こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

個としてのスパイ

 Mは言う、「敵はもはや国家でも組織でもない。得体のしれない個人だ」。
 巨大で目に見える組織と異なり、個人で動く脅威は、ジェームズ・ボンドのような諜報員でしか対応できない、という論である。

 いやいや現に今脅威になっているイスラム原理主義者は個人じゃなくて組織でしょ――と思ってしまいがちなんですが、たぶんこの認識は正しい。
 組織され規律で固められた国家と異なり、現在の「敵」はあくまで動員された個人の集合体です。イスラム教徒を例にとれば、彼らは神と自分自身のあいだの契約関係みたいなものを起点にして行動している。結果としてある程度の連帯をもつ複数人の集団にはなっていても、かつての敵だったソ連のような組織ではない。敵は敵となることを自ら選択して敵となった個人だ*1

 本作のボンドは、Mに裏切られ一度は組織を離れながらも、再び戦線に戻ることを自ら選ぶ。
 彼は確かな個であるものの、MI6のサポートを受け、Mのために滅私する、組織のなかで生きる人間だ。個のために戦うと同時に、組織のために戦う、複合的で空疎な男。我々にとってのジェームズ・ボンドという存在が、確固としたキャラクターであると同時に、複数の人間によって演じられる曖昧な概念であるように。

 この、個人主義と滅私が同居する価値観は、いったいどこから来たのだろう? テニスンの詩をもって自らの組織を讃えるMの姿は、感動的であると同時に不可解だ。
 「スタンドプレーから生じるチームワーク」を謳う『攻殻機動隊』、スーパーヒーロー:イーサン・ハントがチームを束ねる『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』等、昨日の記事*2で参照したいくつかの作品を補助線に、この感覚を「よきもの」としてとらえることはできそうだ。しかし、その真髄を突き止めるには、まだぼくの見識は浅い。俺スパイ感の旅はまだまだ続く。

*1:http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20071113/p3を参照。ていうかおれこの文章参照しすぎではないか。

*2:http://d.hatena.ne.jp/tegi/20121201