こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

ロックってこういうことかもしれない/『SHOW BY ROCK』

 『SHOW BY ROCK!』を観終わりました。

 ワンシーズンの最終話で、きちんと異世界から帰ってくる話にするとは思っていなかったので(勝手に「二期やって二期最後に帰ってくる」あるいは「一期の最後にみんなで現実世界にやってくる」かなと思っていた)、驚くとともに、しみじみいいアニメだな、と思いました。

 音だけ聞けば本作のタイトルって「商売ロック」ともとれる。
 まあ、かわいい二次元のキャラクターたちがきゃっきゃしているアニメでもって「ロック」ですよって言われても、自分としては、いや、商業主義じゃんロックじゃないじゃんっていう反応をしてしまうのは否めない。否めないんですけど、じゃあお前、ロック(ロックンロール)ってなんだよ、「ロックらしさ」みたいなものって、そもそもなんだったんだよ、と自省するわけです。
 それは音楽の形式なのか、演じる人間の問題なのか、消費のされ方なのか、歌詞が問題なのか……。
 『SHOW BY ROCK』を観る間、ぼんやりロックの定義を考えていたのですけど、最終話まで観た今、それは「素直になること」なのかなあ、と思っています。

 ぼくのぼんやりした音楽観だと、ロックのはじまり=20世紀アメリカにおいて、黒人音楽の要素を借りて白人がはじめた自己解放としてのムーブメント、なんですね。これは完全に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のイメージで、白人のマーティが黒人のチャック・ベリーの『ジョニー・B・グッド』を借りて演奏することで、お固い価値観にとらわれていた50年代の高校生を解放する、という印象*1
 そこから時代や演奏者が変わっても、「自分を解放させていく」音楽としてのロック、ってのは変わらない気がする*2

 で、『SHOW BY ROCK』の主人公シアンは、ずっと素直になれない子だったわけです。
 一話の冒頭、音楽が大好きだし才能もあるのに、高校の軽音楽部のドアを叩けないシアン。彼女は異世界に呼び出され、音楽の力によってのみ倒せるモンスターと対峙し、「伝説のギター」の力を借りてようやく自分を解放する。このシーン、高梨康治の音楽とあわせて超かっこいいシーンですけども、シアンは完全に受動的です。
 活躍を注目されたシアンはバンド「プラズマジカ」に勧誘されるけれども、これまた受動的*3
 かくしてシリーズ最初の二話でシアンは、主人公たる地位と力を手に入れる。そこから描かれるのが、彼女と仲間たちがいかに素直に自分の気持ちを表現できるか、ということです。
 異世界から来た秘密を隠していたことで傷ついてしまったレトリーとの仲直り*4。チュチュは自分の秘めた野望を悪人に利用されてしまいますが、それを皆の前で素直に認めることで、バンドの結束がより強くなる*5
 悪事の黒幕と対峙する最終決戦において、シアンはそれでも受動的です。先達であるダル太夫にシュウゾー、グレイトフルキングに助けられるばかり。正直言うと、「シアンがこれまで経てきた成長がチャラになっちゃってるみたいだな」と思うくらいにここでのシアンは受動的なのですが、最後の最後、現実世界に戻る=バンドのみんなと別れてしまう、という土壇場になって彼女はついに、自分の気持ちをさけぶ。
 彼女の力は正義感や義務感では発動しない。自分の思いに素直になったとき、ようやく発動させられる。

 これ「こそ」がロックだ――と言い張るつもりはないのですけど、これもまたロックだよなあ、と思います。
 恥ずかしくっても自信がなくってもうまくいかなくっても、勢いにまかせて叫ぶ。そのことを肯定する。ぼくのロックの定義――いや、「ロックに体現してほしい精神」にはきれいにあてはまる。

 女子のロックバンドと萌えといえば映画『プッシーキャッツ』が好きなのですが*6、『SHOW BY ROCK』を観終わって思い出したのはジャック・ブラック主演の『スクール・オブ・ロック』でした。
 身勝手な中年ロッカーが、子どもたちにロックを教えることで、自分のなかのロック愛や表現への情熱を周りへ伝える術、喜びを学び、同時に子供たちはエリート校の硬い雰囲気から解放されていく、というお話。あの映画も確か公開後には「これはロックじゃない」的な批判があったように思うのですけど、いやいや、みんなが人生を素直に楽しめるようになるんだからロックじゃん、とぼくは思います。

 『けいおん!』から早六年。すでに萌えとロックの組み合わせに対する違和感みたいなものを表明する人もほとんどいませんけど、それは別に、視聴者や作り手が「そんなのどうでもよい」と考えるようになったからではなく、人々がロックのなかに見出す良きものを、日本のアニメもそれなりに描けているから、なのかもしれません。

 悪を倒したシアンたちは、最後の最後に、あこがれの舞台で自分たちの曲を演奏します。ただ楽しく、嬉しそうに。
 その直後、明確な別れのシーンなしに彼女は現実世界に戻っている。けれども、たぶんそれでいいのです。彼女は自分の感情に百パーセント従って自分のしたいことをし、成し遂げた。そこに悲壮感はなくていい。
 いいアニメでした。

*1:なお『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のこの展開は、黒人が始めたロックを白人のものとする歴史修正主義だとして批判もされています。映画のその展開自体は批判されて仕方ないことですが、その「上書き」含め、無意識にロックの歴史を忠実に描いているとも思います。

*2:ヒップホップは、他人を躍らせるのが目的の一つだから、「他者を解放する音楽」かもなあ――ってぼんやりした音楽観を展開させていくのは危ないからやめよう

*3:でも「バンドに請われて参加する」って音楽好きの夢のシチュエーションですよ。そんな状況に憧れていた時期がおれにもあった…。

*4:シアンと同様、レトリーもまた素直になれない子なんだけども、シアンの境遇を知って以降、彼女より先に、自分の感情を素直に仲間たちへぶつけていけるようになる。このへんに、演じる沼倉愛美さんの力強さとかわいさがうまく活かされていました。

*5:このチュチュのキャラクターも、個人的に上坂すみれさんに感じるそつのない感じを活かしたキャラクターになっていたように思います。上坂さんの演じるキャラのなかで一番好きかもしれない。

*6:くわしくは『けいおん!』放映開始時に書いたこちらを。「『けいおん!』の十倍萌える!ガールズバンド映画『プッシーキャッツ』」http://d.hatena.ne.jp/tegi/20090510/1241970998 。でも「十倍萌える」は言いすぎだよ自分!