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こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

『はだしのゲン』はなぜみんなに読まれているのか

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

 松江市教育委員会が、管轄内の学校図書室にある中沢啓治はだしのゲン』を小中学生には過激すぎるとして閉架扱いにしたことが話題になっている*1

 少し驚いたのは、この件に関してネット上の反応が均一なことだ。『はだしのゲン』=「学校図書室に必ずあるもの」「誰でも一度は読んだことがある漫画」という前提で話題が盛り上がっている。
 そもそもこの漫画がここまで親しまれているのはなぜなのだろうか。


■『はだしのゲン』受容の経緯
 まずはWikipediaを眺めてみた*2
 『はだしのゲン』の発表がはじまったのは1972年。あの『週刊少年ジャンプ』誌上でのことである。
 そこそこの人気・評価を得つつも、「沖縄返還後の米軍問題で揺れる当時の社会状況を受け、「週刊誌は1週間で店頭から消えるが、単行本になるとずっと残る」として集英社が単行本の発刊を躊躇し」、汐文社から単行本が発刊されたのが1975年。
 現在の汐文社*3は、学校図書館向けの科学・学習・平和関係の書籍を中心に刊行している出版社のようだ。1975年の刊行書籍を眺めてみると、白土三平の漫画や、歴史、同和問題を扱った書籍が多い。
 この単行本が、大江健三郎によって岩波の『図書』誌上で賞賛される。大江が40歳、すでに『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』を刊行したあとのことだから、左派文化人としては不動の地位を築いていたころだろう。
 さらにWikipediaによれば、同時期『はだしのゲン』は「生協の販路にて「良書」として紹介され」た。生協というのは言うまでもなく左派的組織だ。
 『はだしのゲン』は大江と生協によって、思想面・販売経路面の双方向から、学校教育に関わる人々に到達した。

 その後『はだしのゲン』は『市民』『文化評論』『教育評論』と三つの媒体を転々としながら発表されていく。
 『市民』については調べられなかったのだが、『文化評論』は日本共産党、『教育評論』は日本教職員組合日教組)が刊行母体の雑誌だ。連載終了は1985年。

 というわけでもうはっきりわかっていただけたと思うが、発表開始から80年代まで、『はだしのゲン』は日教組を中心とする教員たちに広くプッシュされていた。そりゃ全国の学校図書室に並んでいるわけである。

■陣取りゲームの結果としての図書館蔵書
 作品の質や、読者に何をもたらしたかといった点は別にして、兎にも角にも『はだしのゲン』は政治的な色合いの濃い巨大組織によって、日本全国の図書室に紹介された。
 松江市に同作は「間違った歴史認識を植え付ける」として撤去を陳情した人のように、日教組を目の敵にするたぐいの人からみれば、これはもう日教組の「悪行」以外のなにものでもないだろう。

 ぼく個人としては、かつて自分が親しんだ図書館の蔵書が、歴史や思想史の大きなうねりの結果、思想をめぐる陣取りゲームの結果として形作られていたということを知って、ちょっとした感動とニヤニヤ笑いを抱いた。どんなところにも政治的闘争ってあるんですねえ。

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

 件の陳情氏を糾弾するとすれば、撤去を求めた点を責めたい。撤去ではなく、自分の信じる思想をあらわした本を学校に寄贈すればよかったのだ。それでこそフェアな陣取りゲームというものである。

 今回の松江市教育委員会の「子供に読ませるには過激だからダメ」という判断は、『はだしのゲン』が勝利を得てきた陣取りゲームの政治的文脈からはまた異なる分野でのものである。
 それに対して、表現の自由の議論や、子供とフィクションの関係についての議論からの批判がなされている現状は当然とは思う。しかし、ここで起きていることがまた新たな陣取りゲームなのだとすれば、教育委員会の判断を批判するだけではゲームに勝てないとぼくは思っている。今回の「敵」は、稀少化した子供をめぐる親・教育者と、表現者とのゲームなのだ。

 こういう呟きをしたのも、『はだしのゲン』を神聖化するより、いっそそこで起きているゲームのルールに則ってフェアな戦いを続けるべきではないか、という感情によるものだ。

■そういえば『三国志』ってなんだったんだ
 そういえばぼくは、『はだしのゲン』よりもっと過激な漫画を小学校の図書室で楽しんでいたのであった。横山光輝版『三国志』である。

三国志全30巻漫画文庫 (潮漫画文庫)

三国志全30巻漫画文庫 (潮漫画文庫)

 詳細はすでによく知られていると思うので省く。いったいなぜあの漫画が学校に置かれていたのだろうか。あの漫画から、たとえば歴史の重みや戦争の悲惨さといったものを受け止めることは不可能ではないだろうが、しかし同時に他の余分なものも多く受け取ってしまいそうである。

 きっと『三国志』受容の歴史には、『はだしのゲン』以上に複雑ななんらかの陣取りゲームがあったに違いない。そういえば『三国志』の出版元は創価学会系の潮出版である。金持ち揃いの創価学会員がどんと購入しては寄贈しているのか? しかしあそこの教えと三国志とがどう結びつくのか? 謎は深まるばかりだが、さすがに面倒になってきたのでこれ以上は調べない。知っている人は教えてくれると嬉しいです。