こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

JAなんすんのポスターのこと

・はじめに
 以下は、今日の昼間に書いて、そのあといったんは発表するのをやめようと思っていた文章です。
 いろいろ迷ったのですが、あまりに今回のポスターを擁護し、批判を無視ないし曲解する声が多いように思えたため、バランスを取りたくてアップします。
 「ポスターにはなんの問題もなく、反応するのもばかばかしい」という人には変わってほしいけれど、すごく難しかろうし、自分の言葉にはそれだけの力はないだろうと思います。
 しかしそれでも、そういう人たちに、「こういった点を確認してもなおそう言えるだろうか?」という疑問を呈する、という感じで書いています。
 彼らを変えることはできなくても、擁護する人たちをみて「ポスターに疑問をもつ自分は考えすぎなのだろうか?」「自分の好きな作品・キャラクターなのに、こんなことを考えたくない」と考えている人たちのアシストになれれば嬉しいです。わたしはあなたの抱く疑問や不快感は否定されていいものじゃない、と言いたい。そしてその気持ちは、『ラブライブサンシャイン!!』という作品や高海千歌というキャラクター、伊波杏樹という声優、作品の作り手たちへの愛情を損なうものではないとわたしは思います。


 いや、そういう言説って、おまえがいい顔したいからじゃん、男性オタクが女性や世間に媚びているだけじゃん、と言われたら返す言葉はありません*1。でもわたしは社会に対していい顔していたいよ。「みんな」に嫌われたくないし、『ラブライブ!サンシャイン!!』はオタクかどうか関係なく、世間のみんなにもよきものを届けられる作品だと信じているし。
 『ラブライブ!サンシャイン!!』はオタクだけのものではないとわたしは思うので、オタク以外からの反応にも真摯に答えたい、ということです。

・広告であること
 まず、ここが最も大きなポイントであり、かつ、なぜか擁護派がスルーしがちなところです。
 今回の画像は、一番の目的としては『ラブライブ!サンシャイン!!』のファンにみかんを買ってもらうことを主な目的としていると思われますが、名目上は「みかん大使」としてより多くの人に知ってもらうことを企図しており、『ラブライブ!サンシャイン!!』ファン以外・オタク以外へもアピールするものとして作られています。
 よって、作品や沼津に親しんでいない人からの意見は受け付けないとか、『ラブライブ!サンシャイン!!』がこれまで行ってきた沼津への貢献度や女性を力づける物語の価値を訴えるとか、そういった姿勢にはあまり意味がありません。むしろ、そうしたものをとっぱらって、今回初めて作品のことを知った人の反応を重視したほうがよいはずです。

・画像がよいものか悪いものかという判断について
 前述の通り、広告であることがあの画像の存在意義です。だから、それを受け取った人々のなかに「よくない」と思う人が一定数いたのなら、すでにその時点でこの判断の決着はついてしまっている。
 一定数とは何人以上なのか?
 それは一方的な価値観の押しつけではないか?
 そう反感を抱く人もいるでしょう。
 しかし、「女性の身体を表現する」という行為は、そうすべてを許されたものではないのです。クローズドな場所でやっているのならともかく、社会のなかで行うには、そうした他者のジャッジを受け、それに対処していかなくてはいけない、という義務を負っている、とわたしは思います。
 今回、ポスターを批判している人々がまったくの誤りを侵さない聖人だとは思いませんが、なんの価値も意味もない意見ばかりだ、とするのもまた誤りだとわたしは思います。

・女性の身体を表現することの意味
 わたしの考えでは、今回の画像には3つのポイントがあったと思います。これらが重なった結果、このように大きな反応を呼ぶことになった。
 1つ目は、騒動のなかでがもっとも焦点にあがっている「スカートの透け(影)」*2
 2つ目は、高校の制服を着ていること。
 3つ目は、スカートの丈が短いこと。

 まずは2つ目の項目から話します。
 たまたま最近、明治や大正時代の女性と教育について調べているのですが、女性が教育を受けるときの服装というのは、そのときどきの社会からの強い縛りをかけられてきたものです。おもに社会の権力の中心にいる男性たちから(そしてそれと価値観を同じくする女性たちから)、「教育を受ける若い女性はこうあるべきだ」、という服装を押し付けられてきました。
 たとえば、明治初期のころ、教育を受ける若い女性たちは、洋装ではなく和装を強いられていました。身体を動かす体操科目などには明らかに不向きであるにも関わらず、です。動きやすい男袴を履いた『はいからさんが通る』的な格好が主流となっていくのは長い年月と紆余曲折を経てのことです。と同時に、そうした格好で活躍しはじめた女性たちを、今度は性的な関心から見物し、品定めする男たちも現れました。明治時代、女学校で行われた体育大会には、多くの男性見物客が押しかけた、ということもあったそうです。各学校の通学姿について、美しい、醜い、いかにも男と遊んでいそうだ…といった論評を加えた記事が、新聞や雑誌などの大手メディアで多々取り上げられたりもしました。

 女性たちはそういう環境のもとで、ときにはそうした視線をすり抜けて自分なりの自由を獲得しながらも、基本的には非常に窮屈な思いをしてきたわけです*3
 それは現在でも変わりません。女性の制服姿は、性的な欲望の対象になっているし、ズボン/スカートの区別によって男女の社会的な役割を押し付けるものにもなっている。学校の制服を着ているということは当然、若い女性ということになりますが、特にその年代の女性はたくさんの抑圧を受ける傾向にあります。教育機会の不平等であるとか、若さと老いをめぐるハラスメントであるとか、様々な問題を連想させる服装でもある。
 電車のなかでは制服姿の中高生たちが痴漢被害を受け、大学入試では女性が差別を受けているような社会のなかで、ポスター擁護派が「エロくないよ」「性差別の意図はないよ」と主張しても、なかなか信じてもらうことは難しい。
 たとえあなたが本当にそう思っていたとしても、制服姿の女性の画像というのは、そういう意味を持ってしまうのです。今の日本の社会のなかでは。残念だけど。
 一番大事なのは、この社会にある性犯罪や性差別をなくしていくことです。でも今回のような図像を世の中に流布することは、「女子高生は短いスカートを履くものだ」「そうした姿を見て楽しむのはよいことだ」という価値観を強化し、ひいては性犯罪や性差別への許容度を高めてしまうことにつながってしまう可能性があります*4

 何が言いたいかというと、女性の高校の制服というのは、非常にセンシティブな題材なのだ、ということです。制服を着ている女性を描いてはいけないわけではありませんが、もしそれを広告として使うときには、相応の注意深さが求められる。こうした歴史的背景や現在の女性がおかれた状況を最低限踏まえて、その表現が広告を打ち出す団体から女性への価値観の押し付けになっていないか、慎重に判断しなければ、誤ったメッセージを発してしまうことになるのですから。
 そしてもしその成果物に対して社会からなんらかの批判が行われたのなら、極めて慎重に扱わなければならないのではないでしょうか。
 「価値観の違う人間の言うことだから無視すればよい」「そんなことを言っている人間は異常者だ」といった態度は、少なくとも、広告としてその画像を広く社会に問おうとしている企業や自治体が取ってよいものではない、とわたしは思います。

 残り2つのポイントについては、制服というセンシティブな題材のうえでの表現ならば、通常よりもさらに注意深く表現する必要があった、ということに尽きます。
 スカートの透け(影)表現が、この作品や、萌え絵文化のなかでは自然なことであり、違和感をもたない、という意見は当然あるでしょう。しかし繰り返しになりますが、そうした文脈を理解しない人たちにも届く場で発表される画像だったのです。
 実際に、『ラブライブ!サンシャイン!!』の過去の絵のなかでも、同様に女性の肉体を露骨に表現する画像は複数存在したと記憶しています。それらの画像が問題とされず、今回のものだけが取り上げられたのは、これが広告であるからです*5。決して、萌え絵文化全般、オタク文化全般の否定を企図した批判ではないことも、確認しておきたいところです*6

 スカートの短さは、制服という題材のセンシティブさ、透け(影)表現の危うさにブーストをかけるものだったと言えるでしょう。短いスカートというものは、これももちろん異論はあるでしょうが、どうしても性的な議論の焦点にならざるをえないものです。

 キャンペーンの報道写真として、件のポスター絵と、その前に立つ声優の伊波杏樹さんとがひとつのフレームにおさまっているものがあります。絵のなかの高海千歌と伊波さんのスカートの丈は明らかに違います。
 『ラブライブ!サンシャイン!!』は、アニメのなかのダンスやキャラクター性を現実の声優さんたちが再現する、2.5次元作品として人気を得てきました。しかしこの写真において、伊波さんは絵のなかの高海千歌のスカート丈を再現していません。それはなぜでしょうか。伊波さんが千歌の丈を再現できないのは、伊波さんが履いたら問題のある丈だから、ではないでしょうか。そのようにスカートを短くしてしまっては、キャストの意図や希望を超えて恥ずかしい(性的な印象を強くする)見え方になってしまうからではないでしょうか?
 この点からも、件の画像のスカート丈には考えるべきところがある、と言えると思います。

 先月、『ラブライブ!サンシャイン!!』のライブ衣装をまとめた本が発売されました。この本や、ライブのパンフレットなどを見るとよくわかるのですが、『ラブライブ!』シリーズは前述の通りアニメのなかのキャラクターを再現することを重視しつつも、キャラクターの衣装を現実の衣装に落とし込む際、非常にたくさんの調整を行っています。スカートの丈や袖、その他様々なところを調整して、基本的には、絵の中の衣装よりも肌の見え方が少なく、悪目立ちしないようにしています。
 極端な言い方をすれば要するに、「『ラブライブ!サンシャイン!!』のキャラクター衣装の多くは、現実の声優さんが身につけて公の場に出るにはそぐわない」ということでもあるのです。運営側は、二次元表現と現実のあいだには違いがあることを認識している、ということです。話題にならないところですでに彼らは、二次元の絵のルールと、現実のルール(やキャスト・ファンの感情)とのすり合わせをずっと行ってきている。
 もし今回の批判を無視し、批判する者を嘲笑するに留めるのならば、それはこの作品が今まで行ってきたそうした工夫の営みをも否定するものだとわたしは思います。

・わたしが考える望ましい対応と今後について
 今回のJAなんすんのポスター画像については、いったん公共の場での掲示を取りやめ、スカートの透け(影)とスカート丈の表現修正を行い、再度掲示する、というのがよいだろうと思います。実際の修正をすることで、現在のポスターのどこが問題であるか、ポスター掲示側が把握していることをアピールできるからです。キャラクターや作品の価値とそうした失敗の修正は関わりがないことのアピールにもなり、作品のファンや関係者の側にとってのダメージを緩和できるでしょう。
 今後、作品に関わるすべての画像が同水準に慎重に描かれるべきとは思いません。ファンに向けた場であれば、今回の画像と同程度のものは許されるだろうと思います。
 ただ自分自身の嗜好としては、過去の作品内でみられたいくつかの表現はもう今後は繰り返してほしくないな、と思っています(論旨に影響しないので具体的な例は挙げません)。
 また、一層広い範囲の人々からの支持を集めたいと作品の作り手が考えているのなら、そうした表現の変化も一つの有効な手段だろうと思っています。

 長年『ラブライブ!』『ラブライブ!サンシャイン!!』を楽しんできたにも関わらず、今回のような事態が来るまでは、性的な表現について意見をはっきり言わないできたことを後悔しています。わたしの意見の一貫性のなさを問われる原因でもあります。
 作品のあり方やほかのファンになにかを言う前に、自分の意見を言うことを恐れないようにしたいです。

・より具体的な対策とスタッフへのケアについて
 前項でわたしが希望する「画像の修正」、また今後の作品における表現の変化には、クリエイターやプロデューサーたちが考える拠り所が必要です。
 すでに内閣府地方自治体は、男女共同参画社会を目指すうえで広報活動において注意すべきガイドラインを複数発表しており、こうした資料は非常に参考になるでしょう。
 ここでは北海道のものへのリンクを貼っておきます。

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/dms/djb/johomepage/johoshi.htm
ページ中段「男女平等参画の視点からの公的広報の手引き[H16.2発行]」

 公開から10年以上経過しており、更新されてほしい部分もあるように思いますが、検討のたたき台としては十分と思われます。
 アニメ/漫画表現は実に多様であり、既存の表現や社会通念を越えたものを生み出すクリエイターたちの力は大いに称賛したいものです。彼らに無用な疲弊を与えないためにも、作品のコントロールを行う立場の人間たちは現場の人員を守りながら表現の是非について検証しブラッシュアップを促す努力をしてほしいです。
 2020/02/17現在、ららぽーと沼津からポスターが撤去されたとの情報もありますが、それはJAや『ラブライブ!サンシャイン!!』プロジェクトが批判に対して何を考えどう判断したかのメッセージにはなっていません。画像に問題があったかもしれないしなかったかもしれないがバッシングを恐れて撤去した、というだけでは、それを描いたクリエイターやファンにそうした判断を丸投げしてしまうことになります。判断を現場に任せ、今回の画像を公にリリースした責任を負えていないと言っていいと思います。いまだ事態は進行中であり、JAやプロジェクトから声明や声明の代わりになるような行動がなされることをわたしは強く期待したいです。

・批判派の振る舞いについて
 「批判する側の攻撃性」について複数のコメントをいただいたので、コメント欄で書いたことをもとに追記します。

 ポスターを批判する側の振る舞いについては、三つ考えていることがあります。
 一つは、わたしの観測範囲では、そうした「攻撃的」でない形で批判する人が多数いるということです。Togetterやオタク経由で確認できる「攻撃的」な振る舞い以外に、わたしのTwitterのTLで普段から信頼できる意見(それは表現についての問題以外もです)を表明している人たちが批判していました。
 二つ目は、そうした「批判の仕方がおかしい」という反論はトーンポリシングであり、反論として有効なのだろうか、ということです。
 そして三つ目は、どこまで非「攻撃的」な意見ならばオタクは許容できるのだろうか、ということです。本当に「攻撃的」でない意見ならばそれに耳を傾けて行動し変化できるのでしょうか。それはいつ始まるのでしょうか。

 声優の伊波杏樹さんやららぽーと沼津への「激しい抗議」について。
 Twitter上での極端なリプライについては、まずTwitterの仕組みを用いた防御や、所属事務所のスタッフによるケアが望ましいです。批判者が受けるべき罰については個々のケースによるのでなんとも言えません。
 ららぽーとへの電話ですが、どの程度の「攻撃」だったのか、わたしにはわかりませんので、こちらもなんとも言えません。極端な数や攻撃的な言葉を用いた人がいたのであれば、それは内容に関わらずなんらかの対処(それが公権力を用いたものなのか、どういった方法がベターなのかは恥ずかしながら知識がなくよくわかりません。詳しい方がいたら教えてください)がなされるべきと思います。

 ただし、恐らくみなさん以下でまとめられた事案をご覧になってのことじゃないかなと思うのですが(もしそれ以外にあれば具体的に教えてください)、これは批判派の多くが関わっていることではありません。

https://togetter.com/li/1469873

 もしこれをもって批判派のすべてが否定されるのであれば、例えば、ふだん女性声優さんたちへ浴びせかけられているハラスメントを含んだ男性オタクからのリプライの数々についてはどう考えているのでしょう。あれは一部のオタクのことで、オタク全員が否定されるものではないでしょう。
 批判派のなかで、こうした声優へのリプライは慎もうという空気が醸成されるのは望ましいですが、批判そのものの正当性がすべて失われることはないと思います。

 今後もコメント欄では批判派の振る舞いについての意見が続くかもしれませんが、その話をする前に、まずあなたが、わたしの記事中で挙げる画像の問題点についてどう考えるかを明らかにしてほしい、と思います。出来事のいちばん最初にあったのはポスター画像であり、批判はそのあと生じたものです。先に存在する問題から検証していくのが本筋ではないでしょうか?


・性犯罪と女性表象の関連について
 コメント欄でご指摘がありましたので回答します。
 このテーマについては、記事中の文言に言い切り・断言が多すぎるという批判もありました。今回の更新では、それらの訂正も行いました。

 まず、制服とハラスメント被害の関係については、2019年の以下の調査が参考になります。

「痴漢被害は制服に原因」「女性はTwitterで被害」ハラスメント実態調査
https://www.businessinsider.jp/amp/post-183657

 以下では報告書がpdfで確認できます。

#WE TOO JAPAN
公共空間におけるハラスメント行為の実態調査
http://7085aec2289005c5.main.jp/assets/doc/20190120_harassment_research.pdf

 制服を着た女性の受けるハラスメント被害は私服時に比べて非常に多いことが確認できます。
 いっぽうで、被害者の着用するスカートの長さは被害の多さには影響しない、という結果も出ています。
 現実のスカートの長さは性犯罪には関係ないのに、なぜポスターのなかのスカートの長さは気にするのか。
 これは、性犯罪を受けた女性への評価を左右する可能性があるからです。スカートが短く、身体のラインがはっきり示された格好の少女を公共空間で提示することで、それを消費することを是認するのではないか、ということです(そもそも、女性に限らず、広告の絵がそれを見た人にどのような影響を与えるのか?というところまではさすがに遡らなくていいと思いますので省きます)。

 性犯罪を受けた被害者への被害評価と、被害者の社会的な立場や見られ方に相関関係があるのではないか、という議論には長年の蓄積があるようです。こちらの論文にまとまっています。

「性犯罪被害者に対する第三者の非難と心理的被害の過小評価に影響を及ぼす要因 : 被害者の社会的尊敬度と暴力的性に対する女性の願望に関する誤解」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssp/29/1/29_KJ00008931222/_article/-char/ja/

 上記論文で指摘される通り、それらの相関関係には様々な見解が示されており、まだまだ大いに議論の余地はありそうです。
 とはいえ内外の複数の研究の対象になっているほどには問題がありうると認識されており、やはり社会のなかの女性表象については慎重であったほうがよい、という意見をわたしは持ちます。

・わたしが意見を表明することの妥当性について
 『ラブライブ!』シリーズやわたしの好きな『Fate/Grand Order』、その他諸々のコンテンツには今回のポスター以上に性的な表現があり、それを消費するわたしはポスター批判ができないのではないか。
 繰り返しになりますが、わたしは今回のポスターが作品の外へ向けたものだから問題視しています。作品内の表現は問題にしていません。
 とはいえ、わたしがそれらの作品のなかの女性を性的に消費していることは確かです。わたしのなかでは公共空間での消費と私的空間での消費は別と切り分けていますが、話はそう単純ではないかもしれません。

 逆に、女性のかたから、ポスターや女性の身体表現を問題視するにはあたらない、というご意見もいただきました。それを男性であるわたしが意見するのはおこがましい、というものです。これも一理ある、と感じます。

 ではなぜわたしはこの記事とポスター批判そのものを撤回しないのか。
 前述のwe tooの調査結果のなかで、「公共空間における行動に対する評価は男性に比べて女性の方が「不快」とするものが多い」という部分があります。
 わたし(男性)が思う以上(項目によっては快不快の男女差は二倍以上あります)に、男性の自身の振る舞いへの認識には甘いところがあるのではないか。ハラスメントについての問題提起を行う理由は十分にある、と感じます。
 わたし自身とその記事には多数の瑕疵があるでしょうが、それでもそのギャップを埋めるための足しになると考え、ここで語った本論の撤回はしません。もちろん、いままで行ってきたように、いただいtご意見をもとに追記や更新を行うのが前提のことではありますが。

 なお、FGOについては、公共空間での広告において性的な表現があったのではないかというご指摘もいただきました。そのキャンペーンは記憶にないのですが、当時の自分はまだそうした広告の問題を理解しておらず、スルーしてしまった可能性も高いです。
 今後は自分の好きな作品がそうした問題を抱えていないか、今回の件と同等の問題意識をもってチェックしていきたいと思います。

♪♪♪

 とりあえず、今お伝えしたいことは以上です。
 『ラブライブ!サンシャイン!!』のファンが今回のことについてどう振る舞うかは、もちろんその人個人個人に委ねられています。
 でもできれば、女性が活躍するこの作品のファンとして、いままで書いてきたような、女性とその身体の表現についての諸々の問題がこの世の中には存在し、それによってさまざまな抑圧を受けている人が現実にいることについて、少しでいいから考えてほしい。
 そういう問題が存在するからといって、『ラブライブ!サンシャイン!!』を楽しむことが許されないわけではありません。今まで通り、オタクらしく、のびのび楽しんでいいと思います。
 でも、作品が社会と触れる接点においては、そのことを慎重に考えたほうがいいのではないでしょうか。

 誰かが歌った歌を、遠くの誰かが聴いていたかもしれない。そういう理想で始まったこの物語を楽しむあなたが、「遠くの誰か」が考えることについて思いを馳せることができないわけがない、とわたしは思いたいです。


2020/02/17追記:注4の変更を行いました。また、本文中で「オタク」と「ポスター擁護派」が同義になってしまっている箇所について、前者から後者に言葉を変更しました。「オタク(作品のファン)=ポスター擁護派」「非オタク=ポスター批判派」ではない、ということを再度強調しておきたいと思います。

2020/02/17 12時追記:「・わたしが考える対応と今後について」の項目を追加しました。

2020/02/17 22時 「・より具体的な対策とスタッフへのケアについて」の項目を追加しました。

2020/02/18 7時 「・批判派の振る舞いについて」の項目を追加しました。

2020/02/19 8時 「・性犯罪と女性表象の関連について」「・わたしが意見を表明することの妥当性について」の項目を追加し、本文も論旨に大きい影響がない範囲で文末の断定などを修正しました。

*1:言わずもがなですが、今回の件の批判派・擁護派がイコール女性・男性となっているわけではありません。擁護する女性もいるし批判する男性もいます。ここで男女のことを持ち出したのは、よくそういうふうに「女の味方して好かれたいからだろ」と言う男がいるから、というだけです。

*2:実際にはあれは「透け」ではない、描き手は透けを意図していない、という意見もあり、わたしはその見方が妥当だと思いますが、繰り返す通り今回はオタク文化以外の受け取られ方を重視すべきだと思うので、「透け」と「影」を併記します。

*3:もちろん、それと並行して、男性たちも国家権力や村社会、家族のなかで「若い男性はこうあるべきだ」という圧力のなかとても辛い思いをしてきました。どっちも辛かったし、今も辛い。

*4:2020/02/17追記:この段落は注として書いていましたが、記事を読んだかたの意見を参考に本文に組み入れました。その際一部文章を変えています。

*5:赤十字との献血キャンペーンポスターはぎりぎりのラインだった、と個人的には思います。確かに身体のラインの強調や透けに見える部分がありますが、制服でないこと、また色味・描線の違いが印象を変えていることが反応の違いを生んだのではないかと思います。また、今回のJAのキャンペーンは、ネットメディア等で献血キャンペーンよりも広く世に広まったことも大きかったでしょう。結果としてそれはダブルスタンダードに見えてしまうかもしれませんが、その点をもって批判派が非論理的であると言うのは難しいように思います。べつに彼らには世の中のすべての表現をチェックする義務はないからです。と同時に、たまたま目に入った表現に対して意見する自由は誰にでもあります。それを投げかけられたのが社会のなかで経済活動を行う企業なのであれば、企業はそれに対して対応を行う責任は負うでしょう。

*6:なかには、オタク文化全般の否定を企図するような批判者も存在します。そうした人々への怒りをおさめるのは難しいことですが、今後、広告でない場での表現に彼らがバッシングを行ったときに、それはおかしい、と声をあげるしかないのではないでしょうか。少なくとも、ポスター画像への批判とは違う議論として明確に切り分けて話をしたほうがよいように思えます。