こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

ダークナイト・リターンズ・トゥ・名古屋『リミット 刑事の現場2』

 もっか放送中のNHKドラマ『リミット 刑事の現場2』http://www.nhk.or.jp/nagoya/keiji2/がすばらしい。
 舞台は名古屋。森山未来演じる若手刑事・啓吾は、栄えある中央署刑事課に引き抜かれるが、問題刑事・梅木(武田鉄矢)と組まされる。
 まずはこの梅木というキャラクターがいい。恋人を無残に殺された経験から、人間の善意や愛情といったものを全否定し、己の信じる正義をぶちまける。通り魔の逮捕劇ではあやうく犯人を殺しかけ、自分の非を認めない容疑者は安置所に連れ込んで被害者の遺体と対面させる。悪徳刑事ではなくて、正義を貫徹するために暴走する刑事、というのはなかなか新鮮だ。
 もちろん、『フレンチ・コネクション』のポパイなど、こうした刑事像の系譜は連綿と存在していたし、アフガニスタンイラクでのアメリカの振る舞いや、『ダークナイト』の大ヒットによって、ふたたび脚光を浴びてはいる。しかし、日本のメジャー局のドラマに登場するのは、ここ最近では例がないのではないか。土曜の夜のゴールデンタイムに、「人間はもう駄目かもしれないな」などいう絶望にあふれた台詞が聞けるとは思ってもいなかった。

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 そんな梅木と対立する啓吾もまた闇を抱えている。彼は、悲惨な事故で恋人を失った経験を持つ茉莉亜(演じるのは加藤あい)と同棲しているものの、彼女が死んだ恋人を想い続けているのではないかという疑念を晴らすことができない。自分の醜い嫉妬を打ち消すかのように善き刑事であろうとする啓吾だが、梅木とともにいくつかの事件を解決するうち、人間の業を目の当たりにし信念が揺らいでいく。
 第3話で、温情を与えた容疑者に裏切られた啓吾は、勢いあまって容疑者を殺しかける。第1話冒頭での「暴走する梅木を止める啓吾」という当初の図式が反転され、まったく同じ構図・せりふながら、今度は啓吾の暴走を梅木が止めることになる。
 茉莉亜にも去られ、追い詰められた啓吾の前に、次回第4話では、梅木の恋人を殺した犯人がついに現れる。演じるのはARATA! どうやら、出所早々に次々と人を殺めていくらしい。果たして啓吾と梅木は殺人鬼を止められるのか。いやそもそも、すでに刑事としてのアイデンティティが揺らぎ、信念の歪んでしまった二人が、犯人と対峙したとき正気でいられるのか。
 ここでぼくが思い浮かべるのは、デヴィッド・フィンチャーの出世作『セブン』だ。老獪なモーガン・フリーマンと理想に燃えるブラッド・ピットが、ケビン・スペイシー演じる殺人鬼の策略によって、己の倫理を破壊される羽目に陥るあの映画で、ピットの妻グウィネス・パウトロウは『リミット』の加藤あい同様に妊娠していたわけで......。いやあ、はたしてこのドラマはどこまでやってくれるのだろう。
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 『セブン』はキリスト教を基盤とした善悪の対立を描くドラマであったが、日本を舞台とした場合、そうした二項対立のドラマは成立しにくい。人々の倫理を強く規定して抑圧するものが明確には存在しないからだ。
 『リミット』のこれまでの展開は、ここ数年で世間の耳目を集めた事件をかなり際どいところまで引用し、その空白を補填することに成功している。なかでも、梅木の恋人が殺害された事件は江東区のマンションOL失踪事件をきわめて具体的に引用していて、「いくらなんでもやりすぎでは...」と戦慄してしまった。つまり、実際に起きた事件を思い起こさせて、「あの事件の犯人を許せるか?」「この事件の裏には、こんな善悪の揺らぎもあったのではないか?」と、善悪の問いかけに迫真性を持たせているのだ。
 さらに、毎回、事件の関係者を力のある俳優たちが演じていることで被害者・加害者への感情移入も可能とし、裁く側だけでなく、裁かれる側=善悪の基準が崩壊してしまったものたちのことをも考えざるを得なくしている。
 安易に悪人・善人というレッテルを事件の関係者に添付しては、すぐに忘れ去ろうとしてきた欺瞞のツケは、裁判員制度などの司法の転換により、やがては「一般人」たちへも降りかかってくるはず。サブタイトルは「刑事の現場」と銘打たれてはいるものの、このドラマの問いかけは、普段警察や犯罪とはまったく縁のない視聴者も射程に入れている。

 残り二回の放送分で、どれだけキツい問いかけが投げかけられるのか......来週の放送が楽しみでならない。

『セブン』エンディングを飾るボウイ先生の曲。
ジョーカーのハコ乗りシーンを想起させる映像の『リミット』のエンディングで流れる斉藤和義の歌もなかなかいい。