こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

なんだ傑作か『007/スカイフォール』

 観賞が前提の文章です。ネタバレてんこもり。

 なんかもう予想通りでつまんないくらいだったんですけどその予想というのは「きっと傑作にちげえねえ」という見通しだったわけでそこにきっちり沿ってくれているんだからもうほんとに傑作。えらいえらいぞサム・メンデスダニエル・クレイグ。一生ついていっちゃう。
(とはいえ偏愛できるかというとまたそれは別の話なのですがね)

個としてのスパイ

 Mは言う、「敵はもはや国家でも組織でもない。得体のしれない個人だ」。
 巨大で目に見える組織と異なり、個人で動く脅威は、ジェームズ・ボンドのような諜報員でしか対応できない、という論である。

 いやいや現に今脅威になっているイスラム原理主義者は個人じゃなくて組織でしょ――と思ってしまいがちなんですが、たぶんこの認識は正しい。
 組織され規律で固められた国家と異なり、現在の「敵」はあくまで動員された個人の集合体です。イスラム教徒を例にとれば、彼らは神と自分自身のあいだの契約関係みたいなものを起点にして行動している。結果としてある程度の連帯をもつ複数人の集団にはなっていても、かつての敵だったソ連のような組織ではない。敵は敵となることを自ら選択して敵となった個人だ*1

 本作のボンドは、Mに裏切られ一度は組織を離れながらも、再び戦線に戻ることを自ら選ぶ。
 彼は確かな個であるものの、MI6のサポートを受け、Mのために滅私する、組織のなかで生きる人間だ。個のために戦うと同時に、組織のために戦う、複合的で空疎な男。我々にとってのジェームズ・ボンドという存在が、確固としたキャラクターであると同時に、複数の人間によって演じられる曖昧な概念であるように。

 この、個人主義と滅私が同居する価値観は、いったいどこから来たのだろう? テニスンの詩をもって自らの組織を讃えるMの姿は、感動的であると同時に不可解だ。
 「スタンドプレーから生じるチームワーク」を謳う『攻殻機動隊』、スーパーヒーロー:イーサン・ハントがチームを束ねる『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』等、昨日の記事*2で参照したいくつかの作品を補助線に、この感覚を「よきもの」としてとらえることはできそうだ。しかし、その真髄を突き止めるには、まだぼくの見識は浅い。俺スパイ感の旅はまだまだ続く。

*1:http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20071113/p3を参照。ていうかおれこの文章参照しすぎではないか。

*2:http://d.hatena.ne.jp/tegi/20121201

あるアクション・アイコンの死

 これはジュディ・デンチにとっての『グラン・トリノ』なのではないか。
 1995年の『ゴールデンアイ』以降、二人のジェームズ・ボンドの活躍を支えた彼女、アクション映画のアイコンとしての彼女の幕引き。
 ボンドを採用し、信頼し、ときに操りときに振り回され、数々の作戦を成功に導いてきたM。特に、ジュディ・デンチが演じたMは、ダニエル・クレイグにしてもピアース・ブロスナンにしても、ボンドの次に重要な存在として大きな輝きを放ってきたのではないか。
 そんな人物にふさわしい、堂々たる幕引きだったと思う。
 イーストウッドのような、すべてを清算する救世主としての死ではない。彼女を本当に殺したかった男ではなく、名もない端役のばらまいた銃弾によっての死だ。
 しかしそれゆえに、彼女もまた、組織のために殉じた(引継ぎ可能の)存在だったことが思い出される。

 そして、彼女のためにボンドは涙を流す。
 「007」同様に「M」もまた、引継ぎ可能な存在であると同時に、確かな個であったからだ。
 彼女の死のあと、ボンドが再会するMI6の仲間たちの愛おしいこと! 責任を取って見事に去ったリーダーは、組織を活性化させる――いや、そんなビジネス書みたいなことを言いたくはないんですが、スパイ・フィクションをサラリーマンの理想の投影としても見てしまう身としては、そんなところにもグッときたのでした。

ジェームズ・ボンドは帰ってくる…誰と戦うために?

 次が正念場かもしれない。

 ハビエル・バルデム演じるシルヴァは、ボンドたちを翻弄する知能犯としては非常に厄介な敵だったけれども、倫理的には容易に「敵」と判断できる、わかりやすい男だったと思う。
 Mが言うように、ジェームズ・ボンドが対峙する敵は、彼のような個人的動機を抱えた人間であるべきだ。それも、彼の倫理観を揺るがすような。自ら覚悟をもって悪を選んだ誇り高き敵を、ボンドは撃てるのか?という。

 シルヴァの出自*1は一度使ったらとうぶんは禁じ手になると思うので、今度は外部の敵にしなきゃいけない。でも、『トゥモロー・ネバー・ダイ』のメディア王とか、ああいう感じの「個人」もつまんないし…。

 案その一。
 ロシアだって中国だっているわけで、真正面から国家の戦いをやる。ロシアFSBのエージェントとボンドが一人の女をめぐって戦うのだ。

 案そのニ。
 個にこだわる。
 『ピースメーカー』がいまいちやりきれなかった、「同情できるテロリスト」系のお話をやる。マロリーがSAS時代にサラエボで救った女が、かつて自分たちの惨状を見過ごした欧米諸国への復讐のためにハイジャックを(以下略)。
 敵役はティルダ・スウィントンお姉さまを想定しています。

カーラのゲーム〈上〉 (創元ノヴェルズ)

カーラのゲーム〈上〉 (創元ノヴェルズ)

 案その三。
 ジェームズに少し休んでもらう。



 もう5年くらい前だったらアン・ハサウェイでゴーサインが出てたと思うんですけどね……。いや正史で無理でもワーキング・タイトル製作あたりでどうすか! ダニエル・クレイグが無理ならピアース・ブロスナンで!

 というわけで、真面目なことを考えつつも色々妄想が膨らむ、楽しい映画でした!ここ一年間ちょいのスパイ・フィクション浸りの末尾にふさわしい傑作でしたよ!(末尾いうてもスパイ好きは終わらないわけですけど)

*1:ボンドと共通しているのは、Mの部下ということだけでなく、イギリス周縁の裕福な家庭、というのも含めていいかも。

「パンくず」ひろい

 傑作と言いましたが瑕疵はある。
・諜報機関はそろそろNOCリストの保安体制を考えなおすべき。レイフ・ファインズじゃなくても言いたい、「そんな危ないリスト作っちゃダメだろ!」
・マカオの女の人R.I.P.…。かわいそすぎる。いや彼女はボンドが死の危機をクリアできるかどうか試すような人なので、しょうがないんですけど。でもほら期待してシャンパンとグラス二つ用意してたり、悪い人じゃないじゃん! かわいいじゃん! もうちょっと早く来てやれよ英軍のヘリ!
・Q頼りねえな!でもそこがかわいい!すごくいい!


 あとはスパイ・フィクション好きとして妄想した引用など。

 ぼくの思い込みである可能性がすごく高いのですが、この映画が一番直接的にアンサーを打ち返しているのは『ザ・バンク』*1ではないか。
 あの映画で、クライヴ・オーウェン演じる主人公は、組織(インターポール)では太刀打ちできない悪に対抗するために組織を離れ、アウトローの独り者として戦う。でも、イスタンブールの市場の屋根で、大きな挫折を味わって終わるんですね。
 そのラストとまったく同じ場所からはじめて、とらえようのない悪も、諦めず追っていけばいつかは捕らえられる、という物語を語っているのだから、これは意識していないわけはないのではないでしょうか! どうなんだサム・メンデス

 意識しちゃうといえばやっぱり『ボーン』三部作。
 己の「選択」による戦いの果てで、ボンドのまえにアルバート・フィニーが現れるところにすげえアガった! これは明らかに『ボーン・アルティメイタム』を受けての回答でしょう。
 どうなんだサム・メンデス

 近年のスパイ・フィクションへの目配せもさることながら、最後の戦いのくだりは、すごく英国冒険小説っぽくって笑った。いやオレもそれほどイギリスの冒険小説を多数は読めてないのですが、間違ってはいないでしょうたぶん。
 このあたり、具体的な参照作に見当がつく冒険小説好きの諸先輩は多いのではないでしょうか、と勝手に思う。昨日のぼくの勝手な妄想史観リストじゃなくて、ちゃんと頼りになるブックガイド/映画ガイド、誰かつくってないのかなー。ほんと、なんでハヤカワさんは『冒険・スパイ小説ハンドブック』を改訂してくれないのかなー(しつこいようだが実現されるまで何度でも言うよ…)。

冒険・スパイ小説ハンドブック (ハヤカワ文庫NV)

冒険・スパイ小説ハンドブック (ハヤカワ文庫NV)