ぼくは企業の中の人間を書いた小説というのは、たぶん、ありえないだろうと思って書いているんですね。会社員というものは、小説が書けない最たるものだと思います。
伊井直行(「作家と語る:ほら貝」より)
派遣社員を主な登場人物とするフィクションのはしりはなんだろう。やはりドラマ『ハケンの品格』か。今年上期の芥川賞をとった『ポトスライムの舟』も派遣社員が主人公だった。
伊井直行が今年の七月に発表した『ポケットの中のレワニワ』の主人公も派遣社員で、ヒロインはもと契約社員の正社員だ。
伊井は前述のインタビューでこう続ける。
会社員というのは上半身が会社にとけこんでしまっていて、全体像を書こうとすると、会社の仕事そのものを書かなければならないんです。そんなものは読んでおもしろいわけがない。無理におもしろくしようとすると、日経のビジネス小説になります。
ここでいう「会社員」はむろん正社員のことだ。
正社員は「会社にとけこんでしまって」おり、小説が相手にしてきた近代的自我とはまた別種の存在である。というか、個人としての自我を持ち得ない、とでも言っておくべきなのだろうか。会社の規範に従うだけのからっぽの存在。確かにそう考えれば、正社員が小説の近景に立ち上がってくるのはなかなか難しそうである。
正社員がはっきりと描かれるとき、かれはすでに正社員そのものではなく、離職の危機にある、とか、職場で不倫をしていて、とか、正社員の本分とは外れたところに位置せざるをえない。
そう考えていくと、派遣社員や契約社員、アルバイトなど、非正規雇用の人間を中心にすえた物語がたくさん生み出されていく背景には、時流にのった動きだというだけでなく、正社員を中心にしては描けなかった会社の物語を、周縁にいる非正社員ならば描きやすい、という構造上の要因もあるのかもしれない。
前置きが異常に長くなってしまった*1。そうした非正規雇用物語ジャンルの新作、ドラマ『派遣のオスカル』がはじまった*2。
松田奈緒子の漫画『少女漫画』を原作としており、脚本は傑作『Stand Up!!』を手がけた金子ありさ。『電車男』もやっていたなあ。
- 作者: 松田奈緒子
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いっぽう、この作品の大きな核である『ベルサイユのばら』ネタの処理については、トンデモないことにはなっていないものの、もう少し工夫があるとよかった。バズ・ラーマンや中島哲也のレベルまで作りこめとは言わないが、予算やロケ地などの制限がある以上、歴史再現番組と同じ方法論でフランス革命の映像をつくってもそう面白くはないわけで、思い切り簡略化するかあるいはアニメなど別種の表現方法を用いて過剰化の道を選ぶか、どちらかに振り切れてしまったほうがよいのではなかろうか。
とはいえ、終盤で自分のなかのオスカルとともに役員室へ殴りこみをかける主人公の姿にはそうとうぐっときた。ぼくだって、いやな得意先のところへ行くまえにはこういうことをいつもやっている。妄想は最大の武器なり。
そして何より瞠目すべきは、主人公がネット上で知り合うことになる売れない漫画家を、鈴木杏が演じていることである。タンクトップにぼさぼさの髪型でトレース台に向かう鈴木杏! メールで見知らぬブログ主(=主人公)とディスりあう鈴木杏! 『六番目の小夜子』のころからは到底想像できない姿だが、二十代になり、清楚な美少女のイメージからは離れてしまった彼女にはむしろこうした役のほうがしっくりくる。ちょっと太ったこととか、どうもオトナになりきれていない感じとかもひっくるめてすべて役に貢献している。冴えないキャラクタであるはずの主人公を演じる田中麗奈がフツーに美人なため、いまいちボンクラ感が足りないのだが、鈴木杏の醸し出すボンクラ感はそれを補って余りある。『Stand Up!!』ですでに非モテ役への親和性を示していた彼女だが、この作品で非モテ系女優*3としての地位をさらに高めてほしいものである。
漫画の力を借りて、会社上層部に喧嘩をふっかけた主人公はこのあとどんな物語を生み出していくのか。恐らくその過程では、鈴木杏演じる漫画家も大きな役割を演じるのだろう。漫画という武器はおそらく、彼女らを平凡な一派遣社員に留めておきはしないだろう。伊井直行が論じた会社員物語の不可能性はやはりここでも証明されるのだと思う。しかし、物語と現実の相克、社員と派遣社員の対立など、面白そうなテーマはたくさんある。『リミット』に続いて、またも楽しみなシリーズがはじまった。