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こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

ささやかな謎の人・高海千歌のこと/『ラブライブ!サンシャイン!!』とAqoursを考える・その9

ラブライブ!

涙の理由

(暗い舞台に、Aqoursたちの言葉が響いている。色鮮やかなサイリウムが客席でうごめく。)

伊波杏樹高海千歌「わたしたち、本当に本当のスクールアイドルとして、ステージに立つの! その名も…せーの、『ラブライブ!サンシャイン!!Aqoursスペシャル課外活動 みんな準備はできてるかい? せーのでSUNSHINE!』」

(『君のこころは輝いてるかい?』が流れるなか、Aqoursの九人が登場する。
伊波杏樹、客席を見るなり口元をおさえて後ろを向く。逢田梨香子斉藤朱夏が順に気づいて彼女の肩を抱く。小林愛香と降幡愛も同じように口元をおさえ、後ろを向きながら歩く。やがて9人が舞台前面に並ぶ。
斉藤、伊波を含む全員を立ち位置に促す)

斉藤「さー、出て出て! (客席に向かい)ありがとうございまーす!」

(伊波が泣いているのに気づいて)
鈴木愛奈「やめてよー!泣いちゃう!」
小宮有紗「大丈夫ー?」
伊波「みなさーん!こんにちはー!!」

(客席「こんにちはー!!」)

伊波「ありがとー! ...びっくりしたー!」

(びっくりしたー!、と連呼する伊波の涙のあとや前髪を整える逢田。すーはー、と息を整える伊波を励ます斉藤)

伊波「すごいよ。9人はじめてそろったイベントに、こんなにたくさんのひとに迎えてもらえるって思ってなかった」
みんな「ありがとうございまーす!」
伊波「ごめんなさいね、びっくりしちゃって」
斉藤「大丈夫?」
小宮「千歌ちゃん、落ち着いた?」
伊波「落ち着いた!よし!みんな揃って、初めてだよ、9人――」


(『ラブライブ!サンシャイン!!Aqoursスペシャル課外活動 みんな準備はできてるかい? せーのでSUNSHINE!』*1

  

 2016年1月11日に行われたAqoursのファーストシングル発売記念イベントは、伊波杏樹さんの涙によって幕を開けました。
 その場の伊波さんの発言によれば、その涙は、会場につめかけたファンたちの姿を見てのことだった。言葉を補えばそれは、自分たちがどのように受け入れられるのかという不安が、満員の観客からのサイリウムと歓声によって和らいだ感動、といったようなことだったのでしょうか。
 このような反応は、斉藤朱夏さんをはじめとする他のキャストからも、当日のイベント中や、その後のインタビューでたびたび語られているところです。

 ところがこの約一年後、ファーストライブの前の週、伊波さんはこのようなことを語っています。

(次週行われるファーストライブに向けて三人が話している)

小林愛香「いやーもう泣かないように気をつけようってわたし思ってる。ぜったい泣かない」
伊波「泣くより、笑う、じゃない?きっと。笑顔な気がする!」
小林「いや、嬉し泣きってあるじゃん。嬉しすぎて泣いちゃう……」
小宮「最初のときもそうじゃなかった、あいきゃん」
小林「いや、わたしたち泣いちゃったんだよね、嬉しすぎて」
伊波「いやあれは理由があるから!」
小林「なになになになに」
伊波「あれは言えない」
小林「わたしだってあるよ!」
伊波「理由があるから。もー」
小林「なんの理由がなくて泣いてるのわたし」(注:わたしだって理由なしに泣いてるわけないよ、の意)
小宮「ちょっとやばい人だよ」
小林「はー」

 

(『ラブライブ!サンシャイン!! Aqours浦の星女学院RADIO!!!』2017年2月21日更新回)

 

 ええっ、あの涙には、口にされなかった違う理由があったのか。わたしはラジオを聴いていて驚きました。
 ファーストシングル発売記念イベントの映像を確認しても、やはり伊波さんは会場の光景に感動して涙を流しているように見えます。
 恐らく、その場で語られた、会場の光景に驚いたという感想は真実でありつつ、他にも彼女の感情を揺さぶることがあったのでしょう。
 「あれは言えない」と伊波さんがはっきり言っている以上、ファンのわたしはそれを推測することしかできません。Aqoursとしての最初のイベントで流された伊波さんの涙には、こうしてささやかな謎が付け加えられることになりました。


わたしが涙から得るもの

 女性アイドルを追いかけている身にとって、涙というのはとても大きな意味を持ちます。
 か弱いアイドルが、自分の身の丈以上の大舞台で懸命にパフォーマンスするなかで、喜びの、あるいは苦しみの涙を流す。
 一般的に涙というものは、理性では制御ができない、その人の本当の心のさまをあらわす感情表現として受け入れられています。それゆえに、ライブなどの場で流されたアイドルの涙は、激烈な反応をファンに呼び起こす。ファンはアイドルの涙を見て、強い共感を抱き、彼女の真情が理解できたという喜びを得る。


 『ラブライブ!サンシャイン!!』のアニメ本編においても、キャラクターたちが涙を流すいくつかの場面はとても強い印象を残します。
 特に、第8話『くやしくないの?』では、本当の心を示すものとしての涙がクライマックスに配置されています。
 伊波さんが演じる高海千歌は、東京のイベントで大きな挫折を経験しながらも気丈に振る舞います。「だってわたしが泣いたら、みんな落ち込む」から。明るい素振りをみせる彼女に、千歌の親友である渡辺曜は、「くやしくないの?」と尋ねます。その笑顔は本当にあなたの心を示しているのか、と。
 イベントから一晩明けた翌朝、地元・内浦の海辺で、千歌は「やっぱりわたし、くやしいんだよ」と打ち明け、涙を流します。それを見守る友人の桜内梨子は、「よかった。やっと素直になれたね」と歓迎する。


 ここで梨子がいう「よかった。やっと素直になれたね」という言葉は、わたしがアイドルの涙を見たときの気持ちのある側面を代弁してくれています。
 ステージ上で圧倒的に輝き、わたしとはまったく異なる世界に生きているように見えるアイドルが、自分と同じように涙を流している、ということの驚き。涙を通じて、彼女の感情を共有できた喜び。アイドルは涙を流すことで、一瞬、舞台の高みから客席へと降りてくれている――そのようにわたしには思える。


 このように、アイドルの涙は、舞台と客席の距離や、演技・虚構と真情・現実の垣根を越えて、アイドルの心をファンの前にあらわにする――そのようにわたしは考えて、感動します。
 しかし実際には、涙はアイドル個人の心だけを反映するものではありません。場の空気や、社会的な制度を大いに反映する*2。涙を求めるファンの欲望が、アイドルに影響を与えることもある。優れた俳優たちが示すとおり、自身の「本当の」感情とは切り離した涙を流すことも可能でしょう。
 あるいはもしその涙が彼女の真情を表していたとしても、そのような、彼女の心を直接世界に表してしまうような危うい感情表現を、公にしていいのか。ましてやそこから、感動を汲み取っていいのか。どんなに「尊い」とあがめ、持ち上げてみたところで、アイドルの涙を見るという行為に含まれる暴力性を否定することはできない、とわたしは思う*3


 ファーストイベントの涙に、明かされない理由があると伊波さんが語ったとき、わたしが最初に感じたのは寂しさでした。涙を流す姿を見たことで、わたしはあの瞬間の伊波さんの感情を共有できたと思っていたのだけれども、誰とも共有されない感情も伊波さんのなかには存在した。
 冷静に考えれば当然のことなのですが。

 そして、伊波さんのことをわかったつもりになっている自分の無頓着さへの失望もまた、わたしのなかに寂しさとしてあらわれたのでした。


千歌の謎

 アニメの1話から前述の8話まで、千歌はその豊かな感情表現と台詞の数々で、見るものにその感情を伝えてきてくれました。
 1話での「普通怪獣」というすばらしいキーワードは、μ'sを見送った「普通」なわたしの心を強く掴んでくれた。
 3話、「今までのスクールアイドルの努力と、町の人たちの善意があっての成功」のおかげで今のAqoursは成立するのだと諌めるダイヤに対して、堂々と言い放つ「でも、でもただ見てるだけじゃ始まらないって。うまく言えないけど/今しかない、瞬間だから/だから、輝きたい!」という台詞から伝わる、どうしようもない欲望と憧れの強さ*4
 そして、挫折を乗り越える8話、親友となった梨子のために、スクールアイドル活動を犠牲にすることを決める10話、μ'sを追いかけるだけではない自分たちの道を見つける12話……。印象深い場面を引用していてはきりがないほどに、彼女は自分の気持ちを口にし、行動します。


 とはいえ一方で、彼女の言動には飲み込みづらいところも多々あります。
 11話『友情ヨーソロー』で渡辺曜の自宅を訪れた千歌の表情はなにを物語っているのか? 13話『サンシャイン!!』で、いともあっさりと同級生を受け入れてしまう千歌のオープンさはどこからくるのか。『MIRAI TICKET』の最後、一人走り去ってゆく千歌はなにを見ているのか(その直後、浜辺で九人揃うとはいえ、大いに不安をかきたてる情景でしたよね)。
 極めつけは、13話、母親との会話のなかでほのめかされる過去のことでしょう。かつて千歌は、なにかを道半ばでやめたことがあった。「普通怪獣」であった千歌が生きてきたなかで、普通でないなにかに挑戦し、諦めたという過去は、とても重要なことのはずです。けれども、その事実は、アニメ最終話に至るまで明らかにされることはなかったし、詳しいことは伏せられたままです。あのシーンでも、わたしは寂しさをおぼえた。


 ところが、これは矛盾した言い方になってしまうのですが、そのような、謎をひめた姿を垣間見たからこそ、わたしは千歌を親しく感じもする。
 これらの千歌の謎を感じる場面は、アニメシリーズ後半にあることに注目しましょう。シリーズ前半から中盤で、彼女への共感を抱いたあとでこれらの謎は示される*5。それらの謎は、千歌の共感・理解と逆のベクトルにあるものではなく、共感・理解と同じ方向の先、キャラのより深層に潜っていくなかで出会うものなのではないか。
 家族や級友など、長く付き合って、もう十分に理解したと思っていた人のなかに、想像もしなかった一面を発見して驚く、という経験をした人は多いと思います。いわば、千歌の謎はそのようなものではないか。普通怪獣としてわたしの心をつかんだうえで、徐々にその奥にあるものを垣間見せてくれているからこそ、わたしはそこに不可解さを見出すのではないか。


 まあ、これもまた「本当の」感情を探す、きりのないゲームの新たな階層であるに過ぎないのかもしれません。
 アイドルあるいはアニメのキャラクターの真情はどこにあるのか? その追跡は、たまねぎを剥くようにきりがなく、最終的には無に至らざるをえないのかもしれない。
 しかしおそらく、すぐれたアイドル/キャラクターとは、受け手の予測を越えた謎を常に投げかけてきてくれるものなのです。


目のくらむような

 2月25・26日に行われたAqoursのファーストライブで、伊波杏樹さんが演じた高海千歌という存在は、伊波さんの演者としての「成長」であるとか、他キャストとの「絆」といったものを体現してはいました。けれども、そうした言葉だけで理解できる存在でもなかった、とわたしは思う。
 13話の寸劇を再現するパートを初めて観たとき、わたしは立っていられなかった*6。様々な理由があるとは思うのですが、一番大きかったのは、昨年の13話放送終了後からずっと13話のことを考えて、高海千歌のことも考え、それでも(と、これもごくごく当たり前のことですが)そういう自分の考えとか経験とはまったく切り離されて、確かな存在として「高海千歌」が舞台のうえに生きている、ということの不可解さみたいなものに打ちのめされたからだったのだと思うのです。
 観ているわたしの予断とか期待とかいっさいを切り捨てて、高海千歌はあの舞台に立っていた。


 謎、というとネガティブな印象がありますけれど、たとえばすぐれたSFを評価する言葉としての「センス・オブ・ワンダー」だとか、『KING OF PRISM』の一条シンくんがいう、未知のものに触れたときに感じる「輝き」*7という言葉に言い換えてもいいのかもしれません。
 昨年からAqoursの9人について一人ずつ長文を書くということをずっとやってきてわかったのは、それはわたしの無能さゆえのことでもありますが、Aqoursは、そしてフィクションの登場人物というものは、いくら掘っても掘りきれない、ということでした。
 伊波さんの、ファーストイベントの涙についての発言を聴いていらい、そして先月の圧倒的なファーストライブを観ていらい、どうもわたしは自分のなかから前述の寂しさを追い出すことができないでいます*8
 でも一方で、たとえばニコニコ生放送やラジオで触れるAqoursや伊波さんの姿は、これ以上にないほどにわかりやすくわたしの心を打つ。自分の感情や信念、仲間、作品のことを強く思う言葉や仕草が、疑いなく最高密度のキュートさでわたしの目に飛び込んでくる。それは、ゲームやG's Magazine誌上で描かれる、フィクションの千歌も同様です。
 あるときはものすごく近くて、またあるときはありえないほど遠い*9
 このくらくらする落差こそ、高海千歌伊波杏樹の、そしてアイドルというものの魅力の正体なのかもしれません。
 いまのわたしには、目がくらむような思いをしながら、その落差を見続けるしか術がないのです。

 

 

「ラブライブ!サンシャイン!!Aqours浦の星女学院RADIO!!!」vol.1

「ラブライブ!サンシャイン!!Aqours浦の星女学院RADIO!!!」vol.1

 

 

*1:ラブライブ!サンシャイン!!』ブルーレイ第1巻特典映像より。

*2:直接の引用などはしていませんが、今回の記事を書くにあたって読んだ『文化としての涙』(北澤毅・編、勁草書房、2012年 http://www.keisoshobo.co.jp/book/b105892.html)が面白かったです。卒業式や葬式といった社会的な場での涙や、フィクションのなかの涙などについての分析が、涙を流す(そしてそれを受け取る)という行為の複雑さを明らかにしていて、十分に理解できているとはいいがたいわたしでも、たくさんの刺激を得ることができました。

*3:たとえそれが商品として提供されているとはいえ。

*4:この言葉が好きだ、という件については次の記事で書きました。「千歌が越えた一線と、言葉について/『ラブライブ!サンシャイン!!』3話までの感想を語る」http://tegi.hatenablog.com/entry/2016/07/20/013537

*5:製作の後半になって脚本または演出に不備が生じ、結果として「謎」が生じたという可能性の検討は、きりがないから脇においておきましょう。緊密な事前設計を必要とするダンスパートの存在や、アニメ二期の計画などを考えれば、その可能性は低いとも思います。

*6:ライブビューイングで鑑賞しましたが、客席は総立ちでした。

*7:彼の「輝き」は、千歌のいう「輝き」とはまた少し異なる意味合いを持っていたように思います。詳しくは「世界は輝いている/『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』」を参照ください。http://tegi.hatenablog.com/entry/2016/02/21/225933

*8:だから、訪れれば確実に手が触れられる内浦・沼津という存在が愛おしく感じられているのだとも思います。

*9:その近くて遠い輝きが、徐々に高坂穂乃果に近づいているようで、わたしは余計に寂しいのだと思います。すげー勝手なことだとはわかっているけれども。

繰り返して進んでく/Aqours 1st LoveLive! Step! ZERO to ONE 二日目レビュー

ラブライブ!

 2月26日、南大沢TOHOシネマズにてライブビューイング鑑賞。

 昨日の覚え書きはこちら*1

 

 セットリスト中二曲が異なるだけで、あとは昨日の内容と基本的に同じ構成・演出がとられました。曲だけでなく、曲のあいだのMCすら昨日と一緒。会場の大きさに驚く言葉など、昨日聞いている身からすれば、ちょっと変わってもいいんじゃない、とも思ったのですが、それは今日初めての観客への配慮であり、また、二日間あわせて「Aqoursの最初の一歩目なのだ」というメッセージでもあるのだろうと思われます。そして、この「同じ内容を二回繰り返す」という演出が、ライブが進むに従い、徐々に重要な意味を帯びてきます。


 楽曲が変わった部分を除いて、わたしが最初に気づいた昨日と違うところは、CYaRon!の『夜空はなんでも知ってるの』直前のMCです。サイリウムで「夜空」をイメージした光をともしてみて、というと、観客が主に青の光を灯す。しかし当然、ほかの光や、CYaRon!のキャラクタのイメージカラーを灯す人もいる。その光をさして、たぶん伊波杏樹さんだったと思うのですが、「星になってる!」と言ったのです。そして、その星を繋げて星座がある、というようなことを言った。
 会場の人たちが無意識に取った行動が、ステージ上のCYaRon!からは意味のあるものに見えた、ということです。「星」になれた観客の人、すごく嬉しかったんじゃないでしょうか。わたしはそれを見て、まるで、Aqoursに力をもらったファンが、自ら輝こうとそれぞれの夢を追う様のようだ、と思いました。そして、自分もそのように「星」になれたらいいなあ、とも。


 続くAZALEAのMC、そして観客にサイリウムを使ったアクションを促す演出では、昨日と同じ展開をしつつ、主に諏訪ななかさんが、すでに演出を知って早めに行動してしまった観客にツッコミを入れていく、という変化がありました。他ユニットに比べてさばさばしているAZALEAらしい、クスリとさせられる楽しい変化だったと思います。


 Guilty Kiss、そしてアニメ本編前半の振り返りと『未熟Dreamer』は、昨日と同じ進行だったわけですが、その先の演出を知る観客としては、これから大一番を控える逢田梨香子さんの一挙手一投足が気になって仕方がありませんでした。非常に緊張を強いられるはずの演出を控えつつも、大盛り上がりのギルキス楽曲などをハイテンションにこなしていく姿に、安心しつつもついこちらも緊張が高まってしまう。
 そして、『想いよひとつになれ』です。


 本来は、この楽曲も、昨日と同じものになるはずだった。けれども、逢田さんのピアノ演奏の失敗により、曲をいったん止め、最初から演奏し直すことになってしまう。
 わたしは「ついこの前アデルも同じようなことしてたから気にするな!*2」とか思いながら見ていましたが、ステージ上の逢田さんはパニック状態で、見ていて非常に心配になる様子でした。何人かのキャストが駆けより、笑顔で彼女を抱きしめ、声をかけ、落ち着かせます。時間にしてどのくらい経っていたかわかりません。数分も経っていなかったのかもしれません。そして、逢田さんはもう一度ピアノの席につく。演奏が始まる。
 そこで歌われた『想いよ一つになれ』を、わたしはずっと忘れられないと思う。逢田さんのピアノの音は震えていました。間違いもまた何ヶ所かあった。動揺していたキャストたちの声も震えていた。
 しかし、その状況は、アニメ本編そのものでした。
 梨子は、ピアノコンクールで演奏ができず、傷ついた心を抱えて東京から沼津へやってきました。その心を千歌たち仲間が癒やし、背中を押して、再びピアノを弾くことを決心させた。逢田さんの思いがけない失敗により、ステージ上にその状態が再現されてしまった。
 ピアノの震える音をカバーするかのように、キャストたちのボーカルに力がこもります。「ふるえてる手をにぎって行くんだよ」「やっぱり君とつながってるうれしいよ」「いまさらわかった ひとりじゃない」。すべての歌詞が、まったく新しい意味をもって、重く、熱く、輝いて響く。ほんといまさらだけど、Aqoursは一人じゃなかったのです。わたしはあらためてそのことに打ちのめされるような感動をおぼえた。
 逢田さんが最後の一音を弾いた瞬間、あの震える指が鍵盤をはじいた瞬間、ただただ息をのんでその指を見、音を聴くしかありませんでした。その音は、昨日と全く同じキーの音だけれども、今日、そこでしかありえない意味をもつ音だった。


 そのあとのMCも、やや驚くべきことに、昨日とほぼ同じ内容でした。いや、まっさきに逢田さんの話をするとか、そういう流れになるだろ、と思ったけど、ならない。頑なに、まずは『未熟Dreamer』についての話、そしてルビィがダイヤに声をかけ、という流れを守る。でもそれは、たぶん、逢田さんが落ち着く時間を作るためには正しかった。そして、トラブルについて逢田さん自身が喋り始めるためにも。あの、楽曲終了後のMCは、今日聞いた人からすれば、あまりに「台本どおり」という印象で違和感があったかもしれないけれど、逆に昨日一度聞いていた身からすると、逢田さんのために懸命に大勢を立て直そうとするみんなの意思が透けて見える、これまた熱いものに感じられたのです。


 トラブルの余韻を心地よく冷ます『待ってて愛のうた』ののち、アニメ本編後半のダイジェスト、そして13話・地区予選の再現が行われます。

 あくまでわたしの印象ですが、昨日、地区予選の場面は、多くの観客に好意的に受け入れられていたように思います。あれだけアニメ放送時に非難されていたことを、再び繰り返しただけにも関わらず。
 でもそれは当然です。アニメを観るときと、ライブを観るときの観客の気持ちはまったく異なる。ライブのときの観客は、ステージのうえに、虚構のAqoursが現実化していてほしい、という気持ちで観ています。だから彼女たちが行うことを、率先して信じ、支持しようとする。13話のあの表現を、アニメとしては受け取りづらかった人も、ライブとしては受け取りやすかった。
 昨日書いたとおり*3、そして昨年書いたとおり*4、わたしは13話のことを、その表現単体で好きだと思っています。だから、「13話の抱えていた欠落を今回のライブが埋めた」とは自分の口からは絶対言いたくない。けれども、そういうふうに受け取る人がいるのはわかる。また、おそらくは自身も賭けだとわかってあの13話を提示し、結果としてネット上で強い反発を受けてしまった酒井和男監督が、昨日のライブにおける大成功をうけてようやく「今夜の彼女達のパフォーマンスでやっと13話が完成した様な気持ち」と発言された*5のも、すごくわかる。本当、つらかったんだろうと思います*6
 だから、あの地区予選のシーンを、結果として受け入れられた人が増えたことはとても嬉しい。

 でも、今日はまた状況が変わっていた。昨日のライブのなかの地区予選シーンは、当然ですが、観客にとって未知のものとして演じられました。しかしおそらく昨日のライブで観て、あるいはネット上で情報を見聞して、今日のライブに挑んだ人たちなのでしょう、そのシーンに差し掛かると脱力した姿勢になり、嘲笑といっていい笑いを漏らす観客が複数いた。未知の驚くべきものとして提示された昨日の地区予選シーンとは異なり、すでに知っているものとして行われはじめた今日の地区予選シーンには、そういった、もともと13話に批判的な人たちを乗り越えるような力はなかった。残念ながら。


 でも、ここでも、逢田さん/梨子が変化をもたらしました。ピアノに挫折した梨子が放つ言葉には、今日は、ついさきほどピアノに失敗した逢田さんの経験という非常に思い意味が新たに込められることになった。そのせりふから感じられる重さは、昨日より確実にましていたとわたしは感じました。彼女のせりふのあとで、前述のような笑いがもれることはもうなかった。


 繰り返しになりますが(だってこの原稿自体が繰り返しについての話なんだからしょうがないじゃん!)、わたしは13話の地区予選シーンが、人が演じることの意味や、いま・ここにある自分でないものになろうとすることの困難さと美しさ、そして人が演じることを観ることで観客にもたらされる変化までを描こうとしていて、本当に好きなんだけれども、今日は、「沼津にやってきたばかりの挫折した梨子」+「を再び演じる、すでに成長した梨子」+「を演じる、声優逢田梨香子」+「がかつて演じた梨子を、自らつい先さほど大きな挫折を経験し、そこからふたたびたちあがってみせた逢田梨香子」が演じている、という、何重もの演技/意味の重なり合いが生じていて、その複雑さと重みに心底喜びを感じるほかなかったです。


 渡辺曜について書いたときにも思ったんですけど*7、『ラブライブ!サンシャイン!!』には、複数のメディアを使って、μ'sと同じスクールアイドルの物語を再び語り直す、ということで、表現の繰り返しの面白さであったり、その中のちょっとした差異から生じる喜びであったり、それらの差異を読み取ることで浮かび上がる作品の意外な面であったり、がたくさん生じています。
 昨日・今日と、非常に似た、しかし決定的に違うふたつのライブを、どちらも心から思いっきり楽しんで、その「繰り返し」がもつ素晴らしさを改めて感じました。たぶんそれは、わたし自身がつまらないと感じる「普通」の生活の繰り返しのなかからも、千歌のような楽しい輝きを生み出せるかもしれない、という希望にもつながっている。
 なんて素敵なものを見せてくれるんだ、Aqours。やっぱり大好きだ。


 ライブの最後には、セカンドライブツアー、多数の楽曲リリース、そしてアニメ二期の放送が発表されました。
 個人的な感覚としてはアニメ二期はまだ早いんではと思っていて、すごく不安はあるんですけど、いや、こんなすばらしいライブを見せられたらとりあえずは、今夜は、今夜だけはこう叫んで信じてもう寝ます。そう、「ダイスキがあればダイジョウブさ」!

 

 

*1:Aqours First LoveLive! 一日目おぼえがき http://tegi.hatenablog.com/entry/2017/02/26/015922

*2:先日のグラミー賞授賞式で、あのアデルが自分の歌唱に納得がいかず曲の途中で演奏をやめもう一度やり直す、というハプニングが起きていました。でも、それが昨年亡くなったジョージ・マイケルへのトリビュートという非常にアデル自身が思い入れをもっている演奏である、という背景をくみとった観客もそれを暖かく受け入れ、やり直された演奏は結果として非常によいものになった。エンターテイメントの総本山たるアメリカの、しかもグラミー賞の授賞式ですらそういうことはありうるし、許容されうるんですね。

*3:Aqours First LoveLive! 一日目おぼえがき http://tegi.hatenablog.com/entry/2017/02/26/015922

*4:「わたしたち」から「君」へ/『ラブライブ!サンシャイン!!』13話のこと http://tegi.hatenablog.com/entry/2016/10/05/012803

*5:https://twitter.com/okazuon/status/835498979987087360

*6:わたしは、表現としては完成していたけど、ライブが橋渡しして観客に届けきって、観客が受け入れたことで新たな「完成」をみた、というような意味で監督は件の発言をしたのではないか、と思っています。

*7:「繰り返す人」渡辺曜のこと/『ラブライブ!サンシャイン!!』とAqoursを考える・その7 http://tegi.hatenablog.com/entry/2017/02/25/095729

Aqours First LoveLive! 一日目おぼえがき

 いずれきちんと書きたいと思いますが、覚書として。

 南大沢TOHOシネマズにてライブビューイング鑑賞。

 

・構成
 正直なところ、序盤のほうのアニメ(アイコンのキャラクターがしゃべるもの)は、いまいちかなー、と思いながら観ていた。あのアイコンが、実は3Dで作ってあってかなり動いているのはむちゃくちゃかわいいけど、ドラマCDのノリをアニメ本編を模した感動的なライブの場でやられても、という。
 でも、二本目のほうで、強引ながらも沼津と新横浜の接点を見つけ、地方の女の子たちがまた違う地方にやってくることで発見される面白さ、いわば寅さんが全国各地を舞台に毎年作られていたことの意味みたいなものが最後の最後に急速に立ち上がっていて、あっ、やっぱいいですこれ、すごくいいです、という気持ちになった。

・アニメ本編との接続
 アニメ本編をキャストたちが演じ直す、という演出は、予測されたものではあったけれど、よかった。
 個人的に、強く強くこだわりのあった13話の地区予選のパートが、真正面から演じ直されているあいだ、ぼくは打ちのめされて座席から立てなかった。
 それは「アニメが現実に再現されている」ということから生じる喜びでもあったのだけれど、それだけじゃなかった。酒井和男監督がTwitterで、あの演出によってようやく13話が完成したとおっしゃっていて、それは確かにそうだしもう監督大好きだ、と思ったんだけど、いやそもそも13話はきちんと完成していたんだよ、そのうえで今日演じ直されたことでまた新しいものが生じたんだよ、と思う。
 ぼくは13話の寸劇のパートには、人が何かを演じることの尊さみたいなものが込められていると思う。Aqoursはμ'sのあとを追いかけて、μ's的なスクールアイドルを演じている。そのAqoursを、声優さんたちが演じている。劇中で、Aqoursはふつうの浦の星の生徒たちに一緒に輝こうと呼びかける。
 人はなぜ演じるか。いま・ここ・わたしでないなにものかになるためだ。そういう人間のもつ欲というか、希望というか、そういうものが、アニメと現実とがクロスすることで前面にわきあがる、それが13話のあのシーンの価値のひとつなんだとぼくはおもう。
 今日のライブで、Aqoursが演じたことを、ふたたびまたAqoursが演じ直したこと。そしてなにより、その、演じる人々が、確かに演じた対象になっていた(演じきれていた)こと。ファーストシングルの発売イベントで、伊波杏樹はただ一人その「演じきること」のとっかかりまで至れていたとおもう。今日は九人全員が、演じきっていた。
 最終的には、演じられる対象と演じる主体が溶け合って、ただ、たしかにそこに、Aqoursがいる、としか言いようのない空間があった。

 あの演出をもって、じゃあ13話はこのためだけの踏み台なのかよ、という批判もありそうな気がする。でもそういうことじゃないんだ、とあらかじめ言いたい。繰り返しになるけれど、13話は、アニメは、それ単体できちんと完結していたと思っている。だから、欠けたものが埋められたというよりは、また新しいものが生み出された、という文脈で評価したいです。

・衣装について
 意外にも、もっとも美しいと思ったのは『夢で夜空を照らしたい』の衣装だった。演出もふくめ、ただただ美しかった。
 肉体的に美しいと思ったのは(とか書くとずいぶんいやらしい文章にみえるが)小宮有紗さんだった。AZALEAの肩出しとか、各衣装の生足とか、あれ、いかん、いかんよそれは、とか思っていた。ほんとむり、美しすぎた。
 あと、ユニット曲あたりまでの、ブーツがなんだかひどくかわいかった。いや、けっこうシンプルな、黒のブーツだったと思うんだけど、サイズ感がすごくよかった。あんまり甘すぎない感じも。

・パフォーマンスについて
 全員がうまくなっていた。というかまだまだ余裕だったんじゃないすか。確実にみなさん成長されていて、ああ、努力ってすげえなあ、と思った。
 びっくりしたのは、ダンス非経験組で、とくにCYaRon!において、あまり身体を動かせるイメージのない降幡さんが、ダンス&演劇の猛者であるふたりに挟まれながらもいい動きをみせていたさまが印象に残った。
 とはいえ全員が軒並み底上げされているので、斎藤朱夏さんは身体のキレとかは当然として感情を伝えてくるほうに力点がおかれていて、『夜空はなんでも知ってるの』の、センターステージで一人舞う姿は、ぜんぜん別作品で恐縮ですけども、『蒼き鋼のアルペジオ』キャラソン『Word』を歌い踊る山村響さんを思い出してしまった。まさか斉藤さんにあんな方向で感動させられるとは。ダンスってすばらしいなあと改めて思った。ほんと恐ろしい子

・まとめ
 シングルCDから一年経たずにテレビアニメが放送。最初のライブが横浜アリーナ。ぜんぜん「ゼロ」じゃないじゃん、というつっこみには一理ある。あるのだけど、今日ぼくは、そのようなAqoursであっても絶対にゼロにならざるをえない瞬間があるのだ、と思い知らされた。それは、アニメ本編がうつしだされるなか、そのなかに一瞬でもμ'sの姿が含まれたときに客席から圧倒的な感想が巻き起こる瞬間だ。完全になにもないゼロというよりは、プラスにして積み上げたものが、まだまだ先駆者からみれば相対的にごくごく小さいのだ、と突きつけられてしまう意味での、ゼロ。
 Aqoursはどんどん成長し、新しい情景を見せてくれる。見せてくれるのだけれども、やっぱり原点にすさまじく重いものを背負っていること、確かに彼女たちは「ゼロ」から始めているのだ、ということをぼくは忘れないでいたい。Aqoursは決して恵まれてなんかいない。AqoursにはAqoursの大変さがあるのだ。

 というようなことを感じたうえで、最終的には、むっちゃくちゃ楽しいライブでした。0から1へ進まなきゃいけない、という厳しい状況を、朗らかに歌う『Step! Zero to One』という曲の価値をあらためて強く感じる。
 そう、輝くことは楽しむこと。
 歌に踊りに涙に笑いに、全部ぜんぶひっくるめて、それらすべてのプリミティブな楽しさの詰まった3時間半でした。最高。

「オハラ家の人」小原鞠莉のこと/『ラブライブ!サンシャイン!!』とAqoursを考える・その8

ラブライブ!

 「一匹狼」と鈴木愛奈さんが評する*1通り、小原鞠莉には、一人わが道をゆく、という印象があります。アニメ第1話の謎めいた登場から、彼女と松浦果南黒澤ダイヤの関係が修復される9話まで、彼女は理事長として高海千歌たちから距離を置いた、やや高いところから出来事を俯瞰している。
 彼女の心の奥底には、幼い自分をやさしく受けれいた松浦果南黒澤ダイヤと、彼女たちの暮らす内浦についての美しい記憶がある。アニメの視聴者はその光景の美しさ、尊さを彼女と共有できますが、千歌たちや、学校の他の人々にはそれができません。
 9話の出来事を経て、鞠莉はAqoursに合流します。三年生たちの気持ちや、過去の真相はある程度Aqoursのなかで共有される。けれども、部室でハグし合う果南と鞠莉の姿は誰にも目撃されません(もしかしたらダイヤだけはそれを見ていたかもしれない)。
 グループへの加入が決定的になる瞬間をグループ内で共有できていないということは、強い親密さと引き換えに、ある種の閉鎖性をもAqoursにもたらしている、とも言えるかもしれません。11話でダイヤたちが曜と梨子の加入の順番を勘違いしていたという挿話は象徴的です。だから、曜はシリーズの後半になって一度千歌から離れ、そして関係を結び直すという、Aqoursに加入しなおすような経験を経なければならなかったのかもしれません。
 13話の地区予選で行われるAqoursの過去の再演においても、鞠莉たち三年生の物語はきれいに省略されています。そこには、鞠莉たちの、思い出は自分たちだけのものにしておきたいという欲望すら透けて見えるかもしれない。


 真に大事なものを胸の奥に秘めながらも、いっぽうで、鞠莉は自分の欲望を堂々と露わにします。浦の星女学院を救うために、在学生自身が理事長になるという無茶な方法を取り、学校を私物化する。かつて自分たちが歩んだ道を千歌に辿らせ、スクールアイドル・Aqoursを再び世に出そうとする。千歌たちはほとんどそれに反抗しませんが、見方によってはひどく他人を踏みにじったやりかたでもある、と言えるでしょう。無垢で愚かな人々を操って自分の欲望を達する、ピカレスクロマンの主人公のようでもある。


 ところで小原鞠莉の姓は「小原」ですが、これはO'haraでもありうる。いやいや、公式設定としては父親がイタリア系アメリカ人なんだから、アイルランド系のO'haraってのはないんじゃない?ってのは確かなんですけど。たとえば、鞠莉の父親がこの小説の愛読者で、鞠莉の母親の姓が「小原/オハラ」であることをきっかけに仲良くなった――とか、そういう妄想はありじゃないですか。

 

風と共に去りぬ(一) (岩波文庫)
 

 

 『風と共に去りぬ』は、19世紀のアメリカを舞台にした小説です。書かれたのは20世紀の初めごろ。奴隷制を前提に成り立つ19世紀の白人たちの暮らしを美しく描いたことなど毀誉褒貶も激しい作品ですが、これまた名作と誉れ高い映画とともに、世界中の人たちに親しまれています。
 主人公は、豊かな農園を経営するオハラ家の長女スカーレット。彼女は激しい気性と才覚を武器に、激動の時代を生き抜いていきます。慎ましさこそ美徳とされるような当時の社会に対して、彼女は傲然と言い放つ。

いつか、やりたいこと、言いたいことすべてをやってみせる。気に入られなくたってかまやしない

 そのような人ですから、彼女の人生には多くの波乱が生じます。世間から顰蹙を買ったり、他人を傷つけたりもする。でも自分の欲望の成就のために、彼女はひるまず奮闘します。
 このスカーレット・オハラの姿は、小原鞠莉の姿にそのまま重なります。じつはわたしはまだ『風と共に去りぬ』のごく序盤しか読んでいないので断言できませんが、スカーレットが愛する男たちの姿には、果南とダイヤを重ねられそうな気もします*2

 千歌と梨子の姿にわたしはちょっと『赤毛のアン』を思い出しましたが、もしかしたら鞠莉と三年生たちの造形には、『風と共に去りぬ』が参照されているのかもしれません。(ぼくの推測が当っているかどうかは別として)いつか公野櫻子先生や酒井和男監督が、『ラブライブ!サンシャイン!!』を作るにあたってレファレンス元にしたブックリストやムービーリストを公開してほしいな~と強く思うところです。


 実際に二つの作品に繋がりがあるかどうかはともかく、小原鞠莉は、スカーレット・オハラのごとく、女性ファンの支持を獲得しているようです*3
 そしてそういう彼女たちがみせてくれる痛快さは、もちろん、女性だからわかる・男性だからわからない、というものではない。ままならない世の中で、自分の願いをかなえていく人の物語に勇気づけられたり、応援したくなったりする、という受容は男女問わず行っていることです。女性ファンの支持を獲得するいっぽうで男性ファンの支持はまだまだかなと思われる鞠莉ですが、こうした痛快なキャラクタとしての面に惹かれる人が増えてきたら楽しいし、今後の作品の展開のなかでも、そんなかっこいい鞠莉が見たいなーと思うのです。
 日本のオタク文化における「強い女性」は、現実世界での男女の平等とは切り離されたところで育ってきた歪な概念ではあります。わたしのような男のおたくがぼんやりと「強い女の子っていいよね」とか思ってしまう行為には、非常にたくさんの突っ込みどころが生じてしまう。
 それでも、アニメのなかで活躍する小原鞠莉、そしてそれを演じる鈴木愛奈*4はとてもかっこいいし、もしそのかっこよさを感じている人が他にもいるならその楽しさを共有したい。『ラブライブ!』という作品は、もちろんそのファンの多くは男性ですが、特にμ'sの後期には若い女性のファンが非常に多かったという印象があります。Aqoursもそうであったら楽しかろうし、そこで、Aqoursをめぐって女性も男性も関わりなく、あるいは性差に関わらず個々それぞれの違った視点から、「楽しさ」に関する語りが多数生じたらぜったいに楽しい。鞠莉は、もし彼女が今後さらに活躍してくれたら、そんな語りを次々に生んでいくんじゃないかなあと、そんな期待をもたせてくれるキャラクターだとわたしは思うのです。

*1:ファーストライブパンフレット、鈴木愛奈インタビューより

*2:この小原鞠莉スカーレット・オハラを繋げて考える妄想にあたっては、次の記事が大いに刺激になりました。未読者が『風と共に去りぬ』に対して持っている思い込みをはらして、「お、おもしろそー!!」と思わせてくれる痛快なエッセイなので、特に男性のかたはぜひ一読ください。:「スカーレット・オハラを全力で擁護する」http://d.hatena.ne.jp/saebou/20090518/p1

*3:『電撃G's magazine』2016年12月号、サードシングル総選挙結果発表より。

*4:とくにステージ上、歌のなかの鈴木さん! かつわたしは、声の演技の好みとしてはAqours伊波杏樹さんの次に鈴木さんが好きです。