こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

『ラブライブ!』とわたしの九年

 わたしは、九年前、『電撃G's magazine』のその記事を本屋の店頭で見たと記憶している。『ラブライブ!』の始まりを告げる、高坂穂乃果のイラストと企画コンセプトを載せた記事だ。
 八王子のいまはもうない漫画専門店まんが王で、妻と二人で新刊や雑誌をチェックしていた。会社帰りの夜だったと思う。明らかにAKB48の影響を受けたその企画を見てわたしは、いまさらAKBを模倣するなんて遅いだろう、選挙を中心とした競争を煽る雰囲気は二次元のオタク文化とも食い合わせが悪い、それに秋葉原は廃校の危機なんてノスタルジーの物語を展開するにはぎらぎらしすぎているーーそんなことを思って、雑誌を閉じて棚に戻した。企画は頓挫するに違いない。



 それからの『ラブライブ!』の歴史は世に広く知られる通りだ。μ'sと名付けられた9人は、苦難の果てに国民的なアイドルとなった。μ'sを引き継ぐAqours、さらに虹ヶ咲アイドル同好会が生まれて、シリーズは九年のアニバーサリーイヤーを迎えている。
 あの記事からこの九年を予測することは可能だったろうか。誰にもそんなことはできなかったはずだ。しかしあの記事に惹かれて『ラブライブ!』を追いかけ始めた人は確かにいた。自分はそうはならなかった。

 自分が最初に一線を超えたのは、『ラブライブ! School Idol Movie』を観たとき、そしてそのことを反映させて東條希についての長い記事をブログにアップしたときだったと思う。
 二回目は、『ラブライブ!サンシャイン!!』テレビアニメ1期13話についての長い長い記事をブログにアップしたとき。そして三回目は、黒澤家のモデルになった一族についての長い長い長い記事をアップしたとき。
 不遜にも自分は、いずれの記事を書いているときにも、自分にしか見えない『ラブライブ!』の景色を見せてやる、と思って書いていた。このくらいわかれよ、と世間にたたきつけて、誰かの目を覚ますために。
 目を覚まさせたかったのは9年前の自分だったのだ。あの記事を眺めて、そこに何も見いだせなかった自分の目を。取り返しのつかないその失点ーーというほど自分は悔しがっていない、と思ってはいるのだけどーーを挽回する、という感覚が、自分が『ラブライブ!』について考えるときには常に頭の奥の奥のほうにわずかにある。
 『黒澤家研究』のような、歴史学の営みへの憧れとオタクの妄想をミックスした同人誌を作るのも、過去の過ぎ去った時間になんとかして触れたいという気持ちが影響しているのかもしれない。

 九年間の歴史を『ラブライブ!』は濃密な成果で満たした。その歴史はこれからも続くだろう。明確に指し示せるほどのはっきりとしたその輝きに比べて、自分はなにを残せたのか、ということもつい考えてしまう。九年間。その間に自分の人生に存在した重大な選択肢と自分の選んだ結果をわたしはいくつか挙げることができる。あのとき違う決断をしていれば、今わたしの腕のなかにはここにないなにかが、と夢想しかけて、そんなことは間違っている、と自分に言い聞かせる。
 『ラブライブ!』がこうであったように、わたしがこうであるように、みんながみんなであるようにこの九年間は流れた。後悔はある。未来はわからない。でも、この九年間は、『ラブライブ!』の九年の歴史は正しかった、とわたしは信じて疑わない。

 『ラブライブ!』のあの記事から未来を予測できた人がいなかったように、『ラブライブ!』の一瞬一瞬は不確かで儚く危うかった。ならば、そのいくつかの一瞬を垣間見た程度の自分のことが不確かで、輝きから遠くあることも、そういうものだと受け入れられるのではないか。不確かな自分の九年間と、『ラブライブ!』の輝かしい九年間は、等しく同じときを流れた。それだけでじゅうぶんではないか?


 わたしのなかの九年前の記憶は、事実ではない。
 九年前、わたしはまだ札幌に住んでいた。異動のために引っ越し、八王子のまんが王に通い始めたのはもう少しあとのことであるはずなのだ。雑誌を立ち読みできたというのもおかしい。『電撃G's magazine』はたいてい、シュリンクされてまんが王の店頭に並んでいた…。

 自分は『電撃G's magazine』のあの記事を見ていない。過去の自分を悔いて取り返そうとする自分の心の根拠は存在しない。
 このことに気づいたあとも、わたしの『ラブライブ!』への気持ちはあまり変わらなかった。自分の一部はクールダウンして、でもほかの一部はブーストされて、あのまんが王の記憶とともに自分はこれからも彼女たちのことを考える。
 根拠なしに、根拠があるかのような熱に浮かされて生きるなんて、まるで『ラブライブ!』じゃないか。