままになっていた。きっとあのあと途中から駆け込めた人もたくさんいたとは思いますが。

 そういう、個人にとってはむちゃくちゃ重大な事件をくぐり抜けてライブ会場に来た人が、あるいはこれなかった人が、ライブビューイングの映像には写っていたのだけど、当然ぼくは彼らの人生すべてを、その空席ひとつひとつの意味すべてを知ることはできない。

 でも、こうやって言うとこれなかった人に怒られると思うんですけど、これがライブなんだ、とぼくは思った。千を超えるたくさんの人がやってきて、それは演者も含めての話ですけど、互いに不可知な人生の大半を誰にも見せないまま、数時間を共有する。それで熱狂して、二度と忘れられない時間になったりもする。人生が変わったりもして。

 

 たぶんライブ/ライブビューイングで観た人はわかってくれると思いますが、最後のあいさつのなかで、わすれがたい一場面がありました。

 ネタバレどうこうじゃなくて、単に彼女のあの数分間のことを、ぼくは自分の言葉で表現したくない(なぜならあれは彼女だけのものだから。他人が気安く言葉や絵で書き替えていいものじゃないから)、という気持ちから詳しくは言いませんけども、あれは本当に感動的で心が動かされたと同時に、すごく不可解でもあった。どうしてしまったんだろ、と思いながら見ていた。

 そこには断絶があった。どんなに彼女が、ぼくたち観客のことを思ってくれているとしても、ぼくは彼女らのすべてを知ることができないから。ステージ上であらわされた歌、ことば、身振り、それらを受け取ることしかできないから。

 でもそういう断絶がたくさんあることにぼくはなんだかすごく満ち足りた気分になったのです。矛盾していることを言っているように思われるけれども。

 

 けっきょく(これは前のライブのときにも言っているかもしれないのですが)ぼくは、世の中にはまだこれだけの未知のものがあるのだ、という驚きを『ラブライブ!』のライブで得ることに、喜びを感じているのかもしれません。

 ステージのうえで、あるいは客席で、またはTL上で、次々あらわれては消えていく一瞬の感動の、前後に、ぼくの見えないかたちで確実に存在するであろう、人々の人生と生活、そして想い。

 そんなwonderの詰まった物語の片鱗が、生が、目の前を過ぎ去っていく。

 だからライブっていうんだ。

 

 そんなことを考えながら観ていました。幸せだった。