こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

新しい日本の目標

 佐々木譲さんが昔どこかでおっしゃっていたことを、ここ数日よく思い出す。
 うろ覚えだし前後の文脈はぼんやりしているのだが、簡単にいうと、「日本は住む場所を動かすことが非常に難しい。対してアメリカは、身ひとつさえあればすぐに新しい場所で生活をはじめられる」というようなことだ。
 日本の引越しは、家財道具一切を抱えて移動しなければならない、たいへん労力のかかるイベントだ。家を探すのもたいへんだし、家財道具を揃えるのもたいへん。新しい仕事を見つけるのは言わずもがな。
 いっぽうアメリカでは、車に身の回りの最低限のものを詰めて移動して、家具付きの安い住居を借りてすぐに働き始める、ということがわりあい簡単にできるらしい。
開国以来常に国内外で人が移動し、また今も移民が多く流入している国ならではの事情だと思う。

 ぼくが実際にアメリカに行って暮らして実証したわけではないから、この話が本当かどうかはわからない。
 でも、「移動しやすい国」というイメージはひとつの理想としてとても魅力的だ。もし今の日本が新しい目標を立てるとしたら、このイメージはなかなか有効じゃないかなあと思う。
 「移動しやすい国」と一言に言っても、その実現のためにはいろいろな分野の努力が必要だ。
 まずは、安い住宅がたくさんほしい。多少狭かったり古かったりしても、安心して日常を過ごせる部屋にすぐに住めるという保証があれば、移動に際する不安はかなり解消されるだろう。この実現のためには、不動産業界や住宅業界が知恵を絞らなきゃいけない。敷金などの負担を肩代わりしてあげる行政の制度も必須だ。住む側も、外見の華々しさや贅沢さに惑わされない、必要十分な部屋に住むための審美眼とタフさを持っておきたい。
 次は、働き口。単に働いて多少のお金が貰えればそれでいいってわけじゃない。労働者が望む対価が支払われる経済状況じゃないといけない。職歴や年齢が極端な枷になってはいけないし、在宅やフレックスなどの勤務スタイルの多様化も求められる。時代の先端を走る楽しい仕事が、東京や大阪みたいな大都会だけじゃなくって、地方にもたくさん転がっていないといけない。起業や転職、倒産がさほどのリスクを負わずともできないといけない。
 人ががんがん移動するから、企業や自治体、政府は、そう安易に十年・二十年先の計画をたてることはできない。柔軟に対応していく仕組み、人材を抱えなきゃいけない。そこに重きをおけば、日本以外の世界がどんなになったって、それほど酷い目には合わない程度の力を持てるように思う。

 ちょっと話を広げすぎかな。いやいや、続けよう。
 もちろん、住宅と家具があるからといって、人は遠く離れた場所に行かない。
 周りが嫌なやつばっかりだったらげんなりするので、みんな新参者にある程度優しくなくっちゃいけない。自治体レベルでもそうだし、ご近所付き合いのレベルでも。
公園デビューや転校が、子供のストレスになるような社会じゃだめだ。逆に、新参者でも信用してもらえるような工夫があってもいいかもしれない。マジにヤバいやつにはちゃんと制限をかけたり、道を踏み外しかけた人をフォローしたりするしくみもほしい。
 移動する人が多くても、もともとその場所に根づいている文化やコミュニティを維持したいという人たちは否定されるべきじゃないし、そういう人たちと新参者が必要に応じて手をとりあえる空気はなくしちゃいけない。移動をやめたい、という人が落ち着ける場所も必要だ。
 もし気の合う人が集まったのなら、それを家族と呼ぶことができる。反対に、もし一緒にいた人たちと別れたいのなら、制限なしに別れてもいいことにする。苗字や婚姻制度も、ある程度はゆるやかなものにする。
 公園や体育館といった息抜きのための場がないとつまんないし、本屋や映画館などの文化的な場も必須だ。ニッチな趣味の持ち主もある程度は同好の士と付き合えたほうがいいから、どんなど田舎でも通信と交通のインフラは整えて、安くつかえるようにする。
 そういう環境を存分に活かして維持してくれる次世代の人を育てるために、どんな場所でも安価に、その人にあった教育を受けることができるようにしたい。学校や先生たち自身が移動したっていい。
 もし誰かが身体的/精神的ハンディを抱えていたとしても、他の人とまったく同じように移動できるようにしなきゃいけない。ハードの面でもソフトの面でも。始終点滴を受けなきゃいけない病人だって、がんがん移動したいのなら、そうできるようにする。ある晩ライブハウスに行ったら、隣で余命一日の人が一緒に音楽を聴いてた、なんて情景すら当たり前になるくらいに。いたるところに医療拠点があり、ケアする人がおり、それらを過分な負担なしに利用できる制度がなくちゃ。

 手前味噌でなんだけど、かように、「移動できる国」というたった一つの概念から、いろいろな道筋がつけられるんじゃないだろうか。
 安心とか安全とかそういうぼんやりした概念を目標にしたって、人によってその基準が違うんだからまとまりようがない。でも、「移動できる」ってのは、誰が考えてもそんなにブレが生じない、かつ色々な場に適応できる、いい目標じゃなかろうか。

 いま、多くの人が移動を余儀なくされている。一方で、その移動を優しく迎えようとする人も多い。
 もし今、新しい日本の目標を立ち上げるなら、ぼくはこのイメージを挙げたい。結構いいセンいくと思うんだよね。