こづかい三万円の日々

30代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

旅としてのHAPPY PARTY TRAIN TOUR

 

 

 2017年8月5日から9月30日まで、二ヶ月に渡って行われたAqoursのライブツアー「Aqours 2nd LoveLive! HAPPY PARTY TRAIN TOUR」(以下、HPTツアー、あるいはツアー)について書きます。
 すでに、個々のパフォーマンスについては多数のレポートがネット上にありますので、わたしはHPTツアー全体を考えてみたいと思います。


 今回のツアーはAqoursにとっての最初の大規模なライブ「」で発表されたわけですが、考えてみればこの横浜でのライブ自体が、(フィクションとしての)Aqoursにとっては大きな「ツアー」、すなわち「旅」だったのでした。
 1stライブの際に書いたレポートでわたしは、ライブ中に流される幕間アニメについてこんなことを書いています。

強引ながらも沼津と新横浜の接点を見つけ、地方の女の子たちがまた違う地方にやってくることで発見される面白さ、いわば寅さんが全国各地を舞台に毎年作られていたことの意味みたいなものが最後の最後に急速に立ち上がっていて、あっ、やっぱいいですこれ、すごくいいです、という気持ちになった。

Aqours First LoveLive! 一日目おぼえがき - こづかい三万円の日々

 すでに詳しい内容はほとんど忘却の彼方なのですけど、横浜における幕間アニメでは、「新選組のルーツである八王子と繋がる、横浜線沿線としての新横浜」、「新横浜にある沼津(という寿司屋)」という話題が語られていたように記憶しています。
 観客の相当数が居住しているであろう東京とその近県の視点でみれば、新横浜という土地は、それこそライブ会場となっていた横浜アリーナ程度しか印象のない場所といっていいでしょう。しかし、沼津・内浦からやってきたAqoursからすれば――まあ国木田花丸さんの博覧強記かつ牽強付会な視点によるところ大ではあるものの――、様々な未知のものごとや、歴史の名残を発見できる。
 こうしたAqoursの視点を幕間アニメによって共有したファンたちは、ライブの後、アニメで言及された店や路線を、ライブ前とは異なる視点で見ることができたはずです。


 言わずもがな、『ラブライブ!サンシャイン!!』は沼津・内浦という場所を物語の中心に据えています。作品が新たな「聖地」を作り、Aqoursの地元がファンにとっては旅の目的地となりました。
 横浜での幕間アニメが示したのは、沼津の外で行われるライブ(ツアー)において、今度はAqoursが旅に出るのだ、ということです。ファンが沼津を訪れ、当地の名物や歴史を発見したように、今度はAqoursが見知らぬ土地を訪れ、未知のものと出会っていく。そしてファンもまた、その旅に同行する。

 旅に出るAqours、というイメージは、HPTツアーにおいて一層明確に打ち出されます。


♪♪♪


 横浜での発表から約半年後の8月5日、HPTツアー初日となる名古屋でのライブは、サードシングル『HAPPY PARTY TRAIN』のプロモーションビデオに直結するアニメーションで幕を開きました。PVのラスト、伊豆長岡駅の前で、果南は夜空に消えていく汽車とAqoursを見送ります。ライブ冒頭のアニメでは、その夜空に消えていった汽車とAqoursが、再び登場します。彼女たちを乗せ夜空を疾走する汽車はやがて、名古屋駅を猛スピードで通過します。観客の興奮が最高潮に達するころ、その映像から飛び出したかのように、現実のステージ中央に巨大な汽車に乗ったAqoursが現れます。
 PVで沼津を飛び出したAqoursが、遠く離れた名古屋という街の、観客の目の前に現れる。PVで始まったAqoursの旅の、最初の目的地が名古屋というわけです。


 幕間アニメも、横浜同様、会場周辺の名所や歴史、名物が多数取りあげられます。一時廃業となった大須演芸場浦の星女学院に重ねるという、Aqoursの背負う深刻な物語に寄せた部分もありますが、大須演芸場はすでに営業を再開していた、というオチで深刻さは回避されます。千歌が、桶狭間の戦いで敗れた今川義元の意趣返しを志すも今川氏は沼津ではなく駿河の領主だった、という脱力展開も楽しかった。その土地の物事が取りあげられつつも、眉間に皺を寄せた社会見学といったふうではなく、あくまでわいわい楽しく旅をする、という印象が保たれています。


 続く神戸の幕間アニメでは、高槻かなこさんの出身地であるということを盾に、神戸ディスすれすれの内容が繰り広げられました*1
 アニメ後半では、上島珈琲というファンが手に取りやすい名物が強くプッシュされつつも、「観客を缶コーヒーと思え!」というスラップスティックな笑いのネタとして消費されるため、いかにも名物紹介、という押し付けがましさがありません。それは名古屋でのういろう、埼玉でのスイートポテトも同様です。
 このあたりのバランス感覚は、自らもまた旅(観光)の目的地とされる土地の出身であるAqoursならではといえるかもしれません。
 アニメ一期1話で内浦の名産品である魚の干物が、地元の人間からすれば食べ飽きたどうでもいい食べ物として描かれていたことを思い出しましょう。旅する者は、その土地の名物を無条件にありがたがってしまいがちですが、そこに住む人にとってはありきたりであったり、むしろ日常の倦怠の象徴として嫌がられるものであったりもする。
 単にその印象は、幕間アニメの脚本を書いている子安秀明の、全てを笑い飛ばすクレイジーな作風によるものなのかもしれませんが、まあ少なくともこうしたAqoursの態度は、ありがたがるだけではなく、より親しみをもって旅先の名物に触れることを促してくれました。


 そのようにして幕間アニメを中心に各地をAqoursからプレゼンされたわたしは、ライブを楽しむとともに、その土地をも楽しみました。名古屋には行けませんでしたし、埼玉ではほとんど現地での自由な時間が持てませんでしたから、きちんと旅できたのは神戸だけでしたが、当地ではライブのあと二日間の休暇を使い、妻と一緒に旅を満喫しました。
 楽しかったのは、神戸の街を歩いていると、わたしと同様に旅を楽しんでいるAqoursファンを何度も何度も見かけたことです。その何とも言えない楽しさは、大昔、中学校や高校の修学旅行の自由時間中、見知らぬ街角で同じクラスの友人たちに出会ったときの感覚に近かったかもしれません。その楽しさのあまり、神戸市内の明石焼きのお店で隣り合ったAqoursファンの男性に、思わず声をかけてしまったりしました。「次は埼玉で会いましょう!」とさわやかに対応してくれたあの人、元気かなあ。


 そうした他のファンや、声優さんたち自身がSNS上で発信する情報をリアルタイムに受け取って、旅の目的地に加えていくのも、大変ながらも楽しい作業でした。
 複数の声優さんがSNSで言及していた中華街の肉まんや、高槻かなこさん行きつけの広東料理屋さんはとてもおいしかったですし、UCCの缶コーヒーを次々買い求めるTL上の人々に負けてなるものかと上島珈琲の店舗でドリップコーヒーを買い、深夜にホテルの部屋で神戸スイーツとともに味わったのもいい思い出です。そのせいで寝れなくなったりもしましたけど。


 渡辺曜なら立ち寄るかも、と思って、通りすがりの「戦没した船と海員の資料館」なる場所に急遽立ち寄った、ということもありました。第二次大戦中、軍に徴用された民間船とその乗組員についての展示と資料収集を行っているところで、狭いスペースに膨大な資料が展示されているさまに、徴用船の被害の大きさを思い知りました。決して気持ちが明るくなるような場所ではありませんが、そうした不意打ちを受けるのも、また旅の醍醐味と言えるでしょう。


 かようにわたしはあの三日間、Aqoursと、そしてAqoursファンの影響を受けながら旅をしました。ちょっとだけ、「みんな」で旅をしているような気持ちになりながら。

 それは純然たる観光ではあったものの、一方、神戸という土地に対する強い親しみの感情を持ちながら過ごした時間でもありました。
 神戸二日目の最後の挨拶で、高槻かなこさんは、また神戸でライブをやりたい、と強く宣言していました。その言葉を聞いたわたしは、神戸を旅の目的地であると同時に、再び訪れたいところ、あるいは、高槻さんが再び訪れたいと思うほどに愛しているところ、だと認識していました。さすがに数日間しか訪れていない場所を「地元」だと言うことはできませんが、ただの旅先でもなくなっていた。旅先から地元へと、半歩くらいは近づけたのかもしれません。
 そのように思えるような旅を、Aqoursとともにできたことが、わたしはとてもうれしかった。


♪♪♪


 さて、このようにしてそれぞれの場所をツアーしてきたAqoursとわたしも、埼玉という終着点にたどり着くことになります。
 名古屋・神戸でのライブは、常に、次のライブ会場へと旅立つAqoursの乗った汽車を、会場のファンたちの声援が送り出す、という演出をもってエンディングを迎えていました。では終着点たる埼玉では、どのような幕引きがなされるのか。それは埼玉のライブを観るにあたって、わたしが楽しみでもあり、怖くもあったポイントなのですが(だって寂しいじゃないですか)、当然、Aqoursが送り出されるのは、彼女たちの出身地である沼津なのでした。
 埼玉二日目のラストでは、今まではライブ冒頭にしか登場しなかった汽車が再びステージ上に登場し、Aqoursの九人を載せてステージ奥へ消えていく、という演出がなされました。Aqoursたちは、無事に彼女たちの旅を終えます。と同時に、会場の天井には「ご乗車ありがとうございました」というメッセージが表示されました。沼津へ帰っていくAqoursを見送ったファンの旅もここで終了したことが示された。実に見事な構成です。


 こうしてツアーが終わり、Aqoursは沼津へ帰っていった……ということになるわけですが、もちろん、現実にAqoursのキャスト九人が沼津へ帰ったわけではありません。ではここで「帰った」のは誰だったのでしょう。
 Aqoursは空想の存在です。アニメやイラストのなかにいる、現実には存在しない人物たちです。伊波杏樹さんを始めとする9人は、その空想の人物を演じる声優です。今回のライブツアーでは、その声優たちがステージに立ち、Aqoursを演じていました。
 しかし、ライブのあいだ、ステージの上にいたのは声優たちではありません。いや、確かに声優たちはそこに立っていたでしょう。しかし同時に、空想のAqoursもまたそこにいたとわたしには思えます。この感覚はAqoursのファンのみならず、広く2.5次元文化を愛好するかたならわかっていただけると思います。
 ライブのあいだ、ステージの上には、声優としてのAqoursがいると同時に、フィクションのAqoursが重ね合わせの状態で存在していました。
 それは、演ずる側と観る側の想像力が生み出す何ものかです。こうしたものを、ヒトはその文化のなかで様々に生み出してきました。神だとか、霊魂だとか、そういったたぐいのことです。そのように考えていくと、今回のツアーが夏に行われていたことが、非常に重要な意味を持つように思われます。日本人の多くにとって、夏は、祭りと盆と慰霊の季節です。盆においてわたしたちは、本来は此岸に存在しない祖先の霊を彼岸から呼び出します。また多くの農作物が実りの時期を迎える夏・初秋の祭りでは、感謝と祈りを届けるために、神殿の奥深くから世間へと神を招きます。
 盆も祭りも、呼び出される霊や神にとっては「旅」にほかなりません。ヒトは彼らを招き、歌と踊りをともに楽しみました。Aqoursのユニークな楽曲であり、今回のツアーでも毎回アンコール後の一曲目として、キャスト・観客一体となって楽しまれた『サンシャインぴっかぴか音頭』がモチーフとするのも、そうした場で楽しまれてきた盆踊りです。
 『HAPPY PARTY TRAIN』のPVは、恐らく宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の影響を受けていると思われます*2。『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニが、宇宙をひた走る銀河鉄道のなかで出会うのは死者たちです。この世ならざる者たちと旅するその物語は、今回のツアーにも遠く影響しているように思えます。
 ツアーが終わり、沼津へ帰っていたのは、フィクションであり、霊魂としてのAqoursです。彼女たちは、沼津に――そして空想の世界の中に――帰っていきました。逆に言えば、現実に存在しない人々を、われわれはライフステージの上に召喚できていた。おたく的な言い方をすれば、二次元が三次元にやってきた、というわけです。その感覚は、前作『ラブライブ!』のμ'sをはじめとして、他の2.5次元作品でも常に感じられるところです。
 しかし、今回のツアー、そしてAqoursというグループは、沼津という土地と結びつき、土俗的なまつりごととしてのライブの側面を浮かび上がらせており、一層のマジカルな魅力を得ていたように思います。今回のツアーの感想として、踊り、歌といったライブの根幹のシンプルな力を強く感じたことを訴える声が目立つのも、それゆえではないか。
 そしてこのわたしの連想は、埼玉でのライブ最終盤、μ'sの9人が「召喚」されたことにも繋がっていきます。μ'sの帰還の背景には、次世代ゲームを盛り上げたいという「運営」*3の要望があることは確かでしょう。が、わたしにはそうしたことはあまり気になりません。Aqoursの行ったライブという祭事が、稀人としてのμ'sを呼び出してしまったのだ、ならばまずはそれを静かに迎えよう、という気持ちのほうが強い*4
 フィクションのなかの高海千歌に倣うなら、それらをすべて「奇跡だよ」、と祝いでしまってもいいのではないか、と少しは思うくらいに。


♪♪♪


 さて、どんな旅も、楽しいだけではありません。
 なぜなら旅には必ず終わりがあり、旅の後、わたしたちは再び辛くつまらない日常に戻らなければならないからです。Aqoursとともに、空想の沼津へと赴くことはできないのです。
 しかしここまで触れてきたとおり、Aqoursとの旅は、様々な価値の転換を促してくれました。
 埼玉でのみ演じられた『地元愛 満タン☆サマーライフ』における「地元」は、渡辺曜津島善子の住む「沼津」です。しかしこの曲がメットライフドームで演じられていたとき、「地元」は、その歌がまさに歌われている場所であり、渡辺曜を演じる斉藤朱夏さんの出身地である埼玉をも意味していました。
 ツアー全体を通して考えれば、「地元」という言葉には、高槻かなこさんの「地元」である神戸も紐付けられています。この他にもわたしは、名古屋・神戸・埼玉それぞれの土地はすべて、近くに住む(自分と同じような)観客たちの「地元」であることを知っています。
 楽しい旅の目的地は同時に、誰かにとっての「地元」でもあること。そして、神戸で高槻さんが叫んだ通り、つまらない「地元」はときに、すばらしいライブを楽しんだという経験を経ることで、再び多くの仲間たちを招きたいという場所になるのだということ。
 そうしたことを知った以上、旅を終えて「地元へ戻る」ということの意味は、大きく変わらざるを得ません。


 もちろん、「地元」が持つ倦怠は、そう簡単に拭えるものではないでしょう。しかし旅の終わりに恐怖するわたしの心を見透かすように、今回のライブにおいては、日常を克服することを励ます言葉や演出が多数みられました。逢田梨香子さんが埼玉一日目の最後のあいさつで言った、仕事や学校といった辛い日常のなかで、励みになるようなライブができたらいい、という話。また埼玉二日目で高槻かなこさんが言った、Aqoursの夢が、観る人それぞれの夢になれば、という話。そして幸運にも、埼玉一日目のライブにおいて、わたしが生で目にすることのできたAZALEA『LONELY TUNING』が歌ってくれること*5
 そうした励ましを受けて、日常に怯んでいられるわけがありません。


 いっぽう、フィクションとしてのAqoursを沼津で待っているのもまた、彼女たちの日常です。廃校の危機に瀕した母校と、学校と同じく衰退していく故郷を救う任をその身に背負って、スクールアイドルとして生きる日常です。
 今回のライブツアーは、そうした彼女たちの日常を描くアニメの物語から離れたところを旅してきました。旅行中のAqoursは、自分たちの日常から離れて、自由になった状態で歌い踊っていた。
 埼玉一日目、劇中曲のなかでも、一期最終話挿入曲というアニメの物語と最も濃厚なつながりを持つ『MIRAI TICKET』が、ライブ終盤で歌われました。昨年9月の13話放送以降(あるいは今年2月のファーストライブ以降)、一旦保留にされていた物語が再び動き出したかのような感覚がありました。13話でAqoursと千歌が行ったことは、劇中のラブライブのルールに反する行いです。アニメ二期では、その代償を支払うことになるかもしれません。そんな重い物語の中へと、Aqoursは再び戻ろうとしている。
 そして続いて、埼玉でのアンコール前最終曲として歌われたのが『君のこころは輝いてるかい?』です。アニメ13話は、まさにこのタイトルの言葉そのままの千歌の台詞で幕を閉じていました。ここで、アニメの物語のAqoursと、ステージ上のAqoursがみごとな一致をみます。楽しく歌い踊ってきた旅は終わり、日常が――物語が、再び動き出すことが示唆される。


 埼玉公演から一週間後の明日から、そんな彼女たちの日常を描くアニメ二期の放送が開始されます。
 輝かしくも困難であろう彼女たちの物語は、どのように展開していくのでしょうか。沼津という「地元」は変えられるのか。浦の星女学院への入学希望者は増えるのか。Aqoursは、どのように生きるのか。
 わたしは、現実と空想をごっちゃにして祈りたい。わたしがこのHAPPY PARTY TRAIN TOURという一つの旅を通して、「みんな」*6からもらった力が、フィクションの中のAqoursにも届いていてほしい。わたしと同じく旅をしてきた彼女たちの心にも、旅でしか得られないなにかが残っていればいい、と。


♪♪♪


 ツアーの最後、Aqoursはまた来年、サードライブツアーという新たな旅へと出かけることを約束してくれました。
 それにAqoursは、ファンミーティングという、ライブツアーとはまた違った種類の旅にも誘ってくれています。旅の目的地は、まずは大阪、そして札幌です。その先にもいくつもの目的地がわたしたちを待っている。
 次の旅が始まるまで、きっとAqoursは、日常を強く生きていくでしょう。わたしもそうありたいと思う。
 わたし自身の次の旅の目的地は、わたしの大好きな街である札幌となる予定です。またその街でも、Aqoursと、「みんな」と、素敵な旅ができるであろうことを、今からわたしはとても楽しみにしています。

*1:横浜だって名古屋だって埼玉だって充分にディスられていた気もしますが。

*2:詳しくは二次創作小説『黒澤ダイヤが『シング・ストリート』を観た、という話』のなかで書きました。 http://tegi.hatenablog.com/entry/2017/05/28/012251

*3:なおわたしはこの言葉があまり好きではありません。なんか人任せって感じで。

*4:死者を蘇らせてしまうことの是非をめぐる倫理的な議論は、できるだけ死者のいないところでしたい、という気持ちもあるし。

*5:詳述はしませんが、わたしは『LONELY TUNING』が、『ラブライブ!サンシャイン!!』関連楽曲のなかでももっとも愛しい曲のなかのひとつとなっています。

*6:「みんな」が何を指すかは、HPTツアーの最中に書いた『夏の終わりに「みんな」で踊る/『ラブライブ!』をめぐる人たちのことについて・2』をご一読いただけると嬉しいです。 http://tegi.hatenablog.com/entry/2017/09/24/235058