こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

誰が女の子たちを救うのか『エンジェルウォーズ』

 世間的にはたいへん評判のよろしくない映画ですが、ひょっとしたらシャマランの『レディ・イン・ザ・ウォーター』と同様の愛し方をしてしまうかもしれない。いやそれはさすがに誉め過ぎかしらん。せいぜい『エアベンダー』と同程度によろしい、という程度にとどめておこう。――シャマラン好き以外には貶しているようにしか読めないでしょうが、褒めています!

 ぼくは『ローズ・イン・タイドランド』なり『テラビシアにかける橋』なり、物語(妄想)を力にして現実を乗り越えようとする者たちの映画に非常に弱い。ぼく自身が昔から今にいたるまで、ずっと続けていることだからだ。どんなに粗いつくりのものでも、自動的にこの手の映画は「おれの映画」になってしまう。『エンジェルウォーズ』も、中盤まではともかく、終幕のナレーションによってあらためてこのテーマが打ち出されたとき、Sucker Punchすなわち「不意打ち」という原題の通りに、予想していなかった強さの感動を覚えてしまった。終わりよければすべてよし。
 ただこの映画は、女の子の映画でもある。
 CIAの記事*1を読むと、アメリカ本国では、この映画はいっけん女性を賛美しているようで根底には深い蔑視があるのではないか、という意見も多いらしい。充分に頷ける批判ではある。けっきょく、女の子たちのなかで犠牲を出さない限りは自由を得られないという物語の結末には、男のお前がそんなこと言ってていいんかい、と怒りたくもなってしまう。
 けれど、この映画の内外で、主人公たちを不当に搾取して終わりにできる男って、観客しかいないのだ。映画内で女の子を虐げている男は概ね罰を受けるか、終幕後に罰せられるであろうことが予想できる。たくさんの悲劇は訪れるけれど、最終的には彼女たちは負けていない。そういう終幕で、「誰が物語の結末を決めるのか?」と観客へ語りかけるナレーションがかかるのだから、これは結構自覚的なのではないか。
 一方的にキモく萌えながらも、必死で彼ら/彼女らを愛したいと願う日本の(特殊な意味で)習熟したキモオタのマナーにはまだまだ及んでいないものの、この愛し方、そして観客へのアジテーションの温度には、それなりの拍手を送りたくなる。
 なんだよ、ザック・スナイダーもこっち側の人だったのかよ……というわけで、今後ぼくの中ではリチャード・ケリーやシャマラン、または紀里谷和明と同じジャンルの人に分類することにします。なんというか、行き過ぎた倫理観のもとキモく正義を語っちゃう非モテ*2な人たち。
 もっとも、『ウォッチメン』クライマックスでの腑抜けぶりなどを考えると、ほんとうに頭からっぽな無意識と天然のCM職人という可能性も捨てきれないので、この分類は仮のものということで。

 以下気づいたこと。
・精神病院の名前がLennox Houseなのは、オープニングで”Sweet Dreams”が使われているEurythmics のボーカル:Annie Lennoxにかけてのことだろうか。アニー・レノックスは女性のための社会活動を盛んにしている人なわけだが、ザック・スナイダーはどういう考えで彼女の歌と名前を使ったのだろうか?
鉄道車両内でのアクションは、Final Fantasy13の予告編で観たアクションシーンを思い出した。こちらの引用は、どっちもどっちというか、引用していようがいまいがほとんどどうでもよろしいことだけども。

*1:http://cia-film.blogspot.com/2011/03/box-office-atom-3.html

*2:これだけたくさんの可愛い女の子をキャスティングしといて非モテとはどういうことかというツッコミが入りそうですが、ザック・スナイダーってこれまで散々映画内でエロいことを実現させていても、愛と再生産のある「正常な」セックスは描いていないと思うんですよね。それができないやつはすべからく「非モテ」ではないか。こういう男を言い表すのには他にもっといい言葉がありそうですが、思い浮かばないのでここでは安易にこの言葉を使っておきます。