こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

ぜんぶわかってあなたをみつめている『裏切りのサーカス』


 ついに観ました。
 去年の夏ごろからずっと待ち望んでいた観賞で、予告編は何度見たかわからないし、原作も読んだしル・カレ作品も(全部ではないけど)読み進めてるし、『ナイロビの蜂』も読んだしその他スパイ映画/小説ばっかり読んでるし、で、ついに!ついに!というテンション。
 前評判のとおり、そのテンションを引き受けてくれるだけの傑作ではあって、観たあとの興奮の静まらなさ、またもう一度観たいという欲望の強さはなかなかにはげしい。たぶんしばらくのあいだ、人に「面白い映画ない?」と訊かれたらこれを推す。
 ……でも、そういう前提のうえで、冷めてもいるのです。
 なにしろ、二時間ちょっとのあいだスクリーンに映し出されるのが「ここ一年ずっと考えてきた最高のTTSS映画化」でしかないのだ。最高の結果を予測し続けていると、たとえほんとうに最高の結果を味わえたとしてもそれでは満足できなくなってしまうのですね。なんと贅沢でバカみたいな状態なのか。

 しかしこの「未知のものが画面にあらわれない」感覚、ぼくの個人的事情だけが原因ではないのではないか。
 というのも、非常にすぐれたサスペンス映画でありながら、謎そのもの、あるいは謎の解明のあとに訪れる、真実への驚きがきわめて希薄にみえるのだ。
 むろん、常に平静さを失わない語りというのは原作通りではあるのだけれど、主人公スマイリーの動じなさは原作以上に強められている。彼以外のひとびとも、事件の解決前と解決後でほとんど変化しない(というかほとんど描かれない)。さらに、ネタバレになるので名前は伏せますが、あの男があの段階で真相を確信していた、っていうのは大きいと思う。
 人びとはみなすべてをわかったうえで、お互いの間の関係性を発酵させていく。

 ぼくは昨年夏の時点で、本編はもちろん原作も読んでいないときにこんなことを呟いていた。


 ま、この読みはまったくもって外れていたわけです。
 自分の仕事がもたらすものを知って呆然とする『フィクサー』のジョージ・クルーニー、あまりに巨大な世界の歯車の一端を知って言葉を失う『ザ・バンク』のクライヴ・オーウェン。彼らみたいに、世界の真相を目撃して驚嘆する視線というのはこの映画のなかにほとんど含まれない。

 これは、身内にいる二重スパイを探すというプロットの制限からくるものでもない。
 ソ連KGBという、イギリス人にとっては没交渉であるはずの存在も、そのリーダーであるカーラがスマイリーと宿敵同士という強い関係を結んでいて、「未知」にならない。カーラの顔は全編を通じて一度も映ることがないのだけれど、その存在はゲイリー・オールドマンによる熱のこもった独白シーンによってみごとに肉付けされてしまう。

 恐らくこれは、トーマス・アルフレッドソン監督の資質によるものなのだと思う。
 『ぼくのエリ』でも感じたのだけれど、この人は物語の外部に世界を形づくらせない。エリに呪いを背負わせた世界の不条理、もぐらを裏切らせたイギリスの体制、そういったものは批判せず、淡々と言及して済ませる。
 世界の真実なんかより、愛するあの人のことだけを。全てをわかって相手のことを見つめる。これはそういう視線が行き交う映画だ。

 いちおう断っておくと、だからこれはスパイ映画として不完全だ、というような文句をつけたいわけではない。これはこれでスパイ映画の到達点の一つです。そこは素直に絶賛します。でも相当に尖って歪んだ映画だよね、という確認はしておきたいのだ。歪んで歪んでその結果すばらしく美しく鍛造されてしまった映画。
 なので、本作をもって「本格スパイ映画」とか「真のスパイを描いた」といった評価をするのはちょっと適当ではないんじゃないの、とも思っている。少なくとも2011年の王道スパイ映画ではない。

 なお、トム・ハーディの演じるリッキー・ターだけは、この「全部わかってあなたをみている」な視線を会得できていない男であり、ぼくはだんぜん彼のエピソードが好きになった。原作では大した思い入れを抱かなかったのだから、これはトム・ハーディと相手役のスヴェトラーナ・コドチェンコワの功績だろう。特にトムハは、死地を切り抜けられるタフさと女への情を止められない青さを同居させて、かつ愚かにはなっておらず魅力的だ。
 そこが好きってのは、けっきょく、ジェームズ・ボンド的スパイが好きだからじゃないの、ル・カレの世界にはまれてないぼくに、この映画を歪んだものとして捉えてしまう一因があるんじゃないの――という問題については、また改めて語りたいと思います。なんていうかね、ジェームズ・ボンドを否定したからってスパイ映画が語れるわけじゃないし、ル・カレももともとボンドを否定している人じゃないんですよ、という。つづく。