こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

行きあぐねている人のためのAqoursぬまづフェスご参加のお誘い

 平素は大変お世話になっております。万緑のみぎり、皆様におかれましてはいよいよご隆盛の段、大慶に存じます。
 さて、5月13日より開催しております「輝け!Aqoursぬまづフェスティバルinよみうりランド」も無事に会期の大半を終え、残すところあと2日間のみとなりました。
 各SNS・ブログ等では多くの方々から参加の感想・レポートをいただいており、本フェスティバルが着実に大きな成功を収めつつあることが感じられます。別に運営者ともぜんぜん関係のないただの一ファンであるわたくしとしましても大変嬉しく思っております。ありがとうございます。

 とはいえ、残り2日間のチケット販売状況を見ますと、いまだ「助っ人」参加数の上限には至っておりません。Aqours浦の星女学院の生徒の皆様の必死の呼びかけにもかかわらずこの体たらく。各回のフェスティバル開催が危ぶまれるところであります。
 本フェスティバルの各回入場上限数は1,000人とされており、本日までの合計開催日数7日×一日あたりの開催数2回×1000人としてもフェス参加者数はのべ14,000人に過ぎません。これは6月25日・26日に「Aqours 6th LoveLive! ~KU-RU-KU-RU Rock'n ' Roll TOUR~」が開催される東京ドームの収容人数55,000人の約四分の一でしかありません。残りの41,000人は何をやってらっしゃるんでしょうか。毎週のように交通費など考えず沼津へ出かけている皆様の採算度外視の姿勢はいずこ。
 もちろんわたくしとしましても、ただ行けやと恐喝的態度で申し上げるだけでは皆様のフェスご参加は望めないと認識しております。そこで本日は、本フェスがもついくつかの魅力をわたくしなりの観点からご提示し、フェスへのご理解とご関心を深めていただきたく、以下ご案内申し上げる次第です。しばしお付き合いいただければ幸甚です。


1.意外とコスパがいいよ
 「輝け!Aqoursぬまづフェスティバル inよみうりランド」のチケットは前売7000円となっております。確かにこの金額、気軽にほいほい支出できるものではありません。本日現在の東京都の最低時給は1,041円。Aqoursキャストも登場しないのに、7時間くらいの労働を費やす価値はあるの?という労働者のみなさんの声が聞こえてきます。
 ですがコロナ危機以降の現在、ライブイベントの参加コストはコロナ以前より確実に値上がりしています。たびたび比較対象にして恐縮ですが、Aqoursの東京ドーム公演は前売12,000円。ぬまづフェスの1.714倍です。ドーム公演に比べればフェスのチケット代はライブ0.583回分の金額に過ぎません。大したことないじゃんと思えてこないでしょうか。きますね。
 さらにこのイベント、参加するとSCRAPが全国で開催するイベントが大幅割引されるチケットをもらうことができます。このチケットを使えば、当日券7,500円のところ4,000円引きの3,500円でぬまづフェスに参加することも可能で、さすれば二回合計10,500円、一回あたり5,250円で参加いただくことが可能なのです。もはや東京ドーム公演0.437回分。激安では。

 問題は金額の多寡ではなくイベントで得られるものであろう、というかたには、ぬまづフェスへの参加が可能にすることの幅広さをご案内させてください。
 そもそもこのイベント、東京にいながらーーよみうりランドの立地を「東京」と呼んでよいのかという件についての議論は控えておきましょうーー、静岡県沼津市の風物を楽しんでいただくことが可能です。
 なにせ沼津をPRするイベントであるということですから、沼津の名所や魅力を紹介するブースがあるのはもちろんなのですが、アンテナショップのブースでは、沼津名物の実物を実際に購入いただけるのです。扱っているのは、松月のみかんどらやき、沼津深海プリン、JA伊豆の「ぬまっちゃ」など。Aqoursファンのみなさまに置かれましては沼津市来訪のおりにどれかひとつは手に取られたことがあると思うのですけど、まとめて一気に買うのはなかなか難しいと思うのですよね。
 実はわたしがアンテナショップブースにたどり着いたのはフェスの終了間際で、半分くらいの商品が売り切れてしまっていました。そこで残っていたものから適当に選んで買ったのがグランマの「ひものサブレ」とやいづ屋の「カレーボール」でした。正直、どちらも今まで全然知らなかったんですけど、これがどちらもおいしくて嬉しかったです。特に「カレーボール」は、自宅のオーブンレンジでからりと温めたところむちゃくちゃおいしく、最低でも二袋は買っときゃよかったと激しく後悔しました。ブースに展示されていたPOPで、「ビールにあう」というおすすめコメントを書いていた助っ人さんありがとう。ちなみに、カレーの香りがとても激しいので持ち帰り時にはビニール袋必須です。
 松月は『ラブライブ!サンシャイン!!』の劇中でもたびたび登場しますし、深海プリンもかなり有名だと思います。が、ひものサブレやカレーボールはどうでしょうか。必ずしも、とても広く知られているというものではないはず。有名どころから渋めのものまで、 そういうお土産が一気に入手できてしまうのはなかなかレアな機会でしょう。

 そして本フェス、会場はよみうりランドの一角です。イベントの前後には、よみうりランドで楽しく遊行いただくことが可能です。京王よみうりランドの創設は1964年。様々に変化しつつ現在も多くの来場者数を誇る人気遊園地です。40以上のアトラクションをもち、遊園地だけでなくフラワーパークや温泉などの施設も周辺に集まっていますので、人それぞれの要望に沿った楽しい時間が過ごせるのではないでしょうか。フェスのチケットにはよみうりランドの入園料も含まれていますので、あとは興味のままにぶらりとアトラクションに立ち寄ってみればよいのです。
 そうやって薦めているお前はアトラクションに乗ったのかというと乗っていないのですが、これは欺瞞でもなんでもなくてですね、よみうりランドって別にアトラクションに乗らなくたってなんか妙に楽しいんですよ。いや楽しくない遊園地があるわけないんですが。フェス参加後にランド内のレストランで昼食を食べながら遠目に遊園地のアトラクションで遊ぶ人々を眺める、というのはなかなか得難いよい経験でした。昼間からビールで少し酔った状態で聞く、回転木馬や大型ブランコの作動音と軽快なビッグバンドのBGM、そして若者たちの嬌声。自分自身は娯楽の中心にいなくても、目の前にただひたすらにハッピーな空間が広がっているというだけで人は幸せになれるのかもしれません。なんという豊かな時間でしょうか…!

 

2.人がいいよ
 本フェスでは、Aqoursを助け参加者の皆様を導く「浦の星女学院高等学校の生徒」が数多く活躍します。わたくしが主にTwitter上で調査した結果、浦の星の生徒を演じるキャストの人数は約40人。多い。初回参加時、集合場所にぽつぽつとしか集まらない「助っ人」たちを見てわたくしはちょっぴり「助っ人より浦女生のほうが多いんでは」と思ってしまいました。実際は自分が来るのが早すぎただけなんですが。とはいえフェスが始まったあとも「浦女生多いな」という印象は変わりませんでした。どのキャストさんも、会場のすみずみで、常に元気に動き回っているからだと思います。
 もちろん人数が多いだけではありません。キャストのみなさんは個性豊かで、各ブースや役割に沿った多彩なキャラクターで、ともにフェスを準備する助っ人たちの心を楽しませてくれます。キャストご本人もAqoursや『ラブライブ!サンシャイン!!』が大好きなのだなとはっきりわかる人もいるのですが、どうもそういう人だけではないようにわたくしは感じました。例えば「俳優として浦の星の生徒を演じきる」とか、「得意なダンスでフェスを盛り上げる」とか、「コンカフェやアイドルとして身につけた技術でとことん可愛さを発揮していく」とか、それぞれのキャストなりのアプローチでフェスの時間を生きているようにわたしには見えました。そして結果的にそうした姿勢はすべて、「フェスを懸命に運営する浦の星の生徒」としての説得力につながっていくのです。Aqoursが中心にはいるんだけど、Aqoursよりもフェスそのもののことのほうがより強く意識されている感触というか。
 もし現実の浦の星の生徒たちに出会ったとしても、そういう雰囲気なんじゃないでしょうか。何十人もいる生徒のなかには、Aqoursをオタク的にディープに応援している人もいれば、距離をもってみている人もいるはずです。そういう違いのある生徒たちが共通の目的のまえに集まるからこそ感動的なわけですが、キャストのみなさんの個性はそれを見事に達成しています。
 
 かように浦の星のみなさんは魅力的なのですが、Aqoursキャストに非ざれば人間に非ず、世界には自分とAqoursがいればよい…という思考がデフォルトのみなさまには、どんなに本フェスのキャストがよいというご説明を差し上げてもご理解いただけないかもしれません。しかし、本当にそれでよいのでしょうか。人はAqoursのみにて生くるに非ず。ただひたすらに天に輝く推しのことを追いかける日々のなか、ときには己と同じく地に生きる市井の人々と交わる時間を持ってこそ、推しの尊さを計れるというものではないでしょうか。いやまあ才能と個性あふれるキャストさんたちを市井の人だというのも語弊がありますけど。
 フェス会場で出会える魅力的な人というのは浦の星キャストのみなさんには限りません。真の市井の人、「助っ人」さんたちもなかなかのものだとわたくしは思います。ゆえあってライブ会場などオタクの人たちと触れ合うところへ出かけるのが若干苦手なわたくしですが、フェス会場で縦横無尽に楽しむ「助っ人」さんたちを見ていてうっかり「オタクって悪くないな」と思ってしまいました。楽しそうなオタクの人たちの姿、眩しかったです。助っ人はしばしばある種のパフォーマンスというか、声を出したり体を動かしたりを要請されるので、わたくしのような小心者はつい羞恥心が先に立ってしまうのですが、折角の機会、楽しんでいきましょう!という感じでどんどん身を投じていく助っ人さんが周りに多くて助かりました。

 

 そもそも2020年に始まるコロナ危機以降、わたくしたちの社会はコミュニケーションの不足にあえいでいると言われます。今年3月のとある世論調査では、実に7割の日本人が「もう一年以上は自粛生活に耐えられない」という回答を示しています*1
 人と離れ押し黙っている生活をやめ、自由に移動し人と会いたい。多かれ少なかれ、そういう気持ちは皆様それぞれにくすぶっているはずです。
 とはいえ急に知らない人と会ったり喋ったりするのはな…と二の足を踏む皆様にこそ本フェスは最適です。というのも、実は本フェスに参加される皆様は本フェスにおいてはあくまで「助っ人」さんであり、現実のあなたとは微妙に異なる存在だからです。Aqours浦の星女学院高校の窮地を救うために喚ばれたあなたは、一歩、フィクションの世界に足を踏み入れています。そこであなたは、「助っ人さん」という人物を演じてみればよいのです。もしちょっとした失敗や、普段しないような大胆な行動をしたとしてもそれはあくまで「助っ人」のあなたです。羞恥や後悔ばかり生み出す心にいったんセーブをかけて、助っ人としてのかりそめの生を謳歌しようではありませんか。そんな助っ人モードで会場へゆけば、そこにいるのはあなた同様に「助っ人」として生きる人たち、そして「浦の星女学院高等学校の生徒」として生きる人たちです。かれらもまた、そのフェスの空間と時間だけ、現実から一歩異なるところへ踏み出して生きる人々です。お互いにちょっとだけ現実から遊離している人間同士、不思議な気楽さのあるコミュニケーションが成立するのです。

 

  気楽さが根底にある一方で、浦の星の生徒、そして助っ人たる皆様は一つの強い紐帯で結ばれることになります。それは、Aqoursとともにフェスを成功させたいという目標です。
 そして、やや興ざめする事実を言うことになりますが、現実にはフェスの会場にAqoursキャストがいないことがみなの繋がりを強めることになります。Aqoursキャストが場の中心に存在するライブやファンミーティング等においては、すべての参加者にとって自分とAqoursのことが最優先にならざるを得ません。Aqoursの歌と姿を誰よりはっきりと受け取りたい。一緒に盛り上がり、視線を交わし、なんなら認知されたい。そういった欲望がどうしても生じてしまいます。
 しかし本フェスにおいてそうした態度は自分のためになりません。Aqoursがいない以上、前述のような欲望は控えめになります。Aqoursがそこにいるのだという実感を得るためには、自分がそう信じるだけでなく、他の助っ人や浦女生が同様に信じ、場全体で「Aqoursがそこにいる」という想像を共有していなくてはいけませんから、他者を尊重することも必要になります。
 ライブでは得難いものを共有して、助っ人たる皆様はこのフェスでしか得られない感覚を得ることになるでしょう。そしてそれは他の助っ人さんたちにも伝わっていきます。


3.Aqoursがいいよ
 いつだってAqoursはよいのですが。
 今回、Aqoursは(Aqoursを演じる9人の声優は)声のみの出演となります。確かに声だけなのですが、その量と質がすごいことになっております。フェスの様々な場所でわたしたちはAqoursの声を聴くことになります。いや、「聴く」に留まらず、「会話」をすることさえあります。
 そこで使われる「素材」は、スクスタのようなノベルゲームをプレイしているときと同じで、その意味ではものすごくレアだというわけではないでしょう。肝心なのは、その音声を浦の星のキャストたちは、そして周りの助っ人たちは、「本物のAqoursの声」として扱っているということです。録音された音声ととるのも、自分に向けられた本物の声ととるのもわたしたち次第です。ひとたび信じることを決めてさえしまえば、あとに残るのは、本当にAqoursと話したという確かな実感です。
 そしてまた、Aqoursの9人の演技も、結成から6年経過している積み重ねゆえでしょう、こうした少々特殊なイベントとはいえばっちり対応してくれています。
 わたくし個人としては、フェス終盤でのある人物の声と演技が今までで一番自分に響くものになっていて驚きました。いつもよりウェットであることに加えて、フィクションのなかから外へ投げかけられる言葉として演じられているという印象がありました。アニメともゲームとも異なるSCRAPのイベントゆえの脚本と演技あってこその演技であり、感動だったと思います。

 かように今回のフェスではほかのイベントやコンテンツでは触れることのできないAqoursのありかたに接することができます。恐らく話の順番は逆で、Aqoursだからこそこのようなイベントの中心になれたのではないでしょうか。沼津をホームグラウンドとし、μ's/東京という輝きを追いかける者たちでなければ、「東京に乗り込んで故郷をPRする」というイベントの主役にはなれませんでした。かつて、Aqoursはμ'sの作った楽な道を歩いているだけとさんざんディスられていたころのことが遠く思い出されます。AqoursAqoursだけの道を歩いています。あのころからずっと、そしてこれからもそうなのです。フェスの広い会場の片隅で、喧騒から少し離れてそのような実感を得たときのあの気持ちを、古くからのAqoursファンにはぜひ味わってほしいと思います。わたしたちはやったんだ。

 とはいえ、このSCRAPが仕掛ける新たなイベントコンセプトである「体験する物語Project」を、ほかの『ラブライブ!』シリーズでもぜひ横展開してほしいとも思います。折しも放送中の『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』のテレビアニメ二期では、お台場の虹ヶ咲学園ほか複数の高校をまたがって学園祭とスクールアイドルフェスティバルを開催するというお祭り騒ぎが描かれています。お台場でやりましょうSCRAPさん、もちろん秋葉原でも原宿でもやってほしい。それぞれに異なる魅力をもった「体験する物語」ができるだろうとわたくしは勝手に確信しています。
 とすればやはりまずは今回のフェスが成功、いや大成功しなきゃいけない、だからあなたにはフェスに参加してほしいのです。もしかしたらあなたがフェスに参加することで生まれた熱が、次のまた新たなる「物語」の始まりを着火させるかもしれません。

 

4.参加できないあなたのために
 コロナ危機によって、イベントごとへの「参加」の方法は大きく変わりました。
 リアルに大人数が集まるタイプの「参加」は制限され、直接その場に訪れず、自室からインターネットを介して「参加」することのできるイベントが爆発的に増加しています。
 大勢の人が集まり、言葉を交わし、リアルなものや場所を共有して一つの体験をしていくぬまづフェスティバルは、コロナ危機以降の状況では開催がとても難しいイベントです。それは、2020年から企画され、21年に実施予定ながらも中止となった経緯からも明らかです。
 ワクチン接種が進み、マスク着用の基準も変化しつつある2022年5月というタイミングでぬまづフェスが開催されることは、リアルイベントの再起を高らかに謳う出来事だといってもよいかもしれません。
 一方で、いまだコロナ危機の与えるダメージは社会にも個人のなかにもたくさん残っています。職業上の制限や、自分と周囲の大切な人の感染リスク低減のために、遠出やイベント参加を控えざるを得ない人はまだ多くいるでしょう。コロナ危機以降の経済の変化を受けてお財布事情が厳しい人もいるでしょうし、それに、そういったはっきりとした理由はなくとも、ぼんやりとした不安を抱えてオタク生活に没頭できない、という人もいるのではないかと思います。
 ぬまづフェスは、沼津という(東京からみれば)遠くの街を訪れること、そしてたくさんの人々と出会うことを祝福するお祭りです。そういうイベントに参加することで、コロナ危機下でどうしても下向きになってしまったあなたの心の方向を、すこし明るいほうへ変えられるのではないか、とわたくしは思います。だからちょっと勇気を出してでかけてほしいと思う。でも一方で、無理をして6月5日までの会期中によみうりランドへ駆けつけなくとも、あなたはフェスに「参加」することができるのだ、とも言いたいのです。

 

 これはまったくの詭弁で不遜な思い込みですが、わたくしはAqoursの活動を追いかけ始めた最初のころから、「ステージまでの距離は、自分のライブ経験の良し悪しとは関係がない」ということを頑なに信じています*2。ステージからどれだけ遠くとも、それぞれの場所でAqoursから何かを受け取ることで、わたしたちはライブに「参加」することができるのではないか、と。
 確かにコロナ危機下でオンラインのみに制限された「参加」の形は、パフォーマーの側も、観客の側も疲弊させました。ですがそれだけだったでしょうか。例えば、2020年10月に開催されたAqoursのオンラインライブ、「Aqours ONLINE LoveLive! ~LOST WORLD~」は、テレビやパソコンの前で観ていたあなたに何も残さなかったでしょうか。あのときの距離は、東京ドームや豊洲PITでの客席とステージの間よりも本当に遠かったのでしょうか? そうじゃなかったはずだ、とわたしは言いたいです。Twitterでのつぶやきや、ライブを観ながら振った(Aqoursからは決して見えなかったはずの)ブレードの輝きや、そして、ライブの熱を胸に宿して、いつかまたAqoursのライブに行くのだ、と懸命に生きた今までの日々において、あなたはあのライブに「参加」していたはずです。「LOST WORLD」というライブにとってはそれが「参加」だったのです。

 

 ぬまづフェスの場合、何をすればフェスに行かずともそこに「参加」できるのか。答えは明白です。なんらかの方法で沼津に触れればよいのです。直接行くのもよいですし、今回のフェスで商品が販売されているお店や、風物のことを、ネットで検索するのもよい。Twitterで「#Aqoursぬまづフェス」と検索すれば、沼津の様々な魅力を探し出すためのキーワードはすぐに見つけられるはずです。そこには、よみうりランドのなかだけに収まりきらなかった沼津への「助っ人」たちの思いが溢れています。フェスには行けなかったけど、沼津には行ったよ、とか、JAふじ伊豆の通販でぬまっちゃを買ったよ、とか、そういう話を聞いたらきっと助っ人も浦女の人たちも(少し苦笑いしながら)フェスをやった甲斐があった、と言うのではないかとわたくしは勝手ながら思います。

 

 あるいは、もしあなたが、来週終わるフェスに最後まで行くことができなかったのなら、このような想像をすることも可能です。
 よみうりランドに集まった「助っ人」は本当にたまたまAqoursと縁があって呼ばれた助っ人であり、「浦の星の生徒」は本当に浦の星女学院に通う生徒だったのだ、と。
 あなたはそれを否定できません。なにせフェスに行けなかったのだから。そこに本当に誰がいたのか、参加した人の言うことを信じるほかありません。フェスに参加した人々の感想には、助っ人がいた、浦の星の生徒がいた、そしてAqoursがいた、という「証言」がいくらでも頻出します。
 かれらはフェスを無事成功させて、東京からそれぞれの街へと戻っていきます。数カ月後でも数年後でもよいですが、あなたが沼津を訪れたとき、街なかの店先で、砂浜の日差しのなかで、みかん畑の木陰で、かつて東京でフェスを成功させた浦の星の生徒がいまも生きて笑っていることをあなたは想像することができます。
 子供の頃に読んだ物語の人物が、遠い昔に書かれたフィクションだとわかっていても「生きていた」「今も生きている」という感覚を拭いきれない、ということはよくあると思います。その感覚が同じようにあなたの中に少しでも生まれればいいなとわたしは夢想します。

 

 「体験する物語」は、フェスに参加した人々自身が自分のために体験する物語ですが、いまやその物語は、外にいる読者、すなわちフェスに行きあぐねているあなたによって読まれています。あなたが読む「助っ人」さんたちのレポート記事や、浦女生キャストさんたちの日々のツイートは、それぞれがそれぞれの「物語」であり、あなたに読まれることで、物語はまた少しだけ大きく豊かに育ちます。
 物語がそのあとでどうなるかわたしにはわかりません。多層にふくらんで増殖していく物語の力に恐れをなす気持ちもないではないですが、しかし、そのようにしてこの物語が語り伝えられていってほしい、という気持ちは否定できません。ぬまづフェスは、そのように読まれ語られるに値する輝ける「物語」なのだとわたくしは思うのです。
 その「物語」が、あなたがAqoursと沼津を好きになる(もとから好きだった人にはもっと好きになる)きっかけになっていればとても嬉しいです。

 

♪♪♪

 

 ずいぶん長くなってしまいました。
 参加をお誘いしつつも、参加しなくてよい、というような論調で文章を終えることになってしまってなんだか自分でも狐につままれたような気持ちです。よみうりランドの立地を考えれば狐というより狸のほうがふさわしいかもです。多摩といえば狸なのです。

 

 ぬまづフェス、できるだけたくさんの人に行ってほしいです。でも、あの場所に感じる愛おしさって、あの場所だけにしか存在しないものではない、とも思うのです。たしかにお祭りには限りがあり、会場をあとにして、よみうりランドを出て、現実が待っているけれども、あのフェスはただ現実と異なるものを虚空に描いてわたしたちの目を幻惑させるだけのお祭りじゃなかったと思うのです。調布駅のホームで、右の電車にのれば京王八王子、左の電車に乗れば京王よみうりランド、どちらも京王線だけど全然違う場所へつながっているけども、全く同じ場所から行けるように。わたしは毎日通勤でそのホームを目にして、今日もあの場所でお祭りをやっているんじゃないかな、なんて思ったりもします。仕事のための重い鞄を背負い直して、わたしのなかにフェスで受け取ったものが残っていると感じながら。


 来週、わたしはフェスの最終日にもう一度参加しようと思っています。そのときに自分がどんなお祭りを目にできるのか、どんな「物語」を生き、そしてまた誰かの「物語」を目にできるのか、それが楽しみでなりません。
 願わくば、行きあぐねているあなたと、そのお祭りのなかで、お会いできますように。

 

 

www.scrapmagazine.com

チケットはここから。

 

yaizuya.jp

カレーボール、おすすめです。

 

sweets-grandma.com

ひものサブレ、食べるの怖かったけどもおいしかったです。

 

www.disney.co.jp

そういやぽんぽこもまた失われていく場所を守ろうとする人たちのお話でした。

*1:https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20220312-OYT1T50226/?r=1 厳密にはこの調査は「自粛生活」全般のことを対象にしているのでコミュニケーションだけの話ではないのですが、まあ例示として。

*2:https://tegi.hatenablog.com/entry/2016/12/28/004551 「パフォーマンスを肉眼で見れたかどうか、肌で会場の空気を感じ取れたかどうか。それはたしかに物理的な違いとして明確に存在する。それはとても特別な経験です。今日、豊洲PITでAqoursの姿を目撃した人たちは、その場でしか結べない関係をAqoursとのあいだに結んだ。それは確かです。/けれども、千歌と同じステージに立たない梨子が、千歌のすぐとなりにいる曜と同じ関係を千歌と結べるのならば、豊洲PITにいなかったわたしたちもまた、会場にいる人たちと同様に、Aqoursとの関係を結べると信じてもいいのではないか。/梨子が自分の音楽を奏でるためにピアノコンクールのステージに立ったように、わたしたちはそれぞれのステージに立って自分の音を響かせることで、自分なりの関係をAqoursとのあいだに結ぶことができるのではないか?」