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こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

兵士と消防士『ネイビーシールズ』

映画 俺スパイ感探求の旅 ゲーム

*事前のお断り*
 本稿はかなり偏ったFPS観に基いて書かれています。とくに、CoD以外の諸作に関する知識・歴史観がぼくには圧倒的に欠けており、そのへん眉に唾つけて読んでいただけると助かります。間違ったことがあったら、射殺するまえに教えてれるとうれしい。あと、あと...!モダン・ウォーフェア3もまだやってません!ぎゃー恥ずかしい言っちゃった!


 「ヒャッホー!『コール・オブ・デューティ』みたいだ!」とはしゃぎながら空爆していた『特攻野郎Aチーム』のパトリック・ウィルソンのことを持ち出すまでもなく、ゲーム『コール・オブ・デューティ モダン・ウォーフェア』(以下「CoDMW」と略)シリーズをはじめとするフロント・パーソン・シューティング(以下FPSと略)ゲームは、ここ最近の映画に大きな影響を与えています。
 『プライベート・ライアン』『ブラックホーク・ダウン』の90年代二大戦争映画ののち、911を経ていったん流行からはずれた戦争/特殊部隊映画の潮流は、CoDMWの大ヒットによって再び映像娯楽業界の表面へと踊りでてきたのでした。*1

 とはいえ、その影響の表れは前述のパトリック・ウィルソンみたいなメタネタ(映画の登場人物がCoDで遊んでいる)か、マイケル・ベイみたいにもともとミリオタだった連中の余技といった印象だったのですが、本作は全面的にFPS、とくにCoDの影響をストレートに表現した(たぶん)初めての映画です。ストレートというかあからさまというか、そのわかりやすさは劇映画というより、CoDMWのファンメイド映像を観ているような気分。
 これは、FPSならではの一人称視点の多用という以上に、デジタルカメラを用いた機動性の高い撮影環境を感じさせる表現(夜間撮影など)がもたらす印象のように思います。特殊部隊の最前線に密着したモキュメンタリーでもあり、ある種のガチ感、素人臭さみたいなものが非常に濃い。

 じゃあFPS表現はうまくいっているのか、というと、これが案外いまいちなんですね。
 一人の人間の主観になったら、場の状況や位置関係がわかりづらくなるのは当然のことで、スリルは感じても、ケレン味は薄いのです。画面のほぼすべてを緻密に統制できるからこそ、物語全体を一人称視点で語っても面白さが成立するのであって、実写ではそれが極めて難しい。統制したらしたで、かつて『DOOM』が陥ってしまったような、無味乾燥な模範的リプレイ動画みたいなことになってしまう。
 この映画で真にかっこいいのは、人質救出時の隠密行動や、刻一刻と変化していく状況に対応した即断ぶり、そして戦闘時に躍動するSEALsの人たちの肉体です。それらは主観ではなく、第三者視点から観てこそのもの。一人称視点が万能の表現だったら全ての映画がPOVになっているはずで、これは少し考えてみれば当然のことなのですが、FPSを志向した映画で逆にFPS表現以外のかっこ良さが鮮明になるというのは興味深い経験でした。

 一人称視点がいまいちではあれど、CoD的な面白さは別の面でしっかりこの映画に注入されています。それは、同時多発する戦闘の場を次々こなしていく仕事人のクールネス。
 麻薬組織の人質となったCIAを救出する最初のミッションはいかにもリアルな特殊部隊のお仕事ですが、そこで得た手がかりをもとに、ソマリアと太平洋上のニ方面に分散しての情報収集に乗り出すあたりは、お前らタスクフォース141*2かい、と突っ込みたくなるCoDMWっぽさ。敵方の事情を含めて、複数の大陸をまたがっていくつものエピソードが語られていくあたりもCoDMWっぽい。
 じっさいのSEALSは、複数のチームが地域ごとに存在しているらしいのでこういう無茶はしないと思われますが、でもそういう脚色のおかげで、多少無理な出張でも余裕でこなすぜ...という仕事人クールネス度が高くなるのでやむなし。強襲した敵方の豪華クルーザーにスーツ姿で降り立つ尋問の達人のくだりも最高。爆笑&トゥーサムズアップな名シーンでした。

 かくしてSEALSのみなさんの活躍により、アメリカ本土を狙った大規模なテロ計画が明らかになっていきます。
 偉いと思ったのは敵方のスケール感が的確に醸し出されていること。南米で麻薬取引をして東欧で兵器取引をして、東南アジア自爆テロ要員をリクルートするというこちらもSEALSに負けず劣らず忙しいひとたち。首謀者と組織を、資金調達・頭脳犯担当と、武力闘争担当との二人に分けたうえで、彼らを幼馴染の腐れ縁としたことで、人間ドラマの面でも見応えをアップさせています。東欧の街を見下ろしながら、引退をこぼす資金調達担当と、かれを不実となじる武闘派の口論のシーンなんかはこの手のアクション映画らしからぬ緊張感があったと思います。
 どっちかっつうと南部アメリカででかい銃ぶっぱなして喜んでいそうな風貌の武闘派悪役も、東欧潜伏中は細身のコートでびしっとキメていたりとなかなかの見栄え。正直ちょっとかっこよかったです。マカロフ*3にも負けてないかもしれない。

 で、SEALSよし、悪役よし、これでもうばっちりじゃないですか!と締めたくもなるんですが、映画が着地する地点にはちと不満もあります。
 着地というか、冒頭からがんがんそういう雰囲気があるわけですが、要は、現代においてすっかり悪者になってしまったアメリカの、最後の善き者たちとしてSEALSは描かれるんですね。自由と平和を愛し、家族を愛し、仲間を愛するアメリカ。
 同志愛と自己犠牲を体現するようなクライマックスのある英雄的行動*4は、実在のSEALS隊員による事件をモデルにしていると思われ、それはSEALSモキュメンタリー映画として決して筋違いではない表現ではあります。
 家族を大切にし、子に自分たちの思想を引き継ごうとする、その理想じたいにも文句をつけるつもりはない。
 でも、そういう理想って、CoDMW的なかっこよさとは対極にあるのではないか。
 CoDMWはアメリカのゲームではありますが、メインのヒーローはイギリスSAS出身の男たちです。複数人物の視点による物語なので、アメリカ人も登場するのですが、明らかに比重は軽い。そして、SASの男たちは国を守るでも家族を守るでもなく、仕事として、アメリカをめぐる戦争に参加し、仕事をこなしていった結果、「上からの命令」としての仕事ではなく、「その職にある者として、職業倫理上なさなければならない」仕事を完遂することで世界を救う*5
 911とその後のアフガン・イラク戦という大敗北を通過した2012年のアメリカが、真に讃え理想とすべきはそうした仕事人としてのヒーローである、とぼくは思います。ブッシュ・ジュニアは、父の仕事を継ぎ、不倫もしなかった、極端にいえば「よき家庭人」でした。しかし、己と周囲の無能を認められない、仕事人としては失格の男だった。彼が内外から憎まれ、アメリカの表層的な情感と愛国心が蔑まれた近年だったからこそ、SASの男たちが活躍するCoDMWが作られ、世界中で大ヒットしたのではないか*6

 映画のエンディングでは、アメリカの人びとのポートレイトがコラージュされて映しだされます。SEALSの映画だったはずが、そこでやけに目立つのは消防士の姿です。
 911において最も英雄として讃えられたこの職種の無垢なイメージに、SEALSがなぜか重ねられてしまう。それはなんだかダサいことだし、SEALSにとっても不本意なんじゃねーのかな、と思うのです。だってSEALSって人を欺いて殺してなんぼの職なんですから。全方位的によき人間(国家)であることと、SEALS(世界の警察)であることは両立できないんじゃないかな、そんな無理しなくていいよアメリカさん、と言ってあげたくなってしまうのでした。

*1:ここで重要なのは、本作にも協力しているトム・クランシーの仕事のはずですが、ぼくは『レインボー・シックス』第一作くらいしかプレイしていないのでここでは語れません。また、映画→ゲーム→映画、の影響の流れとしてはロックスター・ゲームス社によるクライム・フィクションへの貢献、『バイオハザード』によるゾンビ・フィクションへの貢献といったあたりにも触れたいところですが、これも今回は省きます。

*2:CoDMW2に登場する、国家を超えて結成された特殊部隊。ごくわずかな人数で世界の危機に対処する羽目になる。

*3:CoDMW2以降で世界中を紛争のどん底に叩きこむワンマン虐殺器官なロシアの無政府主義者

*4:最近作られたあのヒーロー映画でも描かれていましたが、あれはべつに周りに親友がいるわけでもないのにアレをやってしまうところが真のヒーローたるゆえんなんだよなー。

*5:繰り返しになりますが、MW3をプレイしていないので、2までの話です..。

*6:ハート・ロッカー』もそういう文脈での映画だったのかもしれません。ジェレミー・レナーの仇名も「仕事人」だし...ってあれはぼくのTL界隈だけのことなのだろうか。