- 作者: 池澤夏樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2008/01
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- 作者: 池澤夏樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
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ネパールに風力発電システムを設置するエンジニアとその家族を描いた『すばらしい新世界』の続編であるこの物語は、こんなふうにはじまる。
まず、昔話からはじめなければならない。
数年前、ぼくがずいぶん親しくしていた天野という友人の一家があった。
「友人の一家があった」。『すばらしい新世界』ではあくまでフィクションの登場人物として描かれていた天野一家が、現実に寄り気味に記述されている。
作中で登場する地名についても若干の変化がみられる。
『すばらしい新世界』で作者は、林太郎が風車設置のため赴くネパールの地方を「ナムリン」としている。
もしもこの話の舞台をみんなが知っている現実の地名の上に組み立てたとすれば、ぼくはあまりおおっぴらな嘘が書けなくなる。虚構の枠組みの中に真理を埋め込むというのが、フィクションの原理である。
そのために、実際にぼくが行って、歩き回って、写真も撮ったその地域に、ぼくは敢えてナムリンという別の地名を付した。
これが、今作だとこうなる。
前の旅のことならぼくもよく知っている。行く先はムスタンというネパールの奥地の王国だ(前の『すばらしい新世界』では事情があってナムリンという名前にしたけれど、今はムスタンという本当の名で呼ぼう)。
はてはてこれはどうしたことか、と読者であるぼくは少し戸惑う。
どうも『すばらしい新世界』に比べ、『光の指で触れよ』は、現実により接近した小説として意図されているのではなかろうか。
さて、作者こと「ぼく」が「最近になって噂で聞いたところでは、あの家族は今はばらばらに暮らしているという」。「ぼく」は天野一家の夫である林太郎と久々に連絡をとり、東京の中華料理店で会食をすることになる。
食事をしながら、林太郎が話す近況を聞く「ぼく」。やがて語りは三人称になり、天野一家の物語がはじまる。
三人称の語りはゆるやかで、しばしば一人称が顔を出す。世界中に散らばった、家族それぞれの物語が描かれる。
物語の結末においては、はっきりとした一人称となる*1。それは語りというよりは祈りである。登場人物のひとりが、物語で起きたことをまとめ、自身の得たものを振り返り、物語られない未来に思いを馳せる祈り。語りは小説の先へ開かれていて、読者はそこに希望をみる。現実と照合するいくつかの事柄について思考する。
『静かな大地』でもそうだったけれど、やはりここには現実世界にコミットしようとする語りの意志が感じられる。
その道程で語られるものごとは、エコロジーやら農業やらスピリチュアリズムやらである。
こういうことにアレルギーのある人(ぼくもそういう人に近い)は、もしかしたらこの小説に多少の嫌悪感を抱いてしまうかもしれない。
エコなりスピリチュアリズムなり、いやなものにみえてしまうのは、それらを無条件に信じて、人生の「上がり」を迎えてしまう人が多いからだと思う。それらを絶対の答えとして疑わない不気味さ。
先述したように、この小説は、『すばらしい新世界』よりもさらに現実に接近していて、ある種の切実さを増してもいる。農業やスピリチュアリズムのハウツーとして読めなくもない具体性がある。実はぼくも、もしかして池澤夏樹も「上がり」を迎えてしまったのか、と途中ハラハラすることがあった。
しかし、結局作者は、問題の「正答」としてそれらを示そうとはしていない。非常に強い親しみをもって描いてはいるけれど、そこに滞留してはいない。
重要なのが、林太郎の恋人である美緒と、林太郎の息子である森介の存在だ。美緒は小説の技巧の上で、森介は生き方のスタンスとして、物語の主軸からは少し距離を置いている。二人が異化作用をもたらして、この小説に動きをつける。
唯一、常に一人称で語られ、旧訳聖書の詩歌が印象的に引用される美緒の物語もいいが、ぼくがつよく共感し、また嬉しく読んだのは森介の物語のほうだった。
ずっと自分は何かを探している、と森介は思っている。
"But I still haven't found what I'm looking for..."
かつて池澤夏樹が日野啓三に紹介され、「完全にはまって、ずっと聴きつづけた」*2というU2の『ヨシュア・トゥリー』の精神そのままではないか。
- アーティスト: U2
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森介と同志的恋愛関係におちる明日子*3はこんなことまで語り出す。
「じゃあ、きみは何が好きなんだ? 何に夢中になっているんだ?」
明日子はしばらく考えた。答えを選ぶのではなく、言うべきかどうか迷う表情。
「絶対のもの」
「えっ? 何?」
「うまく言えない。わかってもらえなくてもしかたない。でも、絶対のもの。神様みたいで、でももっと冷たくて、硬くて、どうやっても近づけない。遠くのほうで光っている。夜の空が曇って月の明かりもなくて暗くて、雲の覗き間からたった一つしか星が見えない時の、その星みたいなの。絶対のもの」
これだ、これなのだ。
池澤夏樹のこういう姿勢。
よきものを見、得、紹介し、しかしひとところには決して滞らない精神。いつもなにかを探求し続けるこころ。到達しえない頂点を求めて歩き続けるからだ。
これがあるから、池澤夏樹の小説はいつもひらけている。