こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

物語に満たされて生きていくということ

 昨日、『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』シリーズの劇場版二作品一挙上映会に行ってきました。新作『Cadenza』を一般客が映画館で鑑賞できる初めての機会とあって、バルト9のスクリーンは当然満員。上映終了後には大きな拍手が響きました。

 上映後に行われたトークショーでは、岸誠二監督らのお話が短いながらも非常に面白かったです。もっと長くスタッフの方々の話が聞けるイベントがあればうれしいですね。で、確か南健プロデューサーと岸監督による会話のなかで、こんなくだりがありました。

「公開後のお客さんの反応が見れるまではとても怖いので、大きな拍手が聴こえてきたのはとても嬉しかった。でも、こんな上映会に来るくらいですから、かなり前のめりのお客さんですもんね」

 先行上映会に来るような人間なら、当然『蒼き鋼のアルペジオ』シリーズに対しては好意的だろうし、そういう人たちは好評価を示すのは当然だよね、というなかなかシビアな考え方です。

 なるほど、自分はまさにそうです。はまりはじめたのは劇場版第一作目からとはいえ、さかのぼってテレビシリーズを観、原作を読み、原作スピンオフも読み、作品から生まれたユニットTridentのライブに二回参加し…と『アルペジオ』世界にどっぷり首まで浸かっている。

 こういう身だと、自分でも「アルペジオの映画、よかった!」と思えど、じゃあそれをほかの映画好きやアニメ好きに対して素直に表明できるかというと疑問符がつきます。テレビシリーズでの展開をふまえた演出や展開を、「よいもの」として素直には言えない。それを受け取るには、テレビシリーズを知っていなくてはいけないですから。

 ここで連想したのが、最近のマーベルによる一連のヒーロー映画、いわゆる「マーベル・シネマティック・ユニバース*1です。
 2008年の『アイアンマン』に始まり、今年の『アントマン』にいたるまで、マーベルによる映画群はすべて同じ世界観を共有しており、作品と作品のあいだには必ずなんらかの関係があります。映画の終わりに、近々公開される他作品への繋がりを示すシーンが挿入されるなどしており、ある単体のヒーローを主軸にした映画だとしても、すべて一本のシリーズ作品に思えるような作りになっている。
 『アントマン』はとても楽しい傑作ヒーロー映画でしたけど、作品の末尾にはキャプテン・アメリカとウィンター・ソルジャーをめぐる新たな物語の端緒がアントマンにまつわる形で示されます。次回作への期待が膨らむと同時に、アントマンの映画がきれいに終わったという感覚が打ち消されたような、少々複雑な気分になったものです。

 良いか悪いかはともかく、いまや、映画の一部はそういう娯楽になりつつある。一時間半から二時間の映画を観てそれっきり、ではない。
 もちろん、こうしたわかりやすいつながり方でなくとも、映画――大きくいえば娯楽や芸術――というのは、引用や比喩で成り立つものですから、その作品自体以外へとつながっているのは当然のことではあります。けれども、マーベルなり、日本のアニメなりのやりかたは、物語を途切れさせずに観客の日常のなかに存在し続けさせるように機能している。別個のものがつながるのではなく、つながりが延々とのびていく。

 個人的には、こういうやり方を全力で楽しみつつも、つきあい方を考えないとなかなかに厄介だぞ、という気持ちでいます。自分のまわりがなにかの物語によって常に満たされている日常。物語の魅力を知っているからこそ、この状況は怖いと思う。 
 今年6月以降、ぼくは『ラブライブ!』に熱狂しているわけですけど、熱狂しているからこそ、普段の生活では同作の音楽はできるだけ聴かないようにしていました。とくに『Sunny Day Song』と『僕たちはひとつの光』は、劇場でしか聴いちゃいけない音楽だと思った。お経や祝詞を聴きながら日常生活を営めないのと同じで(営める人もいるでしょうけど)、あれは力のありすぎるなにかだという恐怖感があった。ほんらい自分が歩いている自分の人生の脇に、もっと輝かしい道であるところのフィクションを提示されたら、そちらのほうが本来のものだと錯覚してしまう。強すぎるフィクションが日常のなかに存在するというのは、そういう道を違える可能性を抱えることだ、と思う。

 ただいっぽうで、『ラブライブ!』の場合、あまりにその映画版が素晴らしいがゆえに、劇場にさえ行かなければ大丈夫という安心感もありました。きちんと映画館で終わってくれる儀式だった。
 『蒼き鋼のアルペジオ』の場合、春からえんえん色々なものを継続して摂取してきたがゆえに、今現在、その物語の存在を過剰に近く感じてしまうのでしょうけど、あの映画はあの映画できれいに終わってくれているので、それもひとつ安心の要素ではあります。
 ただ、これから映画公開日前後に向けてまた本ブログで感想をアップするときなんかには、自分がかようにフィクションを日常のなかに招き入れてしまっている人間であることに注意したいところです。

 そういえば、今年『ラブライブ!』と同じかそれ以上にリピーターを産んだ『マッドマックス 怒りのデス・ロード』において、メディアミックス的な熱の維持よりも*2、立川シネマシティにおける極上爆音上映が話題になっていたのは面白いなと思います。映画を引き伸ばしていくというよりは、プリミティブにその映画の価値を高める場に熱狂が生まれていた。そういう意味でも、やっぱり『マッドマックス』はえらい。いや、娯楽にえらいもえらくないもないぜ、と言いたいとは思うのですけど、『マッドマックス』くらいになるとえらいと言わざるを得ないのです。あれだけ単体で屹立して熱狂を呼び込める映画、そうそうないですもの。

*『ラブライブ!』と『マッドマックス 怒りのデス・ロード』についてはこちらの記事でまとめています。あわせてお読み下さいませ。「走れ、跳べ、理想を求めて/『ラブライブ!』と『マッドマックス』」 http://d.hatena.ne.jp/tegi/20150802/1438442864

*1:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9 以下、MCUに関する事項はこのWikipedia記事を参照しました。

*2:せいぜい、設定資料集や前日譚を描くコミックスが売れていることくらいでしょう。